全体と部分。
こんなことを入学式式辞に書かせていただきました。
教科科目の勉強を部分として、全体的な知徳体兼ね備えた人間力みたいなものを全体ととらえていこうとしたものです。
しかし、式辞はどうしても自己嫌悪を感じてしまいます。
言いたいことのそれこそ部分しか書けない。
文才がないのだなぁと、嫌になってしまいます。
セオリーがあるし、極端にそれを崩すこともまかりならん。
そういうわけです。
セオリーと言うと、このブログもそうです。
なかなか書けないこと、書いてはいけないことばかりです。
不自由極まりなし、であります。
この間の美術部のウオッセ21での表彰について、大衆日報様から記事にしていただきました。今朝、確認をしました。ありがたい限りです。銚子は、いろいろ大変な時期でありますが、一服の清涼剤に県銚がなっておればこんなに幸せなことはありません。
本当にあのウオッセの壁画は、生きているようです。
一度、見に来てください。
そんなことを生徒の出身中学に申し上げたくて(銚子市外の中学校のみ)、今日は、自費購入した大衆日報紙をお送りしました。
これもまた、県銚を支える貴重な「部分」でありますから。
楽しみに待っていてください。
では、また明日。