と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

始業式で話したこと 大幅変更

2009年04月06日 19時39分04秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 始業式レジメを先ほど掲載させていただきました。
 
 が、わたくしの悪い癖で、原稿を読むという形式をとらないものですから、まったく違うことを言ってしまいました。

 ここに概略を掲載させていただきます。





 新年度を迎えることができました。
 多くの優れた先生方をお迎えすることができました。
 是非とも、諸君たちは、先生方に食らいついて、なんでも吸収していただきたい。県銚の先生方はどの先生方も優れた実績をお持ちです。
 これはほんとうに諸君たちにお願いしたい。

 ここに校長会の研究紀要があります。
 (壇上で掲げて)
 今朝まで言うか言うまいか迷ったのですが、県銚の先生方で出身者もおられるので。
 ここに佐原高校の進学指導重点校としての実績が発表されています。
 現役での国公立大学の合格数が発表されています

 さて、その実績ある佐原高校が、取り組んでいることは、進学指導のシラバス、これは県銚でも作って実践しています。
 さらに学習時間確保週間の実施。これは年に7回、2週間程度の期間、学習時間を記録させて、指導の資料とするものです。

 「授業力の向上」を目指してもおられる。

 このような佐原高校にあって、なおかつ「進学実績を上げるためには、全人教育が大切」だとされています。

 全人教育とは、知・徳・体のそれぞれバランスのとれた人間になろうとするものです。勉強も、体力も、徳育もというものです。

 わたくしは、スポーツジムにおいて、6キロの鉄の棒で素振りの練習を欠かしません。武道をやるものとして、腕の力を鍛えるのは、わたくしの部分としての能力の育成です。
 勉強もそうなのです。
 部分としての地道な勉強が欠かせないのです。

 先週、つまり一昨日の土曜に、小学生の時から柔道教室で鍛えてきた生徒からうれしい報告がありました。
 慶応大学の法学部に合格したそうです。
 ほんとうは東京大学をねらっていたとのことでした。
 幼いときから、顔が曲がるくらいに柔道の稽古を重ね、鍛えに鍛えて柔道もレギュラーをはっていました。
 これこそ、本当の全人教育の鏡です。
 青白きインテリではいかがなものかと思うからです。

 大新聞社系の週刊誌で、国立の難関大学ベスト20とか発表されていて、これについては賛否があるでしょうけれども、わたくしは毎年大変楽しみにしています。(母校が出ているからです)

 わが県銚も掲載されるようになっていただきたいと楽しみにしております。

 わたくしは、あと3年くらいしか、教員をやることができません。
 どうかわたくしが生きているうちにと、お願いしたい。

 最後に、毎回同じことを言っていますが、今日も言います。

 松下村塾の吉田松陰先生は、弟子たちに「頑張りなさいませ」と、毎日帰りぎわに言っておったそうです。
 今日もわたくしは言いたい。
 「頑張りなさいませ」と。 

 この中から平成の高杉晋作が出るかも知れませんから。



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始業式レジメ

2009年04月06日 07時59分10秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
もっと向上を

                                校長 外山日出男

 平成二十一年度一学期の始業式にあたり、諸君たちに期待するところを述べたいと思う。
 いよいよ全学年男女共学になり、ますます我が県銚の存在することの意味が問われることとなった。
 先生方は諸君たちの、進路実現にむけてあらゆるご指導をしてくださると思う。時に厳しく、時にやさしく。諸君たちはそれに応えてほしい。やればやるだけできるはずである。努力の成果は自己に正直である。
 スポーツをやっている人はよく理解できるだろう。スポーツのテクニックだけをいかに練習しても、それには限界がある。小手先だからだ。柔道でもそう。小手先のテクニックだけを、まるでマニュアルのように記憶してもそれは実践には使えない。試合になると負けてしまう。実践は、マニュアルではない。
 そういうのを「術」のレベルという。
 むろん、術をマスターしていなければ、話にならない。基礎的な技への入り方、入るチャンス、力のバランスの取り方を自ら工夫しなくてはならない。
 講道館柔道は、柔術と言った。古来からの武術を、現在の筑波大学の前身である東京高等師範学校を作った嘉納治五郎先生が、柔道と名付けられた。術から道へ。単なるテクニックから、知徳体の向上を願うものに昇華された。そこには自ずから学ぶ姿勢がある。自己を鍛え、向上させる方法に満ちている。
 自ら学ぶものでなくてはならない。
 自己を鍛えるということはそういうことである。向上心を持って
学んでいただきたい。可能性を自ら捨てることはない。無限の可能性を持っているのが諸君たちである。どれを伸ばし、どれを鍛えるかは自分の選択である。選択のためには、やはり選択できるだけの力がなくてはならない。その力を養成していただきたい。

 昔の剣道家は、重い鉄の棒を素振りで千回も振り回し、それが十分できるようになってから、稽古にいそしんだという。それからでないと竹刀稽古はさせてくれなかったそうである。基礎体力の重要さが武道では代々伝わってきたのである。基礎体力は、実践しないとつかない。やってみなくては力のつきようがない。あるいは教わるだけでは向上しない。教えていただいたことを、千回の素振りのように繰り返し実践することでマスターすることである。学問もまったく同様である。
 本校の先生方に聞いてみること。質問してみること。先生方は、すさまじい努力をしてこられたのだから。きっと役立つアドバイスをいただけると思う。
 新年度、ますますの努力をお願いしたい。
 「頑張りなさいませ」(吉田松陰の弟子たちへの言葉)である。
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/