マインドマップ法というやり方を好むのですが、どうもこれは概略を理解するには適しているものの、図解に基づく列記法ですからレポートを書く際の細部の構想にはいかがなものかと感じました。
師匠とお慕いしている先生にいろいろとメールでご指導をいただいて、ちょっと方針転換をしなくてはならないと思ったのです。
で、やったことは情報カードを前に置いて文献を徹底的に読み込むという作業を毎日のように繰り返しております。この夏休みは、ずっとそればかりをやってきました。
学校をお預かりしているのですから、しっかりとした教育哲学がなくてはなりません。まだまだです。まだまだ人に誇れるものもなし。あったとしても、誇れるようなものならば、そんなことは誰にも言ってはなりませんが、ね。
学校のために、生徒のために何ができるのかという視点から考えています。
学ばぬ者には教える資格はありません。
若いときからそう教わってきましたし、自己満足して、いっぱしの指導者ぶっていてはならぬと思うからであります。それは親になった今もそうです。いっぱしの親ぶってみてもはじまりません。いまだに自己コントロールもできないのですから。焦りもあるし、怒りもあるし、憤りもある。感情を一定にして、平気でおることもできない。そんな人間が他人の悪口なんぞ言えるわけもない。天に笑われるのがせいぜいでしょう。
家族とは何かということも、カードに書きためています。
いろいろな事件がまた起きています。心痛める事件が。特に幼い子供たちが犠牲になった事件には、涙が出てきます。孫がいてもおかしくない年齢ですから、よけい身につまされるのです。家族とは?と考えさせられます。なんのために家族を持つのでしょうか。持ったのでしょうか。そんなことを考えさせられます。
ほんとうに家族について考えさせられます。
根底の単位だとは思います。また、学校はそこに限定的にしか関われません。だからこそ家族の本来的あり方というものを考究しなくてはならないと思うのです。
天童荒太先生の「家族狩り」の4冊目に入りました。
カードを取りながらです。
限界の話がこれでもか、これでもかと出てきます。教育を考える上での事例にもなります。機会があれば、これで大学生あたりとディベートをしてみたいものです。どう考えるのかということをです。高校生ではまだまだでしょうから。もっとも、教育学部進学を考えている在校生もおるようですから、卒業するまでには一度やってみたいことの一つです。
パスワードで制限したカテゴリーに、わたくしの作った事例を載せておいて、それを読む。そして、対話をする。
サンデル教授の受け売りですが、ね。
ハーバード大学と同じことをしようとしてもそうは問屋がおろしませんか、な。
でもやってみたいことの一つです。
今日は午前中学校にいて、午後から休暇をとって世間の義理で黒のネクタイをしめて、あちこちまわっておりました。その午前中に、学校で気合いを入れて自学自習をしていた3年生がおりました。
いいものであります。
実にいい。
そんな夏の気合いを入れた姿も、来年限りしか見られません。
貴重な一度限りの経験であります。
時間を、体験を大切にしていこうと思った次第です。
また来週!
師匠とお慕いしている先生にいろいろとメールでご指導をいただいて、ちょっと方針転換をしなくてはならないと思ったのです。
で、やったことは情報カードを前に置いて文献を徹底的に読み込むという作業を毎日のように繰り返しております。この夏休みは、ずっとそればかりをやってきました。
学校をお預かりしているのですから、しっかりとした教育哲学がなくてはなりません。まだまだです。まだまだ人に誇れるものもなし。あったとしても、誇れるようなものならば、そんなことは誰にも言ってはなりませんが、ね。
学校のために、生徒のために何ができるのかという視点から考えています。
学ばぬ者には教える資格はありません。
若いときからそう教わってきましたし、自己満足して、いっぱしの指導者ぶっていてはならぬと思うからであります。それは親になった今もそうです。いっぱしの親ぶってみてもはじまりません。いまだに自己コントロールもできないのですから。焦りもあるし、怒りもあるし、憤りもある。感情を一定にして、平気でおることもできない。そんな人間が他人の悪口なんぞ言えるわけもない。天に笑われるのがせいぜいでしょう。
家族とは何かということも、カードに書きためています。
いろいろな事件がまた起きています。心痛める事件が。特に幼い子供たちが犠牲になった事件には、涙が出てきます。孫がいてもおかしくない年齢ですから、よけい身につまされるのです。家族とは?と考えさせられます。なんのために家族を持つのでしょうか。持ったのでしょうか。そんなことを考えさせられます。
ほんとうに家族について考えさせられます。
根底の単位だとは思います。また、学校はそこに限定的にしか関われません。だからこそ家族の本来的あり方というものを考究しなくてはならないと思うのです。
天童荒太先生の「家族狩り」の4冊目に入りました。
カードを取りながらです。
限界の話がこれでもか、これでもかと出てきます。教育を考える上での事例にもなります。機会があれば、これで大学生あたりとディベートをしてみたいものです。どう考えるのかということをです。高校生ではまだまだでしょうから。もっとも、教育学部進学を考えている在校生もおるようですから、卒業するまでには一度やってみたいことの一つです。
パスワードで制限したカテゴリーに、わたくしの作った事例を載せておいて、それを読む。そして、対話をする。
サンデル教授の受け売りですが、ね。
ハーバード大学と同じことをしようとしてもそうは問屋がおろしませんか、な。
でもやってみたいことの一つです。
今日は午前中学校にいて、午後から休暇をとって世間の義理で黒のネクタイをしめて、あちこちまわっておりました。その午前中に、学校で気合いを入れて自学自習をしていた3年生がおりました。
いいものであります。
実にいい。
そんな夏の気合いを入れた姿も、来年限りしか見られません。
貴重な一度限りの経験であります。
時間を、体験を大切にしていこうと思った次第です。
また来週!