

また記事にしていただきました。
大衆日報様です。
今日の朝刊です。
大衆日報様は日刊の新聞ですから、銚子市内の方々には本当にファンが多い。したがって県立銚子への応援もいただいております。
感謝のみあります。
ほんとうに地域の方々に愛されていると感じます。
ほんとうに、その期待に応えないといかんと思います。
こういう地域との関連性を持たせていただいている学校がありましょうか。
自負できることであります。
江戸時代の藩校のようであります。
藩校から旧制中学、新制高校になったような伝統校は地域の方々の期待度がまったく違います。最近でこそ地域に根ざすなんとかとか、教育界で言われるようになりましたが、それは藩校の時代からすでに言われていたことであります。
肌で感じます。
ですから、自ずから節制する。
自己を戒める。
貧困に悩んだ藩を救うために創立された意義を再確認をする。
そこには自分勝手がありません。
自己の救済のためだけに学問をしたのではないということを学びます。
人間は意味を感じるからこそ、活躍できるような気がします。
多くの俊秀が感じてきたことが地域文化として根付いているわけです。
そういうのが伝統なのです。
そういうのが文化なのです。
今日は、お世話になっている中学校様に郵送をしようとしておりました。
校長室でせっせと封筒に大衆日報をはじめとするそれらの資料を入れてのり付けしておりました。
こんな仕事で先生方のお手を煩わせたらそれこそ生徒諸君たちに申し訳ありません。
将来の日本を背負う人物を鍛えておられる先生方のじゃまをしていけません。
尊い仕事であります。
これほどすばらしい教育的営みはない。生徒のニーズに応えるということは、最初から視点が他にある。これが尊いのであります。
自戒のみあります。
ですから、わたくしひとりで楽しんでやっておりました。これでけっこうのり付けも難しいのですよ。
きれいに貼るにはこつがあります。
見ていただくという感謝の気持ちです。これが無いといけません。
中学生の顔が見えそうです。
これを見ていただいて、県銚をどう思ってくださるか。
実に楽しい作業であります。
しかし、宣伝ばかりが高校の本質ではないと思っております。
むろん建物ばかりでもない。新しければいいというものでもない。
要するに中身です。
十年一日のごとく、古ぼけたノートを読み上げているような授業では話になりませぬ。
これでいいのだと自己満足をしたときから、停滞が始まります。
あの人は安逸を志向していると言われた時から、懶惰な人生が始まります。
要するに楽をしてはいかんということです。
なんだってそうです。
安逸のまま生きようとしたら、それはキリギリスでしかないのです。
実社会は怠け者には厳しいのです。
怠け者なのに、自分はいつかきっと成功するというのもそれはそれでいいのでしょう。
しかしそれが隠れ蓑になってはいけません。
自分は群を抜く俊秀であると自分で評価する人はおりません。
もっと厳しく言えば、決してうぬぼれてはならないと自戒すべきです。
不断の自己向上があってこそであります。
不肖わたくしも何度もここに書いていますように、学んでいます。
非常に多忙です。
大学の先生方ともおつきあいさせていただき、学ばせていただいているからです。
ご指導もたびたびいただきます。
根本の哲学がおかしい、緻密な読解力に欠けると言われることもあります。
ありがたい限りです。
大学の教授が何人か高校の同級生におります。
彼らは実に勉強家であります。
ほんとうに尊敬しています。
努力の虫であります。
本のマンションまで借りています。
そこで、論文やレポートを書いているのです。
当然、不肖のわたくしとしては、憧憬します。
真実うらやましい。
努力、努力、努力ですよ。
それしかないのです。
老兵のわたくしですら、論文という形でアウトプットしているのですから。
諸君たちの時代には、凄まじい勢いでインプットすべき時期でありましょう。
がんばってください!