宿のすぐ近くの和泉式部の墓と書いてあった史跡です。
歩いて3分くらいです。
今日は二日目です。
班別の見学に、元気で出かけていきました。
天候は小雨。ふったりやんだりであります。
ちょっと傘がないと厳しいかもしれません。
気温は高め。
25度だそうです。
上着不要かもしれません。
昨日ほどではありませんが、あまり天候が良くないようです。しかし、雨量は昨日ほど
ではないようです。
それにつけても、昨晩生徒全員が入浴したので、それから一人で地下の大浴場に行きました。きちんと整理をしてありました。すばらしい学校です。湯おけ、石鹸、洗い椅子も一糸の乱れもない。わたくしも湯室から出るときに、床を拭いてきました。湯おけも、すべてきちんとして参りました。こういうことをご家庭できっちりと指導されているからできるのでしょうね。すばらしいことであります。実にすばらしい。
これから生徒たちを班別の見学に送り出して、これなら大丈夫だと確信しました。
なにを思って出かけたのでしょうか。
古都にどういうイメージを持っているのでしょうか。
今日は、わたくしは宿のすぐ近くの私立大学に学校参観をさせていただいて、戻ってきて外の食堂で昼食。ランチバイキングでした。さらに歩いて5分のところの古書店を。
午後から読書ざんまいです。なにかあったら携帯で行動できるよう待機しています。
昨晩、生徒が就寝してから、知を愛するということを扱った文庫本(反哲学史 木田元先生著 講談社学術文庫)を千葉から持参してきたので、寝床で読んでいたのです。そしたら、はねおきました。
これはソクラテスが言ったのですが、プラトンの響宴に書いてあるのですけれども、愛するというのは必ず何か対象を愛するということで、わがものにしようとすることであるとあったのです。そしたら、愛していることとは、まだわがものになっていないからということになるという部分です。
するとです。
知を愛するということは、まだ知が自分のものになっていないからであるということになるとソクラテスは言っているのです。
若干の論理の破綻がありますが、これはしかしながら、実におもしろい指摘です。
そうすると、わたくしのような者は、無知そのものではありませんか。まだまだ追求していかなくてはならないことがたくさんあります。
古都のことも、まだまだ知らない部分がたくさんあります。
日本書紀も、古事記も、万葉集もまだまだ完全にわかったわけではないからです。
修学旅行のような団体で来て、知らないことに目覚め、それから自分で勉強を始める。これはすてきなことでありましょう。
無知を知る、それからスタートすることもあるということです。
そんなことを思いました。
また明日!
明日は大阪です。