今日は土曜日。
柔道教室の日でした。
しかし、柔道教室の稽古は、ずっと中止です。
ちびっ子たちが、受け身を忘れてしまっているのではないかと心配しています。
伸び盛りの子どもたちです。
鍛錬には時期というものがありますから。
しかし、被災された方もいると聞きます。
まことにもって、生活基盤あっての学問、心身鍛練、人格養成であります。
国家にとって、ほんとうに生活基盤というのは重要であります。ここからは、政治経済の分野になりますから、黙します。こんなわたくしでも、その方面には意見もあるからです。今は、黙っていましょう。
しかし、わたくしの母校をつくってくださった上杉鷹山公は、そういう生活基盤と学問、心身鍛練、人格向上を徹底的に考えた方であります。貧窮に泣いた米沢藩にあって、いろいろな産業を興し、生活基盤を確立させ、しかも教育を最も重視した政策を行ったわけであります。
そこのところが、今風に言えばアイデンティティの確立であったわけであります。もっと簡単に言えば、深い読みができた方であります。
一つのことしか考えられないのではいかがなものか。
カァーとなって、キレタとかなんとか言って、単純だけを取り柄にしておってはいかんと思います。
深読みができるかということを、もっともっと極めたいと思うのであります。
事実、人間観察に優れた方は、恐ろしいまでの迫力がある。
そういう方は、人間をけっして表層では見ない。
学歴とか、資格とか、美男美女とか、高そうな衣服を着ているとか、いい車に乗っているとか、そういう問題・レベルではない。そんなものは、人間存在の消滅であとかたも無くなってしまいます。
ハイデガーの言うとおり、人間は存在ということに気がついたときに初めて知ることがあるからです。
※それはなんでしょうか?始業式までの宿題にしましょうか。こたえられる生徒であってほしいです。
大震災では、ほんとうに在校生諸君にも訴えてきたように、人間存在そのもの、自然とは何か、自然のメカニズムとは何かという学問の先祖返りを経験させていただきました。
生きるとはなにか。
犠牲になられた方々の無念さを思うにつけ、今、生きていることの意味を問い、生死の、あるいは存在していること、させていただいていることの意味を問うことの重要性を考える日々でありたいと、今日も考えたのでありました。
大震災で犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。