フェイスブックをやっています。
新しいツールで広報活動をさせていただいています。
次々と登場してくるそういう手段で、県銚のことをもっともっとご理解いただきたいと思っています。
大学の先生方が、いろいろ激励をしてくださいます。
ありがたいかぎりです。
ツイッターの特集をきょうのNHKで、夜8時からやっていました。大震災でいかにツイッターが活躍したかという観点からの番組でありました。
途中でわたくしの部屋に引き上げましたが。
今日学校でやるはずだった仕事を茅屋でやることになりました。
ミッションがあるからです。
しかし、それは基盤あってのこと。
生徒のためにという視点がなくてはならない。
立場にはいっさいこだわりませんが、生徒のためにという視点は重要視します。
それでなくては教員ではない。
妙なこだわりとか、立場とか、そんなものはまったく興味がない。
したがって、新聞に教員人事の発表があってもまったく関心がありません。
関心があるのは本校関係の先生方のみ。
読みもしないし、眺めもしない。そんな時間があったら、勉強した方がいい。
時間の無駄。
どうせ、誰かがどうなったとかなんとかというのは、風が、なんとなく運んでくれる。
まったく興味なし。
そんなのは聞けばいいのですから。
色鉛筆を持って、マークしている人間の気が知れない。わたくしはそんなことをしているより、学校のことを考えなくてはならない。
作家の丸山健二は、非常に若くして芥川賞を受けました。大好きな作家です。
彼の生きる姿に憧憬しています。釣りとか、バイクとか趣味まで一緒です。ヘアスタイルも一緒です。
そして、彼の作品の中に「犬的精神の発露」という単語があって、わたくしはそれに激しく同意します。
つまり、犬にだけはなってはならないということなのです。
犬的精神を持ったら、堕落であります。
茅屋にも、16歳になる紀州犬がいます。
彼は、犬なのに、けっして媚びを売らない。飼い主であるわたくしにも媚びない。下手したら噛みつかれる。もっともこれまでも、なんどか噛みつかれましたがね。教員人生といっしょです(笑)
しかし、彼の生き方は実に小気味がいい。
だれにも媚びないで、狭い我が茅屋の庭を番している。こだわりがある。これだけはオイラの人生だというこだわり。これは偉いことです。思い込みの激しさという点で。
しかし、すっきりとした姿。見栄えがいい。男らしい。
さらに、年をとっても贅肉はない。
すきっと背を伸ばして生きている。
孤高を愛し、たまに気が向いたときだけ、飼い主のわたくしと対話する。
いいものです。
実にいい生き方です。オオカミに近いのではあるまいかとも思います。若干変わり者であるという資質はいかがなものかとは思いますがね。
わたくしにも飼い主なんぞいないのです。
誰も信用してくれませんでしたが。
こんなわたくしでも、自尊心だけはあるんですよ。
ほんとうに。
ただし、対話だけはします。いつでも。気が向いた時だけやっていたんでは、これは関係性の中で生きているのが前提の人間のすることではない。
しかも、関係性の中で生きるというのは、これは仕事ですから。学校というのは関係性で成り立っている組織でもありますので。
ですから、自尊心のある方と対話をしていると実に楽しい。
学ぶべきことも多々あります。自尊心のある方は、文脈で考えることができるから、表現の勉強にもなる。実にウイットのきいたひねくれた表現をなされる。これが一番勉強になります。単細胞ではないからです。
時々、物事をいかにひねって受け取るかという訓練にもなるのが玉に瑕でもありますが、ね。
それもまた対話法を編み出した、ソクラテス大先生の思うつぼ。
真に頭のいい方というのは、立派な大学を出たからというのではなく、文脈で考えられるかどうかということでありましょう。人生60年。やっと気がついた事実であります。
全部自分に言って聞かせているんですが。あ、もっとも愚生は人に自慢がてら吹聴できるだけの履歴なんぞありませんがね。全部独学でありますから。通信教育も4つほどやってきましたし。自分のためにはなっても、まったく人にどうだすばらしいだろうなんていうホラもふけません。わらわれっちまうですな。まったく。
また明日!