・構造主義的には、このようなブログの記事を書くのは、わたくし個人が書いていると言うよりは、他者が書いているというべきなのだそうです。
・ちょっと驚いているのですが、そういうこともあり得るのかなぁと思いつつ、今日もこたつに入ってTablet Computerとにらめっこ。
・確かに構造主義の学者先生の言われるように、少なくともわたくしのブログの場合は、最初に言いたいことがあって、書き始めるのではないようです。
・これをあまり言い過ぎると国語教育の大家たちにしかられそうですから、このあたりにしておきますが、どうも真実のような気がしてなりません。
・有名作家が、自分の文章が試験に出て、その問題が送られてきて、「作者は何を言いたいのか」という設問にはたと困ったという笑い話は、構造主義者からみたら当然なのだそうです。これは実に楽しい推論であります。
・自分から離れていってしまうからでありましょう。文章自体が。
・今日は卒業式の式辞を再考しておりました。上記のような観点から考えたら、どうも気に入らない。しかも、また和歌から入った初稿を書いてしまったからです。ある意味、定型ですから、和歌から入るのは非常に楽であります。
・式辞というのは、ある要素があって、その要素がいくつかの点になって、構成されているわけです。体系とはちょっと違った配列でならんでいます。それを定型化するというのは、いかがなものか。
・つまりそういう定型化の中に安住している自分であってはならないわけであります。変化がなければならない。
・しかも教員生活で最終最後の卒業式の式辞であります。卒業生に対しても、定型化で応じるのは失礼になる。わたくし自身としても、そこには思い出を込めたい。そして、思いの丈を述べてみたい。
・これまでの入学式でも、卒業式でも注意深い生徒は、わたくしが原稿を棒読みしているのではないことに気がつかれたと思います。わたくしは、式辞原稿は作成しますが、式辞の用紙の上端から会場を見ながら発声しているのです。本当は、なにも持たないで、直接語りかけるのがいいのでしょうが、このあたりはアメリカとは違っていますから、それこそ世間並みにさせていただいています。
・世間並みという言葉は好きではないのですが、ま、仕方なし。
・あまり世間並みということばかりを気にしていると、横の、あるいは横並びということしか気にしなくなり、群衆となって走り続けてしまいます。それもまた大切なことなのですが、群衆となって走り続けることでその先が断崖絶壁であったらなんとしようということを考えないのでありましょうか。
・たまには横に走って危険性を遺棄するというのがいてもいいのかもしれません。そういう異端がいないと、生物学的には、種の安定が図られないのだそうですね。理科の先生に確かめましたから、間違いないのでしょう。
・世間学も、異端も全部視野に入れて、成長していってください。複眼的な思考ができるということが、ある意味で大切なことであります。
・俺は、私は個性的な人間だという人もたくさんいますが、個性というのもたった一つなのでありましょうか。わたくしは大いに疑問に思っているのです。昔からです。エレキギターをやっているから、バンドをやっているから、ダンスをやっているから、あるいは芸能人を目指しているから個性的に生きているんだと言っていた同級生がいましたっけ。それは同質の集団内では類型化ともよぶべき現象であって、実は特異性もなにもなかったのであります。自分だけで、個性的に生きていると思い違いをしていただけだったと、本人から聞いたことがありました。自分で納得したのですから、それはそれでいいんでしょう。他者であるわたくしの範疇外であります。
・個性というのはいろいろあって、それぞれ使い分けて生きていってもいいのではないのでしょうか。
・たとえばこのブログの記事だって、Aという個性を意識しながら書いているわけです。素のままの顔で書いているわけではありません。素のままで生きようとするからトラブルのです。根っからすばらしい人で、善人で、愛情あふれる方で・・・・・・・そういう個性をずっと永遠に持ち続けることができる人がいないのと同じです。
・愛を説く人、善行を説く人、親切を説く人・・・・・・いろいろおられます。そういう方々はそのような個性をご自分が持っておられるから、説かれるのではありません。「説く」という一面に限って、そういう個性を演じておられるのであります。絶対的な上位の価値観というのは、人間の行動とは一致していませんから。もしおられたら、そういう人は限りなく超越者に近づくことになります。
・道徳教育の困難さはここにあります。けれども、教育としてやるしかない。そこから工夫が始まります。
・おとなたちは、自分の限界に気がついている。しかし、若い方々はまだわかっていない。それが若さの特権でありましょう。だからこそ、努力できるのです。一心不乱に。また、それくらいの覇気がないと、いけません。
・がんばりましょう!
・また明日・・