・マラソンの川内選手の東京マラソンを観戦した。さらに今日は天下のNHKが、夜の10時くらいに彼の特集をやっていた。録画もしたが、見てしまった。最後まで。
・好漢ここにありである。そしてなぜ彼が共感を持って見られるのかということを考えた。それは、彼が高校の事務職員としてきちんと仕事をしながら、いわゆる市民ランナーとしてがんばっているからである。
・微妙な立ち位置であると思う。相当苦しいのではないかとも思う。
・いわば二足の草鞋をはいているようなものだからだ。働きながら通信教育で学んでいるようなものである。
・だから声援したくなるのである。たいした青年である。もっとも同じ教育関係者であるからかもしれない。
・レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯Ⅱ」(中公クラシックス)を今日購入した。スポーツジムに行く前に、ショッピングセンターの内部にある書店である。実は前からほしかった。斜めに眺め、手にとって眺め、深いためいきをついて眺めていた。ほしいのだが、ついていけるだろうかという不安があったからである。買ったはいいけど理解できないのではないかという不安である。
・なぜほしかったのかというと、写真が豊富にあって、なかなか楽しめるからである。なんだそんな程度かと笑われるかもしれない。それともう一つ。本校の事務職員がストロースのファンであったからである。つまり、川内選手とこれでつながったのである。愚生は付録であるが。
・彼はインディオ社会の実地調査をした人類学者として紹介されるのだろうが、哲学教師をリセでやったことでも知られるように、実は西洋の知的社会で大きな影響をもたらしている。59年コレージュ・ド・フランス社会人類学講座の初代教授とも紹介されている。
・実は構造主義を知る上では必須の基本書である。これまで入門書を数冊じっくりと読んできたので、そろそろ本物にあたってみたくなったというわけである。訳書である。なんとか読めるかもしれない。
・専門書というのは、基本的な知識をすでに持っているという人々を相手に書かれているから、本当に初学者には不親切である。理解できないのだ。わからない?・・そりゃおまえさんが悪いというようなものである。
・入門書というのは、基本を知らない、あるいはこれから基本的事項を学習していこうとしている人を相手にしている。だから実にありがたいのである。
・見栄をはることはない。書庫の書籍は自分が楽しむのであって、他人に見せるために買っているのではない。これは本当にそうである。
・碩学の川田順造先生が、和訳に12年もかかったと言われているとおり、ほんとうにこういう先生の深い学恩でもって、初学者の愚生でも楽しめるということに感謝である。ほんとうにありがたいことである。
・目次を見ると、もっと楽しい。
・第6部に「ボロロ族」第7部に「ナンビクワラ族」第8部に「トゥピ・カワイブ族」とあって、特に興味をもったのが、第6部の「生者と死者」、第7部の「男、女、首長」である。
・なぜ興味を持つのか。死生学をかじってきたという故もあるけれども、これまでの知的体験ともまた違った感じがあるからである。
・それは、われわれ人類のことがいちいち腑に落ちるというか、これまでずっと疑問に思っていたことが明確に指摘されているからである。
・ストロース先生の受け売りでしかないのだけれども、親族のことや、結婚観といったもの、近親でのタブー等々について実に慧眼で書かれていると感じるからである。たいしたものであると日々ため息ばかりついているからである。
・学者という方々の生き方のすさまじさに触れて、ああこんな世界に一秒でもいたら愚生なんぞは・・・と思ってしまうからである。
・もっとも、愚生ごときものが、学問の世界についてコメントしていたら、わらわれっちまうですけどね。
・なんだかそういう意味で、凄さを感じるのである。
・それはマラソンの川内選手についても同様なことを感じるのである。
・二足の草鞋であるから、純粋なプロとは言えないし、そんなことを言ったら失礼になる。
・徹底ぶりに、凄みを感じると言ったらいいだろうか。
・仕事もやる、マラソンもやる。しかも半端な努力ぶりではないからである。
・そういう真摯なる姿に感じるものがあるのではないのかと思うのである。
・応援してます。川内選手。今日のテレビを見ていたら、ありゃぁ愚生と同じヘアスタイルになっていると驚いたからであります。
・頑張れ、頑張れ。
・また次回に!
・好漢ここにありである。そしてなぜ彼が共感を持って見られるのかということを考えた。それは、彼が高校の事務職員としてきちんと仕事をしながら、いわゆる市民ランナーとしてがんばっているからである。
・微妙な立ち位置であると思う。相当苦しいのではないかとも思う。
・いわば二足の草鞋をはいているようなものだからだ。働きながら通信教育で学んでいるようなものである。
・だから声援したくなるのである。たいした青年である。もっとも同じ教育関係者であるからかもしれない。
・レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯Ⅱ」(中公クラシックス)を今日購入した。スポーツジムに行く前に、ショッピングセンターの内部にある書店である。実は前からほしかった。斜めに眺め、手にとって眺め、深いためいきをついて眺めていた。ほしいのだが、ついていけるだろうかという不安があったからである。買ったはいいけど理解できないのではないかという不安である。
・なぜほしかったのかというと、写真が豊富にあって、なかなか楽しめるからである。なんだそんな程度かと笑われるかもしれない。それともう一つ。本校の事務職員がストロースのファンであったからである。つまり、川内選手とこれでつながったのである。愚生は付録であるが。
・彼はインディオ社会の実地調査をした人類学者として紹介されるのだろうが、哲学教師をリセでやったことでも知られるように、実は西洋の知的社会で大きな影響をもたらしている。59年コレージュ・ド・フランス社会人類学講座の初代教授とも紹介されている。
・実は構造主義を知る上では必須の基本書である。これまで入門書を数冊じっくりと読んできたので、そろそろ本物にあたってみたくなったというわけである。訳書である。なんとか読めるかもしれない。
・専門書というのは、基本的な知識をすでに持っているという人々を相手に書かれているから、本当に初学者には不親切である。理解できないのだ。わからない?・・そりゃおまえさんが悪いというようなものである。
・入門書というのは、基本を知らない、あるいはこれから基本的事項を学習していこうとしている人を相手にしている。だから実にありがたいのである。
・見栄をはることはない。書庫の書籍は自分が楽しむのであって、他人に見せるために買っているのではない。これは本当にそうである。
・碩学の川田順造先生が、和訳に12年もかかったと言われているとおり、ほんとうにこういう先生の深い学恩でもって、初学者の愚生でも楽しめるということに感謝である。ほんとうにありがたいことである。
・目次を見ると、もっと楽しい。
・第6部に「ボロロ族」第7部に「ナンビクワラ族」第8部に「トゥピ・カワイブ族」とあって、特に興味をもったのが、第6部の「生者と死者」、第7部の「男、女、首長」である。
・なぜ興味を持つのか。死生学をかじってきたという故もあるけれども、これまでの知的体験ともまた違った感じがあるからである。
・それは、われわれ人類のことがいちいち腑に落ちるというか、これまでずっと疑問に思っていたことが明確に指摘されているからである。
・ストロース先生の受け売りでしかないのだけれども、親族のことや、結婚観といったもの、近親でのタブー等々について実に慧眼で書かれていると感じるからである。たいしたものであると日々ため息ばかりついているからである。
・学者という方々の生き方のすさまじさに触れて、ああこんな世界に一秒でもいたら愚生なんぞは・・・と思ってしまうからである。
・もっとも、愚生ごときものが、学問の世界についてコメントしていたら、わらわれっちまうですけどね。
・なんだかそういう意味で、凄さを感じるのである。
・それはマラソンの川内選手についても同様なことを感じるのである。
・二足の草鞋であるから、純粋なプロとは言えないし、そんなことを言ったら失礼になる。
・徹底ぶりに、凄みを感じると言ったらいいだろうか。
・仕事もやる、マラソンもやる。しかも半端な努力ぶりではないからである。
・そういう真摯なる姿に感じるものがあるのではないのかと思うのである。
・応援してます。川内選手。今日のテレビを見ていたら、ありゃぁ愚生と同じヘアスタイルになっていると驚いたからであります。
・頑張れ、頑張れ。
・また次回に!