・自分だけにある適性とか、自分にぴったりの仕事とかを捜していくことを、自分探しの旅をするのだと称して、一生涯追求する方がおられます。
・これはなにも今日後期試験志願の日であったから、思いついた話題ではありません。
・自分とぴったりの仕事とか、友人とか、あるんでしょうか。完璧なと言う意味で。つまり、ほとほと人生は適性の点でミスマッチが多いと思うからであります。
・ミスマッチがあることを前提に、就職情報産業はあるのではないかと思うくらいであります。
・ということは、この話の前提として、この広い世界に、たった一つだけの自分の適性にぴったりあったたった一つの仕事が、学校が存在するという思い込みがあるわけです。
・ですから「自分にあったこれ以上ない適性の**」を求めて終わりの無い旅に出ることになるわけであります。
・わたくしたちは、間違う生き物であります。 完璧ではないからです。
・チェーホフが言っています。誰にでも、どのような環境であっても、結構楽しく生きていくことができるのが、そういう能力がそなわっているのが人間である、と。(『可愛い女』)
・わたくしは、国語教師ですが、こんなに適性のない科目はなかったと思っています。高校時代に教えていただいた先生方は、どなたも深く深く肯定されることです。そうです、国語が嫌いだったのです。できないから、勉強を始めてみたのです。知らないことが多いから、知るために勉強をするわけです。もうこれで一生を終えてしまいますが。
・さらに、旧制女学校の校長をやるということでも、適性がない。野獣のような風貌であるからであります。(とほほ)
・武道愛好者としても素質は限りなくゼロ。わたくしは、武道をやるような優れた体格には恵まれませんでしたし、ベンチプレスもMAXで120キロしか上がらなかった。さらに、小さい頃はすぐ風邪をひくような虚弱な子どもでありました。
・一番適性のないところを選択したら、それが職業になって結構楽しくやってきたのかもしれないというのが実感です。つまり「どんな仕事でも楽しくこなせて、どんな相手とも楽しく暮らせる」ということを、努力してやってきたのです。
・ですから胃がツンツンと痛くなるようなことを言われても、けっして気にしないし、そういう相手の発言を分析して論理矛盾をメモしたりして、楽しむ余裕ができるようになりました。
・そもそも絶対の立場とか、絶対の前提というのは存在しないわけであります。注意深くお聞きしていると、前提自体を一度再検討されたらいかがですかと申し上げたい位の方がおられる。
・自分個人の価値観は全部の人に普遍的に通用するわけではないからです。だから、教育は難しくなるのであります。もっと言えばそのために学習指導要領が必要となるわけであります。
・確かに人生にはミスマッチが多く、時にはそれが取り返しのつかないことになることもありましょう。それはそれで充分留意していただきたいことであります。全てを棒にふることはないからです。
・注意して生きていれば事故は起きません。このことだけは自覚していただきたいのです。
・それでも人に厳しくあたる人がいます。スリッパのそろえ方が悪いとか、歩き方が良くないとか、あるいは訛っていてよく発音が理解できないとか、ヘアスタイルが良くないとか(これって、全部わたくしのことですね=ヘアが無いのにそんなことを言われても)・・・そういう方がおられる。
・そういう方とまともにやり合わないことです。むしろこんなわたくしのことを思ってくださっているのだ、そう思うから注意してくださるのだと受け止め方を工夫していくことです。
・得意がって、論理性もなにも無いでたらめな自説を展開していると、どこでしっぺ返しをくらうかわかったものではありません。そもそも、自説なんていうものも構造主義的には存在しないからです。だって、書いたり話したりしているこのわたくし(主体)の、書くものや話すことは、過去において学んだことというその一点において「他者」の受け売りでしかないのですから。それが、「主体と他者」ということでもあります。
・それくらいの謙虚さはいくらなんでもわたくしでも持っているつもりであります。
・また次回に・・