・今日は、銚子の文化会館でNPOのBeCOM様主催の「日本語暗唱教室の大会」であった。これは小学生の日本語の暗唱を(資料は古典等)を発表するもの。代表のN氏がひょんなことで、愚生のブログの存在を知るところとなり、これまでお手伝いをさせていただいた。これも今年で最後になる。
・よくまぁ愚生のようなものでも使っていただいたものである。
・お礼奉公ではないが、審査をさせていただいた。楽しいことかぎりなし。基本的に、小学生が好きなんだろうと思う。(あっちは怖いおじぃさんとしか思っていないだろうけど)
・審査だから、タブレットのコンピュータを机の上に置いて、点数をつけていた。持ち込みである。
・教育成果は数字ではなかなかはかれないというのが持論だが、(評価は違う)今回は印象批評ということでやらせていただいた。仕方がない。でないと、差がつかない。
・中に、すごい小学生がいた。小学校の一年生である。なんと「桐壷」を暗唱したのである。おそれ入った。実に天才的子役スターを見ているような気になった。
・桐壷?とのたもう方に説明申し上げよう。源氏物語である。そうである。古典の作品中、まったく愚生の理解を超えた世界が展開されている超難解の古典である。
・世の中に源氏物語さえなければ、おそらく愚生はもっとも適性のない国語教師の道を歩むことはなかっただろうと思うくらい「ちょ~なんかい」なのである。
・つまり、まったくわからない世界が源氏物語にはあるからである。だって、愚生の顔を一度でも見たことのある方は、瞬間にわかる。源氏物語の世界には、まったく縁のないのがこの男であろうということをである。
・しかし、知らないということは恐ろしいものである。知らないから、教えていただこう、自分で勉強してみようと思うのが愚生の悪い癖である。
・語句も難解であるから、辞書も数冊買って常時勉強していた。それが悪かった。
・とうとうのめり込んでしまったのである。それが、愚生と源氏物語の出会いであった。(こういうのは時々いるものです。受験勉強をほったらかして哲学や文学をやっている自称余裕人というのが)
・しかも、恩師が源氏物語の構想論を研究されていて、NHKで講義までやっておられた。鍛えられた。実に鍛えられた。感謝と共に先生のご尊顔を思い出す。
・こういう学問的世界をいとも簡単に小学校の一年生が、たんたんと実にたんたんと原文を暗唱して、愚生の前で発表するわけである。
・思わず涙が出た。ほんとうである。まるで孫のようなおさなごが、あんなに苦労して読解をしていた源氏物語を暗唱しているのである。これを感動と言わずして、なにを感動というのであろうか。
・かわいいのである。その発表の仕方もである。表現が実に良かった。
・最後に講評をせよと言われたので、させていただいた。
・たった三つだが、話をさせていただいた。
・一つ目は「地域の教育力」ということである。銚子には大学がある。銚子を「学問の町」として意識しようではないかということである。しかも、BeCOM様のような貴重な実践もある。これである。こういう地道な実践をくぐりぬけている地域は強い。ほかの町にはないではないか。すばらしい実践である。
・二つ目は、暗唱といっても、ただ単に情報を収集して再生しているだけではいけませんよと申し上げた。デジタル時代だからよけいそう思う。再生の天才が、学校秀才である。それでは知っていることしか学ぼうとはしないではないか。あらかじめ知っていることしか勉強しないのでは、知らないことへのチャレンジをしなくなる可能性がある。それではいけませんよと申し上げたつもりだが、だんだん熱が入って、愚生の悪い癖で難解なる語句を用い始めた。
・あっと気がついて(つまり相手は小学生ですよということを)修正しつつ、ごもごもと東北弁ではなし始めた。
・ところが最後の三つ目。大失敗。「主体と他者」ということばを使ってしまった。実態を把握していないという実に悪い例である。
・その後、分かりやすく説明したのであるが、どうも保護者向けの話になってしまったか。
・主体はわれわれ。他者は文化的資本と言い換えてもいいだろう。
・ま、そのまま言ったわけではないが。どんな秀才でも、所詮言ったり書いたりしていることは、他者が書いたことの文化的資本の受け売りでしかないからである。
・もっとも学校は、その文化的資本を学びにくるところである。勝手に学んでいたのでは、独善的になる。方法も師匠に教わることである。是正もしていただくことである。
・そのためには、師匠にすべてを教わるのではなく、自分自身に問題設定がなくてはならない。なにを教えていただきたいのかということを、自分自身が自覚していなくてはならない。
・これは結構重要なことである。
・退職したらこんなことも言えなくなる。書けなくなる。参った、参った。
・あと少ししかこのブログも存在しない。だから最近は字数が極端に増えている。言い残したことがないか、書き残したことがないかということである。
・字数が多くなるのは、愚生の最大の欠点である。いかん、いかん。もっとじっくり書けばいいのだが。つまり論文型ではないのだ。これは改めなければならない。4月から猛ダッシュで論文書き三昧となるからである。修士論文の時も、随分恩師にご迷惑をおかけした。長すぎるのである。なんでもかんでも書けばいいというのではいかがなものかである。(とほほ)
・もっとも、このように「あるひとつの物語を思いつくということもまた相当重要」なのである。書きながら、考える。これである。
・また次回に!