これまでは「賭け」の連続でした・・・
タイトルに書いたことは、外国に単身で留学して、自分で学んでいる方々のことを、云っているのである。とてもとても小生ごときものには真似のできないことであるからだ。志を持つと言うことは、ある意味死を覚悟しているということなのである。それを外国の留学生諸君・諸嬢から教えていただくのである。
逆に小生は、福建省にすら単身で行けないのだから、情け無いこと限りなし。
つまり、たいしたことはないということなのだが、チャレンジだけはしてみたい。まだまだ。
これまで63年くらい生きてきて、「賭け」というか、イチかバチかと勝負をしてきたから、あるいはチャレンジしたから、いろいろな人間関係に恵まれたのだなぁとしみじみ思う。最初から負けることは予想していないから、勝負するのである。宝くじだって、当たらないかも知れないけど、当たる「かも」しれないから買うのである。失敗を予想しながら、賭けに出るバカはいないのだよん。
恵まれた人間関係というと、在籍大学だけではない。こちらも先生方はじめ、非常に数少ないclassmateたちや、いろいろな方々にお世話になってきた。ありがたいこと限りなし。さらに、一番最初に出た母校学部との関係。修士をとった大学の関係。中央仏教学院もそう。放送大学もそう。郷土史もそう。講師をさせていただいている大学でもそう(これかなり強固)。塾関係でもそう。退職した仕事もそうだ。退職しても、今月泊まりがけでの呑み会がある。ありがてぇもんだよん。一応これまでは破綻しないで過ごしてきた。これからはわっかんねーけど。
そして思う。
戦国武将というのはまさに「賭け」の連続であったから、ずいぶんつらい人生だったんでしょうなぁ、と。一瞬の判断で、自分の命が、あるいは家臣団が、消えていってしまうのだから。秀吉だってまるで博打みたいな一生だったからだけど。
さ、今日も居住地の大図書館にいる。夕方まで原稿を書く。師匠に目次を作成しなさいとご指導いただいたから、作ってみたら、とうとう280枚になった。これもまたある意味「賭け」ですなぁ。失敗する可能性も高いし、なにしろ能力がねぇから。評価するのは自分では無いし。
失敗したら、しょうが無いけど。逃げ道は作ってある。原稿を「自費出版」しちゃえばいいんだ(^_^)。尊敬する阿部泰郎名古屋大学教授だって、大谷大学大学院を中退してから、私家版で出版されたのだから。旧制帝大の教授でも辛酸をなめられているのだ。オレなんか、まだまだですよん。
図書館に来る前にNHKの「知恵泉」という番組を見てきた。録画である。
人生において、ある意味チャレンジの無い人生って、つまらんのぉ~ってNHKの向田邦子を扱った番組を見ておもへり。家庭におさまってなくて、異国に留学して、頑張っている方々を見て、しみじみそうおもふ。
「男児志を立てて郷関を出づ 学若し成るなくんば死すとも還らず 骨を埋むるいづくんぞや墳墓の地を期せんや 人間到る処青山あり」 司馬遼太郎 著 『花神』 より。
これだよ、これ。留学生たちのようにいえるか?留学生というのは、まさにこれである。命がけで勉強されているのだ。見習いたいことであある。男児を女子と入れ替えても良いが。
作家の向田邦子で、もう一発!
彼女は、10年おきに賭けに出て、仕事も人間関係もすべてチャラにして、チャレンジの人生を歩んだのだということだった。オレはこういう人生が好きだなぁ。人によっては逃げまくりの人生だという人もいるだろうけど、賭けにでなくちゃ、成功するか失敗するかもわからんではないか。
オレだって、最初から校長になるために教員になったのではにゃぁーいぞな。そもそも教員でえらくなれるような一流の大学を出ているわけでもないし。
教員が楽しいから、楽しんでやっていたらいつのまにかこうなったのだ。在籍大学もそうだ。楽しみたいことがたくさんあったから、こうなったのである。博士だってとれない可能性も非常に高いし、それよりなにより除籍されることも視野にいれて行動している。マジにである。
女性は結婚だけが人生ではないのだということを実践したのが向田邦子である。最後は悲惨だったけれどもねぇ。
ま、いいか。