「ニーハオからの『語学留学』」
毎日だいたい2500字程度を書くことを目標にしている。これは、武蔵野大学大学院の修士課程に仕事をしながら学んでいた時からの習慣で、なに、相手はなんでもいいから書くのである。しかし、レポートを書くのが結構たいへんであった。通教だから、レポート勝負なのである。現役の教員だったから、可能な限り休暇をとらないで単位を取りたかった。職場にもナイショにしていたし。だから、スクーリングには極力出ないで、毎日レポートを書きまくった。参考文献の扱い方とか、読み方、あるいは図書館の活用の仕方とか生涯学習の基礎をみっちり鍛えていただいたのである。銀行マンで同期の盟友は、一回に十四冊とか十五冊とか図書館から借りていた。大学院が、今年で五校目になるというスーパーマンである。しかも、生涯学習で著書まで出しておられる。たいしたもんである。
こういう方がいるから、オイラのような基礎学力が不足しているものでも、なんとか卒業できたのである。持つべきものは、学友である。ほんとうにそう思う。そして、インターネットの世界では、そうした生涯学習仲間同士で励ましあいながら、交流を持たせていただいている。ありがたいものである。
今日、在籍大学から帰ってきて、速攻でgymに行った。柔軟運動をやって、血圧と体重を測り(?ちょっと順番が違ったな)それから三〇分ほど歩く。マシーンで。テレビを見ながらである。そして、サウナと温泉に入る。鬚も剃る。きれいさっぱりとなって、家に帰る。
そしたら、退職***の会というところから「友の会だより」が来ていたので、書庫のぼろ机で見ていた。退職した後にどういうように生活をしているかということが書かれているから楽しみなのである。先輩の方々が多く、ある意味オイラの目標にもなるのである。
一読して、おおいにびっくりした。
「ニーハオからの『語学留学』」というタイトルで、横浜市の七一歳になる先輩が、書かれていた内容に驚いてしまったのである。女性であった。
定年退職後、嘱託三年をやって、その後、中国福建省にある厦門大学海外教育学院に1年半留学されたと書かれてあったのである。二〇〇五年九月九日入学されて、それから楽しい留学生活を送られたのである。
おおおおおおおおおおおおおおおおおお!
と思った。
厦門大学には初級クラスもあるというのである。五〇歳以上の日本人が五人もおられたとのことである。学生は飛行機代が半額だというのである。だから北京にも武夷山も広州にも旅行されたのだそうな。
行ってみて本当に良かったと書いてあった。
オイラは、その福建省に用事があるのである。目連救母を見たいのである。死ぬまでに一度でいいから、たとえ帰ってこれなくてもいいから一度行って写真に撮って、オイラの下手くそな論文に掲載して、それから死にたいのである。それまでは死ぬに死ねないのである。マジである。
早速、その厦門大学のHPをお気に入りに登録した。
不思議なご縁がまた始まるのかもしれないという予感がする。無理かもしれないけど。
人生はなにがきっかけでどうなるやら、まったく予想がつかないっていうことですなぁ。
厦門に行ったら、周囲は毎日ネイティブだらけである。オイラのようなもんでも、話せるようになるかな?わっかんねぇけど。あ、その前に家族の許可が出るかどうかについてはまったく自信がない。いまだって、道楽で、趣味で大学院なんぞに行きやがってと毎日叱られてばかりいるのだから。逆に、あれかな?いねぇほうがすっきりしてたいへんによろしいと云われたりして。何年でも行ってくればぁ~、とか・・・・・その前に入学試験に通るかどうかもわかんねぇし。とほほ。
それも運命かもねぇ~♬