思い残すことなく人をたっぷり愛しておかなければ
瀬戸内寂聴bot @jyakucho_bot 与えられた限りある時間に、思い残すことなく人をたっぷり愛しておかなければとしみじみ思います。&nbs...
思い残すことなく人をたっぷり愛しておかなければ
瀬戸内寂聴bot @jyakucho_bot 与えられた限りある時間に、思い残すことなく人をたっぷり愛しておかなければとしみじみ思います。&nbs...
書くことは冒険なり
私が書く行為は冒険のようなものだ。その冒険が私をどこへ連れてゆき、終りがどうなるのか、私自身さえ知らない冒険です。だから、どの本を書いた後も私自身が違う人間になりました。 『ものがたりの余白』
Twitterで上記のようなつぶやきを見た。このミヒャエル・エンデ @Michael_Ende_jpさんのつぶやきは、オイラ、フォロアーなので、定期的に拾ってくれる。だから楽しみにしているのである。他にもいろいろフォロアーになっているので、おバカキャラのオイラには、えらく勉強になる。おバカはおバカなりに、勉強していないと世の中に捨てられるからですよん。マジに。そもそも最初からなんにもわかっちゃいねぇからね。
しかし、今朝のエンデ先生のつぶやきは、なるほど、なるほどであった。
おっしゃるとおり、「書くこと」はイコール「冒険」と一緒ですなぁ~。オイラをどっかに連れていくのだろうし、終わりもどうなるかわからない。書き終わったら、自分が変化しているというのも然りでありまするなぁ~。だから、やめられないのかもしれない。まったく当たってますな。武蔵野大学大学院で修士をとらせていただいたときも、オイラ、相当人間観が変わったから。そもそも59歳でとったこと自体、変化の兆しでありましたよ。同級生に当時86歳の方がおられたし、ずいぶん影響をいただいたっけ。一緒に武蔵境駅からバスで通学したし。思い出はたくさんある。70歳からギターを始めて、今は、後輩のご老人達を老人ホームに行って慰問しているのだ。こんな痛快なことはないではないではないか。いつも笑顔を絶やさない、実に素敵な高齢者であった。オイラもそういふ人間になりたい。マジに。
冒険だとは思ったっけ。59歳で、修士をとれるとは思っていなかったし。家族たちも、呆れていた。そんなのとってなにするのか?なにかになるのか?ということであったから。通教だからできたのかもしれないけど、あれはあれで冒険即趣味だったのだなぁと思う。
冒険といってもまったくの無計画ではない。ある程度のプランはあって、スタートはする。しかし、綿密な計画どおりに事が進んでいるわけでもない。それはそれで楽しみだからやっているだけで。一番きつかったのが、学長の「人間学」であった。なかなか単位をいただけないと噂のある科目で、ご指導をいただいた女性教授にもいわれた。よくとれましたねって。修士論文指導をいただいた女性教授で、何度かご指導いただいているうちに、博士課程を勧められて今がある。
今回も、民俗芸能とかそんなのやって何になるんだとか、博士課程に行っても時間と金の無駄だとかよくよくいわれっぱなしである。そうえいえば放送大学大学院の選科生の時もくそみそにいわれたっけなぁ。中央仏教学院の時も。全部否定から始まるようで。オイラの場合。
でもねぇ、確かに書くことによって、変わりましたよん。冒険であったから。それは「旅」も一緒で、旅を経験すると人間は変化する。確かにそうである。
一番良くないのが、毎日なにもしないで、じっとしていることでありまするよ。
笑われてもいい。毎日が冒険の積み重ねでいいのだと思う。
今朝から論文を書いていた。300台から400を目指している。あと100枚である。いくらでも書ける。書かなくちゃアカン。私家版で出す可能性が高くなってきたから、余計に発憤しなくちゃアカンですな。500枚書ければ、なんとか格好はつくかなと思っている。変化のためである。
充実したじーさま生活を送りたいもんである。
わははっははははは。
自己の生死に関するような重大な運命の決定はごく軽い調子できめるのが、薩摩人の伝統的なダンディズムというものであった。 司馬遼太郎『翔ぶが如く』より
頂まで登りつめた言葉は、そこで殆ど意味を失うかと思われる程慄えている。絶望の表現ではないが絶望的に緊迫している。無意味ではないが絶えず動揺して意味を固定し難い。 (Xへの手紙)
相手の立場を想像する力、相手の欲することを与えることが「愛」です。相手が何を欲しているかを考えて下さい。相手の身になってしたいことをしてあげればいいのです。
中国、メルセデスの独禁法違反行為を特定=政府関係者 on.wsj.com/1oKSWpp (AP) pic.twitter.com/7Wdz3wJG8f
まだ名がないものや生物に名を与える―単なる呼称では無く、まことの名を与える、これこそは人間が持つ能力の中で、もっとも人間の根源的なものだ。これにより、はじめて人と周りのものに関連ができ、その人にとり、その存在は初めて現実となる。 『エンデのメモ箱』
父親の職業を知らないニッポンの子どもたち | 舞田敏彦のデータで読み解くDUALな疑問 | 日経DUAL dual.nikkei.co.jp/article.aspx?i… 連載11回目です。
睡眠時間、東京は世界で最も短い? on.wsj.com/1rMEqei 表:睡眠時間の多い上位5都市(上)、睡眠時間の少ない上位5都市(下) pic.twitter.com/ySvXgsm14a
ノー残業への近道 「仕事の時間割」を作る | 栗田正行 | 日経DUAL dual.nikkei.co.jp/article.aspx?i…「脳がすっきりしている午前中は考える仕事や思考タイムに向いていると言えます。それに対し、脳も疲れてきた午後は、何かを考える時間としてはあまり向かないと言える」。
芸術と文芸が最上の意味で遊戯と内なる類縁関係にあるとすれば、芸術家や詩人はすべてを―おぞましいことも愛しいことも、俗なことも聖なることも、馬鹿げたことも至高の真実も―ひとつの遊戯に変える。そしてこの遊戯は芸術家や詩人には真剣なことなのだ。 『エンデのメモ箱』
総合学習:成績向上 推進校、学テ好結果 専門家「拡充を」 - 毎日新聞 mainichi.jp/shimen/news/20…「総合学習と学力の相関が今回、初めて明らかになった。『何のために学校で勉強するのか』という子供の問いにも答えることができる学習で、学びの動機付けになる」。
「能のことばを読んでみる会《枕慈童/菊慈童》」。「どっちがどっち!?」と書いた以上は、と観世流の別曲《枕慈童》や金剛流のみの《彭祖》等を含め、慈童系の能をまとめようとしたところ想像以上の深みにハマっております(汗) 参加者募集中です。 pic.twitter.com/Py9MZQzupL
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【今日の名言】金は後世への最大遺物の一つでございますけれども,遺しようが悪いとずいぶん害をなす.――内村鑑三『後世への最大遺物・デンマルク国の話』「後世への最大遺物」? iwnm.jp/meigen
私たちは、ほんとうは神の愛の共労者なのです。神の愛の運び手なのです。特に人々が、神は”いた”としてしまうこんな時代には、あなたや私が、私たちの愛する心、生活の純粋さ、私たちの深い思いやりの心を通して、世界に証明するのです。神は”今もいらっしゃる”ということを。