60歳で死んだオヤジのことだ
ちょうどオイラが30歳のときに、60歳で死んだオヤジが、今のオレのことを見たらなんと思うのだろうか。だらしねぇじじいに成りはててしまって、なにが生涯学習だと叱るのかなぁ。
シベリア抑留を5年もやってきたオヤジだった。東北の田舎にしては、今でいうイケメンで、オイラから見ても美男系であった。昔の人間にしては、背も高く、まったくいい男であった。息子のオイラがいうのだから間違いはない。なんでオイラはその遺伝子を受け継いでいなかったのだろうか。オフクロにそっくりであるから、オイラは。
シベリア抑留のことは、夜になると、よく話して聞かせてくれた。餓死した戦友が多く、どんなにひどい仕打ちをされたかということを涙を流して聞かせてくれた。亡くなっていった戦友達に申し訳ないという気持ちで一杯だったのだろう。
さらに、あのシベリアの厳しい寒さである。あそこで強制労働をさせられて、人間の最大欲望である食欲も満たされず、生きる望みも断たれていた。このことをオイラに伝えたかったのであろう。ある意味、ニヒリストであったとオイラは、高校生くらいの時に気がついてしまった。町役場に公務員として勤めていたが、心の中には、いつも虚無の風が吹いていたにちがいない。
戦争によって、人生をめちゃくちゃにされて、生きる希望がなくなってしまったのであろうと思う。それが引き上げてきてからの生活に相当に影響をしたと思う。だから、長生きできなかった。さすがに、昼間は公務員だから酒を呑むことはなかったが、夜は呑んだ。あきれるほど呑んだ。まるで自殺行為であった。早く戦友達のところに・・・と酔っ払ったオヤジを介抱するのもオイラの仕事であったからである。
それでも自死を選ばなかったのは、オイラのようなバカ息子を育てていこうと決意をしたからであろうと思う。それはそれでありがたかった。一応、ここまで生きてきたからである。悪いこともしないで、迷惑もかけないで。
ただし、オヤジの虚無主義はしっかりもらったらしい。オイラは。これで中学時代から、苦しんだのだ。小学校の六年生で、ニーチェを読んでいたのである。オヤジがあんまりニーチェとか、マルクスとか、スターリンとかいうものだから、世界の名著というシリーズものをオフクロに買ってもらって、読んでいたのである。
オヤジが失敗したのは、オイラにそういう教育をしてしまったことである。そんなもんを教えないで、ただただぽわ~んとした男にしてほしかった。そしたら、オイラは、こんな道を歩まなかったと思う。普通に大学を出て、会社員にでもなり、今頃はだらだらとどっかで生きていただろうになぁと思うのである。
場所は奥羽山脈のど真ん中で、熊と一緒に、新聞もテレビも見ないで、明るく、楽しく老後を生きていたのかもしれない。 今となってはどうしようもない。このまんま、くだらねぇじじいとして、末期高齢者として生きていくしかないのだろう。
302になった。今日も居住地の図書館で駄文書きをしていた。
オヤジが見たら怒るだろうなぁ。
バカ、いつまでも何をやっているんだ。図書館に行くなら、図書館の玄関でも掃除せよって。
出来の悪い息子はいつまで出来が悪いようである。
反省である。
(;_;)/~~~