世間遊泳術を心得ていないから
今日は一日中なにをやっていたのだろうと思う。
駄文を書いていたが、それもノルマにしている2500字を午前中に達成したので、午後は止めた。これ以上書くと、頭の悪いじじいで、長期高齢者のオイラは、ギブアップじゃ。2500字は、論文フォームに流し込んで、さらに脚注をつけると、便利なことに、番号も自動で変わるからありがてぇもんじゃ。それで、A4で318枚になった。制限無しで書いているから、目標なんぞなにも無い。500枚くらいで止めるつもりだが。あと180枚か。できるような気もするが、しかしオイラは暇人だなぁ~。長期高齢者だからできるようなものの、これで仕事をしながらやっていたら、wifeに殺されるな。わはっははははは。
午後は、NHKの大河ドラマでやっていた「平清盛」を見ていた。中世のことに興味があるとか嘯いているわりには、この大河ドラマを見ていなかったからである。話にならんなぁ。そうなのだ。なんでもいい加減にやってきたから、高齢者になって実に反省しているのだよ。
中世を学んでいて、NHKの大河ドラマで、清盛すら見ていないのだから。しかし、確かに腐っても鯛と云ったら叱られるけど、さすがに天下のNHKの大河ドラマである。えらく勉強になった。清盛の父の忠盛が、清盛を実子としては認識していなかったというのが基本の設定になっているけど、ま、あれはいかがなものか。それよりも、清盛の実父であると云われていた白河院のことが実に楽しい。好色で、政治の裏を生きていて、まったくまったく楽しいお方であることよ。どうせなら、もっとドラマでは長く扱ってほしかったが、あっと言う間に亡くなられたのが残念じゃ。しかも、物の怪というようにNHKでは扱われていた。そうかもしれない。
だから楽しい人物なのである。物の怪と云われるくらいの人物というのは、魅力的であるからだ。
あんまり人間的に難しい方というのは、おつきあいするのに骨がおれる。お相手をしていても、草臥れる。さらに云えば自称秀才というのも、あんまりつきあいたくねぇなぁ。英文を見ながら、クスクス笑っているっていうのがかつていたが、あれ、ほんとうに分かってわらっていらしたのかな?って思ったから。それほど実力があるとはとても思えないからで。
オイラはバカだから、オノレの実力以上に見せかけるという世間遊泳術を心得ていないからである。オレは、オレ。それ以外の何者でもないからだ。評価されないんなら、去る。あるいは、人間関係を断ち切る。そう思ったら、オイラは実に行動が素早い。縁がないのなら、断ち切ってしまう。それでいいのではあるまいか。いつまでも、未練がましくメソメソとやらない方がいい。つまらないことで悩んでいないで、そんなことだったら、四国88箇所巡礼の旅にでも出かけたほうがいい。NHKでやっているので、NHKから出ている参考書も買ってきた。それで楽しみながら読んでいる。巡礼も生涯学習になるからだ。来年は、そっちに行っていたりして。わはははっはははっは
どーせ悪口と、貧乏はついて廻るのである。
オイラの悪口なんか実に云いやすいだろうし、なんてったって悪相である。云われ放題である。あるいは、ナメラレてばかりである。いいんだ、いいんだ。云いたいやつには、さっとポケットから鏡をだして、そのままお返しをさせていただく。その方が愉快だもんなぁ~。
夕方gymに行くまでは、鬼来迎のビデオも見ていた。鬼来迎のお寺が販売したものだ。賽銭として寄付してきたようなものだ。ビデオの中に、見たことのある人が登場してきていた。地蔵菩薩とか、観音菩薩が出てきたときには、不覚にもオイラのお目々からうるうると水っぽいものが出てきたよん。今日の駄文で碩学の井上光貞先生の資料をもとに、地蔵菩薩信仰というのを考えていたからである。なんでもかんでも、縁である。
ありがたいものである。
21:31である。
さ、これからもう一つ別の仕事をする。こっちは頼まれ仕事だ。
明日、データをDVDにして送付しなくちゃならん。
いろいろ約束していることがたくさんあるので。
(^_^)ノ””””