人間の個性なんてぇもんは、どういうことで決まっていくのであろうかと思うことがある。職業か?思考スタイルか?家庭か?はたまた遺伝か?・・・・・・いろいろと考えるからである。
評論家を自称している方々で、他者批判ばかりする人がいる。つまり悪口を言う。近所にもいる。むろんボキの老人仲間にもいる。さらに、国会中継を見ているとそういう大先生方がたくさんいて、呆れることもあるからだ。
最近ではトランプ大統領である。個性豊かな御仁らしい。報道によると。
こういう御仁のツワモノぶりは、報道にまかせるとして、問題は他者批判の理由である。あいつはろくなもんじゃねぇというのは、どういう理由で成り立っているのであろうかと思うことが多々あるからだ。他者評価と言ってもいい。評価をしているのであるから、ご自分が一番という思いこみもあるのだろう。世界で一番オノレがエライとか、思っているから他人のアラが見える。したがって、他人を引き下げる。ワルクチを言って。
比較地獄に陥っている。
そういう御仁は。
そもそもである。メリットとかデメリットとかのべつまくなしのたもう方々は、知らず知らずのうちにその「比較地獄」に落とされているのだ。化粧だってそうだ。他者との比較が前提で成立している習慣である。習慣でしかないと言ってもいい。美醜なんてぇもんも比較地獄の上で成り立っているだけのものである。オノレが美しいと思えばそれでいいだけの話ではないか。
もっともこんなことを、さもつまらなそうに書いているボキだってオノレの価値観なんて信じているわけではない。ボキが良いと思ったことは、たいてい当たらないからである。不正解というやっちゃ(^_^)。
還暦過ぎてから入学した某私立大学大学院だって、不正解であったからだ。学業劣等であったし。つまり、それだけオノレの能力を把握していなかったということになる。ただの雑学屋(かなり低レベルの)でしかなかったし。知識を得たいと思ったら、無限のループが待っていた。地獄のような日々を送っていたわけである。焦っていた。毎日10時間以上勉強していた。比較されることを畏れたのである。だから10時間以上も机にしがみついていられたのである。
アホであった。
還暦を過ぎたら、知識よりも智慧をマスターしなくちゃアカン。それに気がつかなかった。まだまだ若い方々と勝負できると勘違いしてしまった。だから地獄のような日々を送ってしまったのである。つまり「比較地獄」である。
さらにある。
仕事人時代のことを聞かれると嫌悪感を持っていたというのも、これに当てはまる。どうしてもというのなら、話はする。しかし可能なかぎり、お断りしてきた。なんでか。
もう、うんざりしているからである。けっこう毛だらけである。コケコッコーである。酒を呑んでも他者から、評価をされてしまう世界に生きていたからである。
もっともっと見えてきたこともある。退職してからいろいろなグループに所属させていただいているが、そこでも相変わらず他者比較と評価がついて回ってくる。文学賞の審査員もそうだし、郷土史だってそうだし、仏教文化講座もそう、二つばかり所属している学会もそう、趣味でやっている塾もである。
昨日老人大学に午後から登校したが、宴会で見せたボキの姿を写真で見ていた人がいた。こんな人間だったとは思わなかったというのである。冗談なんかもバリバリ言っているし、笑ってばかりいる。笑顔のナイ人間だと思っていたとのことである(^_^)。
へ?・・・・・・だったらどんな人間だと思っていたのかと聞いてみた。つまり思い込みなのである。固定観念。と~ま君は~~~~~をやっていたのだから、~~~~~~~という人間であらねばならぬという思い込みである。なんでもかんでもそういうステレオタイプの人間観が、他者評価の一番根っこにある。
そんなことをふと考えたのである。
ニンゲンナンテ、そんな簡単なものではないのである。複雑怪奇である。それを知らないと、ただ年を取っていくだけである。そんな人生つまらんではないか。
ボキはそう思うのである。
さ、今日は図書館で学事出版に送付する原稿をチェックして、送るつもりである。夜は趣味でやっている塾がある。タノシミである。タノシミ。
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