生老病死も美しくありたいもんである。マジに。
「生老病死は苦である」とはかねてより聞いたことである。でも、ホントウにそうか。
生きることも、老いることも、病気も、死も全部苦か?と疑問に思っている。死だけは経験していないのでよくわからんが。
生きることもそんなに苦ではなかったように思う。楽しんで生きていれば、苦しみの対象ではなかった。青春時代みたいなもんである。もっとも、ボキの青春時代というのは、真っ暗闇であったけど。高校時代は、かなりなプレッシャーがあったから。ボキ以外のクラスメイトは秀才で、まったく出来の悪いボキは劣等生としての三年間を過ごしたから最悪であった。
でも、バカはバカなりに生きていたのである。応援団や柔道部でバカばかりやっていた。ある種のつっぱりみたいなものであった。あれはあれで懐かしいと思う。もう二度とできないだろうから。
大学学部時代もそうである。苦学したから、普通に見れば暗黒の時代であろう。事実、某一流女子大で教授をやっている親友は、新聞店に来てくれて涙を流してくれたっけ。ありがたいものである。
それでも、ボキはシアワセであったと思う。いろんな人が同情してくれたけど、「美しい青春だった」と今でも思っている。二度と経験できないからである。あんな、朝3時30分に起きて朝刊配達に行けるかと聞かれたら、今はできない。夕刊配達も4時から始めていたからこれまた傍目には大変であろう。さらに集金もある。ノルマであった。それはそれなりに、「美しい青春だった」と思っているからである。
受け止め方次第なのである。実際は。
二番目の「老い」。
とりわけ、老いることを忌み嫌う方々が多い。老いさらばえるという言い方があるように、汚いものにでもなるような表現をされてしまう。そんなに汚いのであろうか。
老いることは現在進行形なので、これからどうなるかわからん。みっともない老いを生きていくのかもしれない。それでもいいと思っている。
それでもいいけれども、基本には「美しい老い」を生きていくつもりである。生涯学習ごっこをやりながらである。要するに受け止め方次第である。美しい生き方をしようと思っていなければ、自覚と行動が伴わないのである。
だから、前職でなにをやっていようとこだわってはならないのである。肝心なのは今である。今、何を考え・行動しているかである。過去は関係ないのである。過去というのは、過ぎ去ってしまったものであって、取り戻すことはできないからである。
「美しい老い」と言っても顔のことを言っているのではない。表面のことではない。身体も顔もそりゃ衰える。シミもできる。皺もできる。そんなことを言っているのではない。
ま、言わずもがなである。
三番目の「病」である。
こちらはもう散々書いてきた。エコノミークラス症候群になってICUにいたことを書いてきた。それでもって博士になってみたいという大望を捨ててしまったからである。某大学大学院を中退してしまったからである。三年間お世話になったのであるが。
それも「美しい思い出」である。16日間も入院していて、あれはあれで懐かしい。
そして、人生の大回転をしてしまったのである。考え方やものの感じ方がまったく変わってしまった。病院のベッドでなにもすることがないから、毎日ノートをつけてこれからの人生を考えていたのである。それで、大学院を中退することにしたし、これまでの生き方を反省し、修正をしたのである。
「美しく生きていきたい」としみじみ思ったのである。マジにである。そう思ったら、ますます生涯学習ごっこにのめり込むしかないではないか。
人生は虚しいとか、はかないとか、空虚であると嘆いてばかりいても時間はドンドンたっていくのじゃ。ニヒリストはそのあたりを理解していない。
人生は美しく生きていっても、全然構わないのである。なにを考えても、どんなことで悩んでも時間だけはドンドンたっていくのだから。
だったら「美しく」生きていった方がいいではないか。
最後の「死」。
これだけは経験していないので、書けない。ブッダも孔子様も不知とされているし。書いちゃいけない。
それでも、ボキの死に顔は美しいだろうと思っているのじゃが。タブン。
わはははっはははっははははっはは。
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