と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

去年も同じようなことを考えていたのですなぁ・・・・(^_^)

2017年02月19日 20時12分40秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
 
退屈だなぁ~、まったく毎日退屈・・・・・旗本退屈ジジイになってしまったよん

退屈しているから、日々をなんとか愉快に明るく過ごしていきたいと思っているから、こんなアホなバカブログを書いていられるのである。バカは所詮バカである。治らないが・・・トホホ ......
 

 

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ひとりの老人が腹鼓を打ち、大地を踏み鳴らし、太平の世への満足の気持ちを歌ったのは

2017年02月19日 07時59分55秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

鼓腹撃壌ではないが、可能な限り政治のことは拙ブログでは触れずにきた。

むろん字義のままである。つまり、「《中国の尭(ぎょう)の時代に、一老人が腹鼓(はらつづみ)を打ち、大地を踏み鳴らし、太平の世への満足の気持ちを歌ったという「十八史略」などにみえる故事から》世の中の太平を楽しむこと。」(コトバンクから引用)

まさに、年金暮らしだから、老人がなにを今さらである。そういう心境にいるから、青筋立てて世の中への不平不満を言っても詮方なしと思ってきた。ささやかではあっても、アルバイトをさせてもらいながら生きているし。

でも、今回の金正男氏暗殺だけは興味関心がふくれあがった。なにをしているのだろうか。全く救いようがない。ドストエフスキーの時代に逆行したような感じすらあるではないか。精神構造がどうなっているのかと思った。

革命と政治。このことにクビをつっこんだら、際限がない。

かつて、ボキ等の世代には学生運動の闘士がたくさんいたことを思い出してしまった。みんな、そういう若い時期の闘争体験のことは、沈黙を保って知らんぷりをしている。まともなサラリーマンのふりをしている。そして、すっかり爺・婆になっている。ボキは、その時代にまともな勉強をしたかったのに、大学が封鎖されていて、できなかったのである。今日は大学がやっているという噂を聞いて、葛飾から電車で行ってみれば封鎖されていたし。ヘルメットをかぶって「こいつも権力の手先?」とかふざけた台詞を吐いて、まともに勉強したかった苦学生のボキを拉致しようとしたのだ。これは忘れたくても忘れられない出来事であった。

いわば、被害者である。学費がないから、新聞配達してやっとこすっとこ学費と生活費をはらっていたのに、それを出来なくしたのが彼ら彼女らである。同世代である。それが大学を出てからはほっかむりをして、アタマを七・三にわけて、ポマードをぬったくり、就職していったのである。

欺瞞である。革命ごっこをしていただけである。やるのなら、そして一度クチに出して言ったのなら、徹底してやればいいではないかと思った。それが、いざカネを稼いで仕事をしていこうとした時に、豹変するというのはいかがなものか。転向である。まさに転向。だから卒論では、転向文学を扱ったのである。

金正男氏のことでは佐藤優氏の評論が、今朝の産経新聞に出ていた。しかし、ちょっとがっかりした。マスコミ報道の範疇を出ていないからである。Intelligenceを標榜されるからには、もっと凄い記事が書かれると思っていたのであるが。

今回の事件は、しかし、帝政ロシア時代を彷彿とさせる。そのロシアも亡んだ。その後のソ連もない。

政治とはそういうものなんだろうか。

勃興と滅亡との繰り返し。今は良くても、明日はわからないというようなもの。

まるで平家物語のようである。

オノレにとらわれているからだ。結局、自我に振り回されて、滅亡に到ったわけである。自力のせつなさが伝わってくる。

生かされている自分というものをしみじみと感じる。だからこその鼓腹撃壌ではないのかとも思った。

金正男氏のご冥福を祈るばかりである。

 

サヨウナラ!

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2月18日(土)のつぶやき

2017年02月19日 04時59分47秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/