と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

お墓を見てきた・・・・・・むろん自分の入る予定の

2017年02月06日 16時40分01秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

gymも図書館も休館であった。

他にやることもないから、午前中は歩いてきた。歩かないと死ぬからだ。おかげさまで、16:28現在Metsで9546歩である。十分である。だから今日はもう歩かない。

それに、walking以外は「人生」という路遥の小説を読んでいた。100円ショップで買った5×3カードサイズの付箋にメモしながら、それを本に張っていく。県立図書館から借りてきたので、メモを直接するわけにはいかないからである。

中国の小説でもこの作品は傑作であろう。静かに、ストーリーが展開していく。翻訳もいい。だからであろうが、はまる。現代中国にはまったく興味がないが、こういう小説もまたいいもんである。なにしろボキは、中国には孔子と孟子と老子と墨家と・・・・・・・というように古典の中にいる偉人しか知らないからである。否、知っているとはおこがましい。さわりだけである。こんなバカが中国文学も知っていると言ったら笑われる。最初の大学に学んだときも、中国文学科があって、クラスメイトが多かったからである。彼らにである。笑われるのは。

わははっはははっははははっははは。

実はwalkingの時に、ついでだからと某寺院に行ってみた。ぼちぼち墓地が欲しいと思っているので、そこならあるかも知れないという噂を聞いたからである。別の寺院を通して聞いた噂である。行って見たら、墓地があった。

気に入った。

あそこにしようと思った。死んでからも安心して寝ていることができる。それに、歴史的にもかなりのものがあった。

あそこならいい。しかしである。売り切れていたら、どうすんじゃろぅか。

それもまた人生ですかな。

人生の仕舞い方を今から考えていなくちゃアカンというのもつらいもんでござる。

 

ヾ(*´∀`*)ノ

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人物 茅盾文学奖获得者 路遥(上) 人物20110328

2017年02月06日 16時00分55秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
ああああああああああああああああああ!

中国語ができないということを嘆いてばかりいる。
この動画を見ても理解できないからだ。

彼の作品「人生」にはまっているからである。
朝からずっと読んでいる。
5×3カードの付箋をつけながら、メモしながら。
なんだか青春時代に戻ってきたような錯覚に陥っている。


むろん翻訳であるけど。
残念! 





2013/06/14 に公開
 
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人物 茅盾文学奖获得者 路遥(上) 人物20110328

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第40回 延々と続く自慢話への対峙法・・・・・これボキも トホホ

2017年02月06日 07時13分35秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
他人の自慢への対応法だけど、これってボキ自身も他人にやってきたのではないのかと思うと慚愧の思いですなぁ。
自慢したってなんの取り柄もねぇボキが、閻魔様に叱られるです。
話にならんですわい。
今日から気をつけましょう!
 
 
 
 
 
2016/02/28 に公開

今回は、しん様(女性・50代・地方公務員)という方からの「延々と続く自慢話への対峙法」についてのご相談です。
~~~~~~~~~~~~
どのように気持ちを整理して前向きになれるか教えてください。
長年趣味の教室に通っています。その先生と一人の生徒さんとのことです。
●先生について:通い始めた当初(20年前頃から)は夫や娘たちの自慢話。今は孫たちの自慢話。毎回、何分も話は続きます。
●生徒さんについて:仕事場でいかに自分が有能かの自慢話。そして、いかに自分にお金があるかの自慢話。
私は自慢話の耐性が低いのでしょうか? 私は私で良いという自己肯定感をしっかり持てればよいのですが。
話に花が咲いてしまうと延々と続きます。ならばそのお教室をやめれば良いのですが、その先生の技術は尊敬しているので、辞める決断ができません。
私の心持ちをどのようにしたら居心地良く通えるようになれるでしょうか? 教えてください。
~~~~~~~~~~~~
まず、しんさんが書かれているとおり、「私は私で良いという自己肯定感」は、やはりポイントになってくるでしょう。
人間というのはどうしても「比較」しながら生きていく動物なんですよね。あの人と比べて私はどうかな、この人と比べてどうかなと比較をしながら、いったい自分は誰なのかを探求していく存在です。
基本的に私たちは、自分は価値がある存在で、すばらしい存在だと思い「たい」存在なんです。これは自然で健全なことです。
じつは、自慢話はそのための行為なんです。過剰なくらいに相手が自慢話をしてくる場合、誰かよりも優れていると言うことによって、「私、OKだよね? 価値があるよね? だって、ほら、こんな◯◯(夫、娘、孫 ……等々)がいるんだもん」というように確認したい営みであり、相手も必死なんだということを理解していると、ちょっと気持ちにゆとりが出るのではないでしょうか?
そして、それは決して、しんさん個人に対して「だから、あなたは能力がないのよ」と言っているわけではないことも覚えておきましょう。
そこを混同してしまうと、しんさんご自身が苦しくなってしまいますから、しっかり区別してください。そう、キーワードの「自己肯定感」ですね。
日本人は、謙虚であること、自分を見下して語ることが美徳とされることがありますが、それが、謙虚さを通り超して、自己卑下のようになってしまうと、人の自慢話にいちいち過剰反応するようになってしまいますので、注意が必要です。
しんさんにはしんさんの、すばらしい部分がたくさんあるはずです。ご自分がご自分の大親友になったつもりで、「あなたのこんなところが素晴らしいよ、こんなところが素敵だよ」と思えるところを、ぜひリストアップしてみてください。
そして、人間には「比較する」という癖があり、また、それはじつに曖昧なところから来ている、ということも理解できると、少し楽になれるでしょう。

 

 

 

 

第40回 延々と続く自慢話への対峙法

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2月5日(日)のつぶやき

2017年02月06日 04時58分21秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/