大きな欲望を持てば、自然に自分を根底から変えることができるのである。なんだか、近代的知識人というのは、その辺りを勘違いしている。ボキは知識人ではないから、堂々と言えるんだけど(^_^)
欲望をコントロールできるという御仁がいるらしい。悟った方である。あるいは、欲望を捨て切ってしまっている方。らしいというのは、そういう方にまだお目にかかったことがないからである。是非ともお会いしたいものであるが。
しかし、そんなことが可能なのだろうか。
ボキにはできない。当然できない。ボキのこれまでの人生は、欲望にまみれて過ごしてきただけであるからだ。
わははっはははっはははっははは。
なにも照れ隠しで言っているのではない。欲望を捨て去って、深山幽谷に生きるなんてぇことはできないからである。出家と言っても、完全に人間界から離反していったわけではないだろうに。ブッダだって出家したものの、完全に人間界から離反したわけではなかった。
一人ぽつねんと孤独のままに生きているなんてぇことはウソである。もしそれを仙人のように標榜するのならば、やってみればいい。仙人なんているわけないではないか。
せいぜい河原で足を洗っている美女の美しさに戸惑って、天上から落っこちた空飛ぶ仙人様のようになるだけである。
この話だって、人間界が関わっているではないか。
ちなみに、こういう話である。久米の仙人である。
「天平年間(729年~49年)のこと、厳しい修行の末に体得した空飛ぶ術を使って、一人の仙人が空を飛んでいた。すると眼下に流れる小川のほとりで、若い娘が洗濯をしていた。前の川面を見ると娘の白いすねが映え、仙人は思わず見とれてしまった。その瞬間、術は破れて、あっという間に娘の前の川中に墜落していた。術を失った仙人は、その後、娘を妻にして、平凡な人夫暮らしをしていた。ある日、仙人の前身を知った役人が、仙術で大量の材木を山から飛ばして運んで欲しい、と難題をもちかけた。これに発奮した仙人は、7日7晩の断食をして術を取りもどし、見事に巨木を運んでしまったという。この功績により天皇から賜った田地を、仙人は久米寺に寄進した。現在、久米仙人が墜落したと伝えられる久米寺近くの芋洗川には、芋洗地蔵がまつられている。」
笑ってしまうような珍妙な話である。
仙人と言えども、世間の価値観から逃れられないようである。
むしろボキはこういう仙人様に親しみを感じる。人間らしくていいではないか。
悟りすまして、自分は欲望を完全にコントロールしている。どんな美女を見ても、骸骨に肉切れが付着したものであるというご高説は言わない。言えるわけがない。
自分のやってきたことは、自分が知っているからである。どんなに悪業三昧をやってきたかという思いは、今でもあるからである。
ムシも平気で殺してきたし。昆虫採集とか自称して。マジに。
川魚の類いはもっと大量に釣りと称して殺傷してきたのである。おいしかったけど。
山奥で、野生の鳥をパチンコで殺傷したこともあった。さすがに、こっちは喰ったことはないが。
仕事人時代もそうだった。人を喰っていたのである。人を喰ってなんぼの世界であった。バカにされる、仕返すというような魑魅魍魎の世界であった。ま、こちらの世界については、これくらいにする。守秘義務があるので(^_^)。たいした世界ではなかったけど。
空海の「理趣経」には、「大欲得清浄」ということが書いてある。実はこれに大いに賛同するからである。
昨日、理趣経について調べていたらますますのめりこんでしまったよん。大欲を持てと言われるのじゃ、この経典は。ちょっと危険なお経だから、立川流とかの異端も生じたし。
しかし、言っていることは正しい。大欲を持てと言うのである。
欲は簡単には制御できないからである。人を好きになる、人に好かれたい、大金が欲しい、有名になりたい、楽な暮らしがしたい等々と思うことは完全否定することはできないではないか。あるいは、最近のボキが時々思っていること、すなわち「美しい生老病死」でありたいというのも大欲の一種である。美しく生きて、美しく老いて、美しく病気にもなり、美しく安らかに死んでいきたいと思っている。だから、またまたロクでもないと言われても、プチ修行を始めたのである。言わば終活の一種である。
欲望をコントロールできないからである、ボキは。
悟っていないしねぇ。だったら、欲望を完全に肯定してさらに肥大化していってもいいではないか。全人類を好きになり、全世界の平和を願ってもバチは当たらないであろうから。カネもあればあるだけ欲しい。
大欲は清浄を生み出す。
大きな欲望を持てば、自然に自分を根底から変えることができるのである。なんだか、近代的知識人というのは、その辺りを勘違いしているということである。
本日も快晴なり。
Gymにも行く。
実はある寺院にも行ってくる。終活のためである。ボチボチ、ボキの入る墓地を捜してくるからである。(掛詞である)
わはははっははっはははっはははっはは。
また夕方お会いしましょう。
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