今日は新年会がある。楽しみにしている。そして、昨日は成田山新勝寺に行ってきた。ボキの墓地がある寺院の宗派であるから。ご挨拶である。
今日は新年会がある。ボキンチである。もう30年近くやっている。友人たちとの新年会である。楽しみにしているのじゃ。年に一回だけであるから。アタリメェである。新年会を何回もやっているわけにはいかないからである。
これが会社とか組織の人間とやっていると、退職したらそれっきりである。ボキも現役のときは、上司の家に呼ばれて行ったっけなぁ。退職したらもう行かない。行けない。行ったらアカン。仕事がらみの新年会なんてそんなもんだろう。辞めたらそれっきりである。ボキの家での新年会は違う。強固なつながりになっている。理由は書かない(^_^)。
でも、ボキは身寄りの無い独居老人みたいなものである。ここが故郷ではないからである。そして、故郷に帰るつもりもない。九十九里浜に墓地も買ってあるし。
故郷は雪国だし、寒くてかなわん。今さらである。雪国だと運動もままならぬ。身動きとれないからである。だから酒を呑んでますます動かなくなる。たまに道路の雪かきをする程度でしかない。あとは、屋根の雪下ろし。それくらいしかない。柔道も寒すぎてできない。あんな凍ったような柔道場の畳を思い出すだけで、震えてしまう(^_^)。
去年まで良く行っていた山形県の肘折温泉も、積雪量が3メートル近いとテレビが言っていた。これじゃぁ行く気がしない。ましてや、一昨年行った米沢市の滑川温泉(福島屋)などは、冬期間閉鎖である。もっともご主人ともう一人の従業員だけは、冬期間であっても旅館の建物に閉じこもっておられると聞いた。春がくるまで三ヶ月。熊のように冬眠に入るのだそうな。旅館の人が言っていたのだから間違いない。
これじゃぁ、人間が鍛えられるわけである。
しかし、ボキの方はどうじゃ?
だらしないこと限りなし。もう雪国で過ごすことはできない。根性がなっていない。雪かきも、屋根の雪下ろしもできない
腕力もない。カミの毛もない。ゼニもない。ないない尽くしである。
わはははっははははっははっははははっはは。
昨日は、成田山新勝寺に一人で行った。なんということはない。新年のご挨拶である。不動明王様に会ってきた。相変わらず、圧倒される。たいしたもんである。
なにかの本で、空海とキリスト教の同質性について書いてあったのをちょっと思い出した。不動明王の前では、罪悪を自覚せざるを得ないからである。悪業三昧で生きてきたボキである。
家内安全、健康維持、旅の無事、孫たちの成長等々を祈ってきた。
ボキのことは後回しである。
それで良いのじゃ。それで。
ま、宝クジでも当たったらまた大学院に入って勉強してみたいとも思っているけど。
今年も平穏無事でやっていきたいものである。それにしても成田山は人が多かった。これって、願いごとを全部聞いておられる不動明王様は、忙しくてたまらんのではないのかね。
わかんねぇけど。
ヾ(@⌒―⌒@)ノ