下記引用↓
お手本のような御仁のことを知った。
ボキも、まだまだくたばりたくないですなぁ。
そもそも博士を取って、大学の教員を目指すのではないのだから。大学教員だって定年があって、ボキはとっくの昔に年齢オーバーだし。
それよりも、生涯学習で大学院に学ぶシニアの御仁が増えているというのは、そういうニーズがあるってぇことですよん(^0^)。
>とことん勉強をしてみたい。そんな長年の思いを実現しようと、山口県岩国市の工藤達威(たつい)さん(72)が博士号取得を目指し、今月から広島市立大学大学院国際学研究科の博士課程に進学した。若い頃は家庭の事情で大学進学がかなわず、定年退職後に研究者の道を歩き始めた。「博士号を一生の目標に頑張りたい」と意欲満々だ。
工藤さんは1938年、中国東北部(旧満州)の旧ソ連との国境近くで生まれ育った。終戦の混乱の中で父ときょうだい2人を亡くし、母と妹の3人で46年に引き揚げた。親戚を頼って岩国に移り住み、勉学を志して岩国高校へ進学したが、家計は厳しく、大学への進学はかなわなかった。
山陽パルプ(現日本製紙)岩国工場に就職したが、進学への思いは消えなかった。「あまり言いたくないが、社会の中にある、大卒と高卒の歴然とした差が悔しかった」。30代の時に社内選考に合格し、社費で東京の短大へ入学。東京の本社で働きながら夜間に土木工学を学んだ。「専門的な授業が面白く、日々が新鮮だった。これで願いはかなった、と当時は思っていたはずなんですが……」
定年退職後、土木技術の知識を生かして地元の建設会社へ再就職したが、再び学問への思いがよみがえった。「70歳になるまでに大学生になろう」。受験参考書を買い集め、68歳で広島修道大(広島市)人間環境学部3年への編入試験に合格。2年前には同大大学院人文科学研究科の修士課程に進んだ。
専門は環境学。研究テーマは一貫して「棚田文化の再生」だ。大学では全く違う学問をやりたいと考えたとき、かつて見た県内の棚田の美しさを思い出した。「日本の中山間地域の衰退は、農業のあり方をどうするのかという問題と通じる。棚田の歴史や人との関わり、将来の展望を考えよう」。周南市や周防大島町などの農村を歩き、地元の人たちの声を聞いて回った。昨年末に完成した修士論文は、約140ページもの力作となった。
4月から始まった博士課程では、海外の中山間地域の農業の研究にも取り組むつもりだ。「フィリピンなどの棚田を歩き回り、日本との共通点や違いをしっかり見つめたい」。博士号取得には最短でも3年はかかり、博士論文も高いレベルが求められるが、11歳と7歳の孫たちが「おじいちゃん、博士になってね」と励ましてくれる。 「ここまできたら体力の限り勉強を続けたい。博士号を一生の目標として、キャンパスライフを楽しみますよ」