ボキは根っから明るく、楽しく生きるのが大好きである。だって、その方が楽しいんだもん(^_^)。
しかし、あるときこういう性格はちょっと他人と違っているのではないかと思ってしまったのである。
ちょっとだけかじった心理学のせいなのかもしれない。これって、現役時代は必須科目であった。いろいろ役だったこともあったが、逆に子どもたちを固定観念でしばってしまったこともあった。
さらにある。ボキは気分の落ち込みが少ない。したがって、躁鬱でいえば躁状態の方が多い。圧倒的に多い。それも心理学からいうと、危険らしい。
ま、それはそれで良しとしよう。
精神科医がなにを言おうと、心理学者がなにを言っても気にしないことである。誰だって、気分の浮き沈みはあるからだ。それを異常ととらえるとはかなくなる。
本当に精神科医が、病気だと診断したならそれに従った方が良い。
そうでなければ、やはり楽しく生きていった方が良い。
楽だからである。
なにも深刻ぶって、眉間に皺を寄せて、ニヒリストのような顔をしていなくても、生きているうちは生きているのである。
深刻に生きても、楽しく生きても、時間は平等にたっているのだ。
ボキは、確かに苦学をした。新聞配達をして大学学部をやっとこさ卒業した。このことに関しては、知人友人に大変だったなぁ、苦しかっただろう、とてもじゃないが俺にはできないと言われた。
毎日、毎日狂ったような気分でいたのだろう?と聞かれたこともある。
そんなことはなかった。
毎日、無意識で新聞を配っていた。日本経済新聞だから固定読者が多く、たいていはエリートのお客さんばかりだったから、暗記していたのである。配る順番を。しかも、夜明けがきて、スズメがチュンチュンと鳴き始めるのも楽しかった。一緒に歌を歌いながら団地の階段を上り下りしていたこともあるのだ。
でないと、朝と夕刊両方をやることなんかできやしなかった。深刻ぶっていたら、たちまちノイローゼになったであろう。
一種の防衛本能だったかもしれない。
しかし、ずいぶん鍛えられたなぁと思う。
ありがたい経験であった。
大学の学部卒業よりもずっとありがたい経験であった。
世の中に教えていただいたからである。
勤労の尊さをである。
ただし、学問の尊さをマスターすることはできなかったが。あたりめぇである。第一志望が五流大学であったし、それしか受験できなかったし、それで十分満足していたからだ。
今もボキは楽に生きている。深刻ぶって、眉間に皺を寄せていたりしない。
あははっはは、おほほほほと生きている。
アホだから、まるっきりアホのように生きているのだ。
この方が楽だしねぇ。
16:00である。
ウオーキングが終わって打鍵している。
これから成績をつけるためのエクセルの書式を作る。
電卓でやっていたら、オワンナイからだ。
エクセルでやったら、楽だしねぇ。
ヾ(*´∀`*)ノ