年末にやるべきことは全部終わった。あとは静々と大晦日を迎えるだけである。
年賀状も、恒例になっているクリスマスに人間ドックに行くのも終了した。大掃除も終わった。寒くなってからの大掃除は、つらい。だから、計画的にやってきた。窓もなんも全部である。カーテンも洗った。
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否、ボキはお手伝いである。家事手伝い。クソの役にもたたないジジイである(^_^)。
そういえば、今朝の産経抄におもしろい記事が出ていた。肩書きのことである。夏目漱石が博士を辞退した話は有名だ。当時の文部省から授与されそうになったら、躊躇無く「ただの夏目なにがしで暮らしたい希望を持っております」ととりつく島も無い断り状を書いた。
森鴎外も墓に***院とか***居士というのをやっていない。墓には本名以外のなにものも彫るなと言いのこした。
明治の文豪は肩書きに執着しなかった。
ボキはみっともなくこだわってきた。博士が欲しくて定年退職してから生涯学習と自称して某大学大学院に入学した。結果、学力劣等で中退してしまった。笑われてしまいますなぁ。それから数年たっているけど。
将棋の羽生善治さんもすべてのタイトルを失った。肩書きにこだわるのかと思ったら、なんとただの九段でよいとのことである。
もっとある。産経抄のコラムニストであった石井英夫さんは、産経抄を卒業してから名刺に「家事手伝い」とあったという。これまた豪快な生き方である。これである。これ。
高望みしていても、話にならないときは潔くあきらめることである。3秒でできる。過去を受け入れ、現在を受け入れ、未来を受け入れることである。それが教育なのである。全部が全部競争なのでは無い。他人との比較でなりたっている社会は異常である。しかし、学校教育はそうではなかった。比較競争することが至上命題であった。
だから困ってしまう若い人も出てくるのである。
学校だけが人生なのでは無い。それを知ることである。
だから肩書きなんてぇのは不要なのである。
肩書きが人間の価値では無いのである。
マジにそう思うからだ。
ボキは、「五つのアルバイター」とでもするか。名刺の肩書きを。
わはっはははっははっはははっははっはははっははっはははっはははっははっは。
ヾ(*´∀`*)ノ