この動画も興味深い。
今朝の記事と関連しているけど。
東条英機 遺書 最後に彼は何を語ったのか 戦後70年余りを過ぎた今、彼に対する海外評価の変化とは?
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東条英機 遺書 最後に彼は何を語ったのか 戦後70年余りを過ぎた今、彼に対する海外評価の変化とは?
天皇陛下からのメッセージをテレビで拝見していた。
感動的なメッセージであった。混沌の時代を生き抜かれた。たいへんな時代を。素直に感謝である。いつもなら私的なことはほとんど話されない。しかし、皇后陛下のことも昨日は話された。
いつも思う。日本古典文学に皇后陛下のような方が登場しておられたら、古今これほどの皇后陛下はおられなかっただろうと。
文学の世界なら、好き勝手に描くことができる。たとえば源氏物語。現在の皇后陛下ならどのように描かれただろうかと思った。それはここには打鍵しない。
わたくしの人生の旅に皇后陛下が加わったというような表現を天皇陛下がなされたが、しかも涙ぐまれてである。ここに感動したのである。
謙虚である。
こういう方が天皇陛下であって良かったと素直に思った。
象徴としての役割ということも述べられた。こういう生き方は実に厳しい。否定することができないからだ。生涯役割の中で過ごされるしかない。捨てることができない役割である。
厳しいものである。
ボキのような庶民は、定年とかで役割をいったん捨てることができる。リセットである。もっとも、自営業の方々はできない。生涯現役である。引退でもしないかぎりは。
庶民だからできることである。
庶民に生まれ育ったことのシアワセをしみじみ感じた。
それで、昨日「あの戦争はなんだったのか 日米開戦と東条英機」という動画を見たのである。YouTubeである。3時間かかった。一つの視点から東条英機を描いたものであった。統帥部というものの存在をそれこそ象徴的に描いていた。一つの史観であろう。いかにもこのドラマを作った会社の傾向性をあらわしていた。
果たして本当なのかという疑問は最後まで残った。信用できないからである。
それでも、戦争なんかやっちゃいけない。しかも十分な計算なしに、気合いでやっちゃいけない。期待と予想は違っているからである。中国戦線で苦戦しているのに、戦線を拡大してなんの意味があったのだろうかと思った。
淡々として生きるという視点からはもっとも遠い存在が東条英機ではなかったのか。北野たけしが好演していた。苦衷。これであった。東条英機の真骨頂は。所詮、首相の器にあらずと徳富蘇峰が言ったというが、然りである。然りだけれども、徳富蘇峰はそんなこと言える資格があるのかとも思った。あれだけ変わり身の上手な人間はいないからだ。
そんなことを思ってしまった。それにしても平成は終わってしまう。またまた時代が変わる。変遷の未来へむかって。
ヾ(*´∀`*)ノ