年賀状の裏面を作成した。昨日一日かかった。今日は、これから宛名印字をやる。去年いただいた方々へは出す。裏面には、ボキの海外彷徨写真が3枚。2月チェンマイ、5月カッパドキア、10月武陵源となっている。小さい写真でよく見えない(^_^)。その下に近況報告。こんなふうに書いてみた。
旧年中は一方ならぬお世話をいただき誠にありがとうございました
本年もよろしくお願い申し上げます
なお、愚生あいもかわらず草の枕を友として、漂泊の思いやまず、ときおり彷徨の旅に出かけております。亭主元気で留守が良いを実践しております。また、昨年はいくつかの副業(大学、高校二つ、塾)をこなしながら、「淡々と生きる」「頼まれごとは引き受ける」をモットーにして楽しく生きております。今年もばりばりやっていきます。
平成三一年 元旦
以上である。
そしてあっと思った。年賀状でなくてもブログで十分ではないかと。
しかし、ボキの本名を知らないヒトが多いから無理だ。芸名だし。それに、ボキはどこからどうみてもブログなんかやっているようなジジイに見えないらしい。バイト先で成績をつけるのにExcelを使っていたら、周囲のセンセたちがびっくりしていた。そんなふうに見えないと直接言われた。電卓でやっていると思ったらしいのである。
さらに仙台でもそうだった。パワーポイントで全部の授業をやったので、設置方法ややり方を懇切丁寧に教えてくださるのである。これには笑った。ありがたいと思った。まだまだ親切な若い方々は多いのである。
日本の若い方々も捨てたモンでは無い。希望がモテル。親切というのは、日本人独特のモンである。困っているのではないかと思ったら助ける。これだ。
一人じゃ生きていけないからだ。
相互補助。
これしかない。
だからこそ、うっかりヒトの悪口を言ったりしないこっちゃ。誰が聞いているかわからんではないか。
年賀状なんて上辺だけのつきあいではないかというのもいる。しかし、ボキのように親戚もなんもいない九十九里浜に住んでいると、ちょっとしたご縁であってもありがたいものなのである。だから、年賀状を出すのだ。
無視されたらそれはそれで良し。
縁は生きているうちだけのもの。
死んだらEND。
だからこそ大事にしているのである。
ヾ(*´∀`*)ノ