定年で退職してからも現役時代と同じように活躍するってぇことは、「成仏」していないということである。定年退職というのは、事実上の生前葬であるからだ。従って、成仏していないと後輩たちが困る。困るどころか、以前勤めていた会社や組織にも迷惑千万となる。
そんなもん、潔く捨てるこった。
しかし、自称エリートほどそれができない。
なんでそんなことを思ったかというと、内館牧子氏の「終わった人」という小説を読んだからである。大笑いしながら読んでいた。今日一日実に楽しかった。
主人公は盛岡の出身。全国的にも知られるような進学校を出て、東大の法科に現役で入学する。ところが、ここのところも実に内舘女子のパンチがきいている。まるっきり嫌味であるからだ(^_^)。
主人公は、中学のときにはあまり成績がよくなかった。「優秀なクラス」とか「普通クラス」とか「あまりできのよくないクラス」とかに分けられていたのだが、後に東大に現役で入るほどの主人公が、担任に「普通クラス」と言われたのである。後に、高校受験のときに、優秀なクラスに転ずるようにと担任に言われたときも言下に否定した。自分で勉強するからほっといてくれというようなことを言っているのだ。これは笑った。痛快である。教えてもらわなくても、俺はできるという反抗である。実に気持ちのよい中学生である。
そうなのだ。秀才というのは、自分で勉強できるから秀才になるのである。へたくそなダメ教師が秀才を育てるのではないのだ。反面教師なら、あんなふうにはなりたくないってぇことで教えることはできるだろうけど。ボキがそうだったからだ。
まずは、そこのところから引き込まれていった。タノシイ、タノシイ。
そして、東大を出てメガバンクに入社する。仕事一途で、出世もバリバリ。たいしたもんである。趣味もなし。仕事だけが生き甲斐。出世だけが生き甲斐。能力もあると自負しているし。
ところが、40代で出世競争に敗退する。それからは、子会社に飛ばされて、役員にもなれない。退職後に、再雇用という方法も断る。63歳で退職。
娘一人。結婚して家を出ている。
奥様は、お姫様のような育ち方をした金持ち。
マンション住まい。
退職してからの一年間の過ごし方は、予想通り。自負心が邪魔をして、図書館にも行けない。スーパーにも行けない。気位が高いから、そんな庶民のような暮らしになじまない。
そして、ノイローゼ寸前にまでなる。ハローワークに行って、唯一見つけた零細企業に面接に行くと、社長に東大まで出た方に来ていただくような会社ではないと丁寧に断られる。
それから紆余曲折あるのだが、最後は社員40人くらいのIT関係会社の社長になる。最初の一年間くらいは生き生きしていたのだが、ミャンマーの現地会社が倒産してしまう。それで、主人公は億単位の借金を背負うことになってしまう。
かわいそうになったが、自業自得でもある。自尊心があまりにも高いからだ。
そして「成仏」していなかったのである。
せっかく生前葬までしてもらったのにである。
強気強気で生きてきたからでもある。
だから笑ってしまったのだ。
なんでか。
ボキも成仏していないからである。大学院にこだわって、成仏していない。だから笑ってしまったのだ。
静かな人生の終わり方もあってよいのだ。
それこそ、失言大臣の「身の丈にあわせて」生きるのも、庶民の知恵であると思ったからである。
BYE-BYE!