と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

ボキは器もちいせぇが、クルマもちいせぇのに限る。

2019年11月15日 09時06分54秒 | とーま君の流儀2019
これまでいろんなクルマに乗ってきた。子供たちがいたから、ワゴン中心であった。スキーにも行っていたから、4wdが多かった。ボキは雪国生まれの雪国育ちであるから、雪の怖さは身にしみている。だからである。それに、義母が元気だったからいろんな温泉にも行った。おかげで、愚息はもう東北地方には行きたくないと言っている(^_^)。

話題はそんなことではない。

この間中古車を買ったということである。1900キロしか乗っていない中古車だった。かなり安かった。年金暮らしにはまことにありがたい。同じディーラーから買った。去年出たばかりのクルマらしい。cx3というやつだ。

かなり小さい。ボキと家人が乗ったらもうそれで終わり。一応、後席に3人乗れるらしいが、狭い。もう多人数で乗ることもあるまいと思ったから買った。それにほどほどの荷物を積んで家人が嫌がらない程度の距離でもって、温泉でも行ってみたいからだ。

なにしろ温泉大好きであるからだ。ボキは、赤湯温泉というところで生まれて、そこで18歳まで育てていただいたからである。

9月に石巻の温泉でいとこ会をやったが、その赤湯温泉で一緒に育ったいとこたちであったのだ。32名もいた(^_^)。

なにしろ親の数が多いからだ。7人いたからである。ボキの親父は、次男。だから、亡母の家に婿入りしたのだった。役場の官吏をやっていた。亡母は師範学校出の小学校教員。親父は、シベリア抑留体験をさせられた過酷な記憶があって、実に大変な思いをして引き上げてきた。だから、いろんな話をしてもらった。

そんなわけで、ボキは温泉が大好きなのである。

で、またクルマに戻る。

アクアとかマーチとかのスモールカー程度だが、この車はエンジンが2000もあるのだ。したがって、ダッシュが早い。

燃費はさほどでもないが、エンジンが大きすぎる。車体のわりに。

ぶつかったらどうしようかと思ったが、そのときはそのとき。大型に乗っていても、死ぬときは死ぬ。

それよりなにより、装備が良かった。これは中古でないと買えなかったよん。こんな装備のクルマに初めて乗ったからである。スマホとクルマのナビがくっついていて、クルマから電話ができるからだ。これも設定が難しそうだったから、懇意にしている営業の御仁に設定してもらった。

実はまだまだよくわかっていない装備があって、昨日はライトがオートで下向きになったり、上向きになるのを知らなかったからびっくりしたのだ。

まったくジジイのお笑いぐさである。

小さいクルマだけど、ボキの器と一緒だ。

これで生涯最後のクルマになるだろう。

大事に乗っていきたいと思っている。

趣味に生きるためにも。


(^-^)/

※それにしても今日は記事を三つもアップしてしまった。暇だなぁ。

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兼好法師の女性観 107段 大笑いしたよん

2019年11月15日 08時09分40秒 | とーま君の流儀2019
現代語訳を載せようと思ったが、多くの方々が訳しておられるから止めた。著作権違反になってしまうから。

それにしても、大笑いである。兼好法師の女性観がにじみ出ているからだ。わかっていらっしゃるですなぁ。

僧侶でこれほどわかっているとなると、実際生きていたら、どんだけ怖い方であったのかと思いますです。

わはっはははっははっははははっはははっはははっはははっはははっはは。










 「女の物言ひかけたる返事、とりあへず、よきほどにする男はありがたきものぞ*」とて、亀山院の御時、しれたる女房ども、若き男達の参らるる毎に、「郭公や聞き給へる」と問ひて心見られけるに*、某の大納言とかやは、「数ならぬ身は、え聞き候はず*」と答へられけり。堀川内大臣殿*は、「岩倉にて聞きて候ひしやらん」と仰せられたりけるを、「これは難なし。数ならぬ身、むつかし*」など定め合はれけり。
 すべて、男をば、女に笑はれぬやうにおほしたつべしとぞ*。「浄土寺前関白殿は、幼くて、安喜門院のよく教へ参らせさせ給ひける故に*、御詞などのよきぞ」と、人の仰せられけるとかや。山階左大臣殿は*、「あやしの下女の 見奉るも、いと恥づかしく、心づかひせらるゝ*」とこそ仰せられけれ。女のなき世なりせば、衣文も冠も、いかにもあれ、ひきつくろふ人も侍らじ*。
  かく人に恥ぢらるゝ女、如何ばかりいみじきものぞと思ふに、女の性は皆ひがめり*。人我の相深く*、貪欲甚だしく、物の理を知らず。たゞ、迷ひの方に心も速く移り、詞も巧みに、苦しからぬ事をも問ふ時は言はず。用意あるかと見れば*、また、あさましき事まで問はず語りに言ひ出だす。深くたばかり飾れる事は、男の智恵にもまさりたるかと思へば*、その事、跡より顕はるゝを知らず。すなほならずして拙きものは、女なり。その心に随ひてよく思はれん事は、心憂かるべし*。されば、何かは女の恥づかしからん。もし賢女あらば、それもものうとく、すさまじかりなん*。たゞ、迷ひを主としてかれに随ふ時、やさしくも、面白くも覚ゆべき事なり*。 
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頼まれごとは断らないとやっていたら、いつのまにかバイト9つになっただけのことで、無理はしていない(*´∀`*)

2019年11月15日 07時02分21秒 | とーま君の流儀2019
ボキは結局なにをやりたいのだろうと思うことがある。暇だから生きているのか、あるいはどこも健康に問題がないから退屈しているだけなのか。

バイト三昧で老後を過ごしているが、要するに暇だからだ。無理に老後も働いてみようと思ったわけではない。使ってくださる方がいるからありがたく働かせていただいているだけである。むろん、現役時代の延長でやっているだけであるからできる。それに、毎日やっているわけではない。

無理は禁物と思ってもいる。無理して毎日多忙なふりをしていたら、病む。実際、ボキは大病院に16日間も入院していた。某大学大学院在学中であった。あれでもって実際諦めた。能力の無さもあった。

情けなかった。でも、そこから不死鳥のようにボキは立ち直った。どんなにささやかなことであっても、どっかで役にたつということがあれば世のため、人のためにこの身をささげようと思ったからであった。頼まれごとは断らないというスタンスに立ってみたのである。

それがバイト9つになっただけのことである。むろん、年に数回というバイトもある。週に一回、二回程度のバイトもある。使われなくなったら、電話でもう来なくていいとなる。それでいいのである。

なにも執着していることもない。頼まれたらやるが、おめぇなんか要らないとなったら、それきりである。

それでいいのだ、それで。


ああああああああああああああああああああああああああああ。

旅に出たい。道ばたにおわす石像でも見ながら、である。そして、温泉にでも入りながらゆっくりしたい。もうゆっくり生きているから、毎日がタノシイだけだけどねぇ。

トラブルのない人生なんてないのだろうけど、それでもボキはタノシミで生きていきたい。

しゃちこばって、固いまま生きている必要もない。もうフリーランスなのだから。固いと柔軟性が失われる。

スーツにネクタイという生き方からはオサラバしたのだから。

ボキは、これからも好き勝手にジジイ生活を満喫していくつもりである。

たった一人で。


BYE-BYE!
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/