今日は、長男の家にある庭でバーベキューをやっていた。ガレージの中で(^_^)。田舎に住んでいるからできるこったなぁと思った。長男の家の周囲にはほとんど家がないからだ。こうやってみると、田舎暮らしもなかなかでありまする。
孫(女児2歳)もかわゆい。かわいくてかなわん。ジイジ、ジイジと言ってくれるし、抱っこもさせてくれる。目の中にいれても痛くないってぇのはこのことであるよん。
アホなジジイでございますが。
ボキは、もう競争社会から離脱しているし、要するに終わった人である。だから実に気楽である。
こんな生活が待っているとは、現役時代には思ってもみなかった。現役時代に一生懸命働いたからだなぁと思っている。なにしろ、土曜も日曜もなかったからである。全部練習試合や大会で生徒の相手をしていたからである。柔道部の顧問でもあったからだ。4段でしかなかったけど。
柔道の世界でも大成できなかったけど、悔いはない。それなりに、生徒たちとふれあいがあったからである。これがボキの全財産でございまする。
だから、悔いはないのである。地位も名誉もまったくなかったけれども、それなりに悔いはないからである。
こんな生活をさせていただいているのも、DNAである。亡母のおかげである。亡母は、国立大学出身の優秀なセンセであった。そして、ボキにセンセをやりなさいと勧めてくれた。見抜いていたのである。ボキの適性を。
今になって思う。亡母の言うことを聞いて良かったって。
サラリーマンになっても、ボキは成功しなかっただろうしねぇ。
学者センセや研究者にはなれなかったけど。
今は、細々と古文書を読み、国文学や歴史にちょっとだけ手を出して、ボランティアで活動させていだいている。感謝感激である。ありがたいものである。
だんだんと、ボキの存在そのものも失せていっている。
これが本当だろう。自己主張して、俺が俺がと自慢しているようではアホである。自分の存在を消しながら、死んでいくことである。無明の世界を生きていたら、死んでも死にきれないではないか。
長男と肉を焼きながら、美酒を呑んでいた。うまかったなぁ。
シアワセなジジイである。
もっとも、ボキ、アタマもシアワセであるけれども。
わははっはははっははっははははっはははっはははっははははは。