合わない人からはすぐ逃げた方がいい理由
常に上から目線で物をいう人との付き合い方
マウンティングというか、威張ってばかりいる種族というのがいる。確実にいる。公務員に多い。今でも、中学校や高校に行くことがあるが、たびたびそういう種族と遭遇する。
一番多いのが「アポとってから来い」とおっしゃるイバンリボである。だから、ボキは機先を制して「アポとってないですから、ごめんなさいねぇ」と申し上げることにしている。それが痛烈なイヤミになっているのに気がつきもしないから、お笑いぐさである。
そもそも、中高のセンセくらいでそんなに偉いのかね。笑ってしまう。これって、公務員には特質的な性癖であろう。階級社会だからだ。それに普段子供しか相手にしていないから、オノレでもってエラクなっちまうのだ。アホかいな。
アホならアホなりに生きていれば良いものを、と思う。哀れになっちまう。大学のセンセもそうだ。たいしたことがないレベルの大学のセンセも、偉いと勘違いしてしまっているのだ。自己主張のカタマリだからだ。でないと、大学のセンセなんかできやしないだろう。論文の数を誇っていないと、文科省から認定されないからだ。そして、新説のラッシュがないとあんなもんできる訳がないからだ。
でもねぇ、ボキはそれで良いのかと思っている。自慢の種というか、そういう自分の価値を否定して生きていくのが、本当の教育者であろうから。自分なんてたいしたことはないという自己否定こそ、大事な価値である。このことは儒学者の中根東里に学んだことでもあるけれども。
すくなくとも、ボキはそう思っているからだ。
勉強とか学問って、やればやるほど奥が深いと感じてしまうからだ。まだまだボキなんか人に説教たれられるほどのレベルではないと本当に実感してしまうからである。これはマジにそうである。
それに言葉の使い方も悪い。ボキは、この点については改めなくちゃアカンと思っている。どうしても、身内に汚い言葉を使ってしまう。それはボキの言語生活の二重性にある。
つまり、ボキは基本的にズーズー弁で生まれて育ったからである。関東弁に慣れていないのだ。関東弁は汚い。けんかしているような言語である。対等だから、相手をののしってしまう。
大阪弁は相手を尊重してものを言う。敬語が発達している。この点で立派なのが、あの鶴瓶師匠である。見事なものである。コミュニケーションの達人で誰とでも仲良くなっちまう。これは見習いたいことである。
彼は笑顔も良い。
偉ぶらない。
偉ぶっているアホを相手にしない。
ふううううううううううううううううううううううううううむ。
今日から言語生活に注意していこう!