と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

遅読こそ王道

2009年04月11日 22時18分15秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 教育の世界でずっと生きてきましたので、時には問題を抱えて困っている生徒への対応についてわたくしなりに勉強させていただくときもありました。
 
 なかでも国分康隆先生、河合隼雄先生、諸富祥彦先生の著作物にいろいろと刺激を受けてきました。

 特に、意味論を申してくる生徒さんには、こちらも理論武装をしていないと困ったことがありましたから。生徒の方が相当のレベルにあるわけです。

 明恵という人が、古典的人物としております。彼は、十三歳にして、わが人生完成せりと言ったほどの俊秀であります。若い天才は、全てが見通せるようです。かつての教え子という関係にいさせていただいた「生徒」という方のBLOGにも、彼がエリートであるが故の苦悩もいろいろ垣間見えて逆にかわいそうになります。なぜ、そんなに光を受けたがるのでしょうか。「ただある」「ただただ普通に生きている」ということのありがたみを感じていただきたいと思って、心配しながらBLOGを拝見させていただいています。

 河合隼雄先生の文庫本「対話する人間」に、遅読こそ王道という文章があって、わたくしはこれは本当だなぁと思いました。

 先生の謙遜だとは思うのですが、偉そうな哲学書もちっともわからんし、京大に入学してからも、友人たちがあれこれ早熟な読書体験を知ったかぶりして議論する。ちっともついて行けなかったのだそうです。ところが、ここからわたくしは笑ったのですが、河合先生がそれらの偉そうな本を時間をかけて、じっくり読んでわからないと思ったこと、疑問に思ったことを友人たちに聞いてもまったく答えられず、先生が疑問に思ったことすらもなにも考えていなかったのだそうです。

 受験参考書なども数さえこなせばいいというのではありません。
 一冊をじっくりやったおかげで、先生だけが京大に合格したそうです。

 ここに一つの真理が隠されているようにわたくしは思ったのです。



 もっともわたくしは河合先生のような勉強家でもありませんし、華やかな光を求めて右往左往している人間でもありません。
 ただただ普通に生きている凡人であります。

 人より遅れているし、なにをやっても時間がかかる。
 それでもわたくしは自分に絶望したことはありません。
 他人と比較をしないからです。

 他の人ではなかなか驚かないことに、いちいち驚いているつまらない人間です。
 紀州犬と散歩しながら、路傍の雑草と語りあったりしてしまいます。
 わんこが不思議そうに雑草とわたくしを見つめます。
 それもまた楽しみなのです。

 田舎に住んでいますので、田舎のにおいが実にここち良い。
 畑のにおい、海のにおい、豚舎のにおいも実にいい。
 大自然の風を受けながら自転車で走っていると、まったくいい。
 大都会に住んでいる人にはわからないでしょうけれど、生かされていることを最も感じる瞬間でもあります。 
 
 心のリゾート探しをしているような感覚になってしまいます。
 そういえば、中高年の心理学とか、カウンセラー教室ってあまりないように思うのはわたくしだけでしょうか。


 二者択一的な世界でずっと生きてきました。
 文武両道とか言いますし。
 実はわたくしはAかBかとかの二者択一的な考え方が苦手なのです。
 文武は一貫してこそ、全人的な総合力が鍛えられると思ってきました。
 学歴だけで生きていけるほど、単純な世界ではないと経験上思ってきました。
 創造することのできる、「総合力」が最も重要であると。

 「読むことは築くこと 書くことは創ること」
 作家の新田次郎がいつも愛娘の藤原咲子氏に言われていたことです。
 咲子氏は数学者の藤原正彦先生の妹さんです。
 言葉の発達が遅く、新田次郎氏は、咲子氏が高校生になるまで、作文を指導して、言葉の発達を心がけてこられてきました。
 母上は、「流れる星は生きている」を書かれた藤原てい氏。
 
 実は最近ラジオ深夜便という雑誌で、咲子氏のエッセーを読み、どんなに母上との葛藤があったかを書かれておって、是非咲子氏の本を読みたいと思っていました。それが今日、かなったのです。
 「父への恋文」という単行本でした。 
 読書体験の乏しいわたくしでも、この本には感動しました。 
 いろいろな生き方があるものです。
 あの満州からの引き上げをしてこられた藤原てい氏の子供たちですら、いろいろな生き方があったわけです。


 
 ユングは言います。
 「生き方は一つではない」と。

 社会的に成功しておられる人ほど生き方は一つと仰る。あるいは血脈・家柄にこだわったりします。わたくしなど、地縁・血縁・家柄・学歴等々なにもないのです。まったく無縁の存在。まさに「ただある」だけの存在。

 いろいろな生き方があっていいのに、そう思えないのは、そういう人自身が光を求めておられるから。違いますかな?



 城山三郎という作家がいます。
 ここ数年わたくしなりのテーマで追求してきた方です。
 この方の「大義の末」に衝撃を受けて数年。
 いつかこのBLOGに書いてみたいことの一つです。
 あの太平洋戦争をどう受け止めたのか。
 この年代の方々は、本当に真摯です。
 わたくしの亡父も同じです。
 シベリア抑留を体験してきたからです 

 
  
 今日は静寂な時間を味わいながら、ただただ普通に読書し、普通に草取りをし、普通にジムに行き、普通に紀州犬と散歩をし・・・・という時間を経験しておりました。草取りでは、いちいち雑草のしぶとさに驚き、生命力に感じ入っておりました。

 こういう日もあっていいのですね。
 
 否、こういう平々凡々な過ごし方こそ、わたくしに最もあっている時間です。
 性格的にも。
 能力的にも。
  (^-^)/

 

 
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去ってから

2009年04月10日 19時45分31秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

 昨日の離退任式での光景は実に素晴らしいものがありました。
 生徒たちとの別れを惜しむ先生方に憧憬しました。
 教員はこれでなくてはなりませぬ。

 一期の出会いを大事にしながら、これからもご縁を大切にしていこうと思いました。

 ほんとうに、去られた先生方への応援歌をいつまでも申し上げたいとも。
 
 李白ではありませんが、昨夜は、一杯、一杯、また一杯と惜別の杯を重ね、名残を惜しみました。

 さて、今日は旭中央病院看護専門学校の入学式に出かけます。
 これからもお世話になる学校です。
 ご縁を大切にさせていただきたいとこころから思っております。

 県銚発展のためならなんでもしたい。
 それがわたくしの仕事ですから。


 去るときがわたくしにもあります。 いつかは誰にもわかりません。それまでは精一杯がんばるしかないようです。しかし、去ってからのことは準備をしていこうと思っています。


 老害。


 このことだけは避けていきたいと思っています。いつまでも自分のやってきたことに執着していきたくありません。人生後半が勝負です。まだまだ青年のように活躍していきたいと、今も勉強中です。


 (^0^)/
 


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惜別の辞

2009年04月09日 21時19分46秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今日は、離退任式です。
 
 大変にお世話になった先生方をお送りしなければなりません。
 どなたも、本校発展のためにおおいに貢献してくださった先生がたです。
 これまでの御労苦に深謝するとともに、先生方のますますのご活躍をお祈り申し上げます。

 さて、このような別れの時節に、よく言われるのが、惜別の言葉です。
 そして、徐々に満開の桜の花が、風とともに去っていく。
 今年はまるで、先生方との別れを惜しむような桜の見事な咲き方であります。
 咲くも見事、去り方も見事としか表現できないような今年の桜であります。

 この時期に思い浮かべるのは、中国往年の詩人唐の王維の漢詩「元二の安西に使するを送る」です。

 この漢詩は 「渭城の朝雨 軽塵をうるをし 客舎青青 柳色新たなリ 君に勧む 更に尽くせ一杯の酒 西のかた陽関を出づれば故人無からん」 と言う七言絶句の「送別の詩」であり,往時の唐西北の砂漠の果ての安西に旅立つ友・元二に贈ったものであります。

 詩吟では「無からん 無からん 故人無からん 西の方陽関を出づれば故人無からん」と繰り返して惜別の情を強調します。


 さらに、このような歌もあります。
 中央大学の学生歌にもなっています。


 「惜別(せきべつ)の歌」
島崎藤村作詞・藤江英輔作曲

遠き別れに たえかねて
この高殿(たかどの)に 登るかな
悲しむなかれ 我が友よ
旅の衣(ころも)を ととのえよ

別れといえば 昔より
この人の世の 常なるを
流るる水を 眺(なが)むれば
夢はずかしき 涙かな

君がさやけき 目のいろも
君くれないの くちびるも
君がみどりの 黒髪も
またいつか見ん この別れ

君が優しき なぐさめも
君が楽しき うた声も
君が心の 琴の音も
またいつか聞かん この別れ


 原作者は文学者島崎藤村。
 姉への思いを綴ったものだそうです。
 
 個人的には、作曲者の藤江英輔氏に非常に興味があり、学徒動員の思い出と共にあるものであります。
 藤江氏は伝説の人であり、どのような生涯を送ったかを調べるのもまた一興です。

 

 いつまでもいつまでも先生方と共に県銚の改革を、と申し上げることは不可能です。
 出会いと別れはこの世の習い。
 
 忍従するしかありませぬ。

 
 これまでの先生方のご功績に感謝申し上げ、新天地でのますますのご活躍をお祈り申し上げ、お別れの言葉とさせていただきます。

            
  
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新しい広報

2009年04月09日 19時12分17秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 新しい広報媒体を思いついたので、現在作成中です。

 それ専門のソフトも私費で購入しました。

 何ができるかお楽しみに。

 県銚だよりもそのソフトで作成していきます。

 

 いろいろな仕事の合間に、ほんとに間に合わせのようにこのブログも、新聞もやっていますので、じっくり取り組みたいのですがなかなか困難です。

 最近は、高校でも、日誌のようにディスクロージャーをしている学校がちらほらです。がんばっているなぁと応援しております。
 
 わが県銚も県銚なりの価値を高めていきたいと思っております。
 まねされても、追いつかれないように。
 ウサギと亀ではありませんが、後だしじゃんけんがいつも成功するようではたまりませんから。 
 (笑)


 ところで、このブログはあくまでも中学生のみなさんに語っています。
 また在校生にも。

 つまりあまり大人の方に読まれることを想定しておりません。
 保護者の方は別ですが。

 ですから、読書紹介みたいなものも多くなるわけです。

 わたくしからの授業のつもりでおります。

 つたない授業かもしれません。

 しかし、それでもいいと思っております。
 
 経験と勉強だけはしてきたつもりですから。
 
 


 早くその新しい広報媒体なるものを、各中学校様へお送りしたいと焦っております。
 技術力がいまいちですのでね。
 (笑)

 これからソフトの使い方を学ばないと。
 
 所詮素人ですから。 




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愛読書

2009年04月08日 23時09分02秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 読書の勧めというのは、わたくしのような年長者がやるべき義務であると思っております。

 しかし、愛読書はいかにと問われても、わたくしは雑書読みですから、ここではたと困ってしまいます。
 偏向しているかもしれません。
 一冊だけあるのですが、それは棺桶まで持っていこうと思っていますから、言わぬが花。

 それに、なにもこのブログで大量の読書をしていると自慢しているわけではありませんし、そんなつもりでここに書き込みしているわけではありません。量を誇るようでは所詮素人。質です。質。

 それよりもあっと思ったことがあります。
 先輩の先生で、ご退職された方なのです。
 すてきな文人的生活をされてきた方です。
 それが、あまりにも書籍代がかさむものですから、困ってしまった。
 それで、仕方なしに、洋物に走ったということです。英文ならじっくり読むことができるということです。いつも通勤の途中に英文の原書を読んでおられたのは知っていました。すごい方だなぁと思っていました。英語の先生ではないのですが、本当にすごい方です。

 わたくしも家の者に言われます。どんどん雑書が増えていきます。
 妻にイヤミを言われるわけです。

 ところで「すごい」というのは、凄いと書きます。
 漢字の中に「妻」がいます。

 これに気がついて苦笑してしまいました。

 凄いというのは、誰が凄いのでしょうか。
 (笑)


 愛読書ということを、このブログに書けるようになるまで、わたくしはいろいろな書籍の世界で彷徨するしかないようです。

 いつまで続くことやら。

 

 
 

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県銚ニュース第8号発送します

2009年04月08日 22時55分24秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 昨日の入学式、それに始業式、ウオッセ21の美術部の記事等々を扱った県銚ニュース第8号を発送させていただきます。

 たった今完成しました。

 去年は7号までしか作成できませんでした。
 大きな反省材料です。
 8号作ろうと思っていたのですが。

 それと常総新聞社様から記事にしていただいたやはりウオッセ21の美術部の記事です。それもお送りします。

 中学の3学年の先生方に渡るはずですので、よろしくお願いいたします。

 いつも文書では申し上げているのですが、お忙しい中を中学校の先生方には申し訳なく思っております。

 わたくしは義務制が長かったものですから、いろいろと県銚のことをお聞きする機会があって、まだまだ知られていないなぁとがっかりすることもあるからです。

 今年もいろいろなチャレンジをさせていただきます。
 
 じっとしていることがとても苦手なのです。
 常に改善、改良です。
 去年のことは、きれいさっぱり忘れて、新しいことにチャレンジです。


 また明日。

 
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入学式

2009年04月07日 19時51分03秒 | 先公ごっこ2008年から2012年





入学式式辞



 同窓会、PTAのご来賓ならびに保護者の皆様のご臨席を賜り、平成二十一年度千葉県立銚子高等学校第五十六回入学式を挙行できますことは、本校の光栄とするところであり、教職員一同に代わり、ご出席の皆様に対して謹んで御礼申し上げます。

 新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。心から歓迎の意を表します。特に、知識の獲得、体を鍛え、徳性も育むというバランスのとれた調和ある人間形成を目指し、実り豊かな高等学校の生活を送られることを心より願っております。

 わたくしから、皆さんに最初にお伝えしたいメッセージは、「全体と部分」ということであります。
 高等学校というところはかなりの数の教科科目で成り立っています。それぞれの教科科目は構成要素から言って、お互いに独立したように一見するところ見えます。しかも、皆さんは毎日毎日それを学ぶわけです。学んだ結果、全体としての学力を身につけます。わかりやすく言えば、自動車のようなものです。つまり、自動車という「全体」は、エンジンとかドアとかタイヤとかそれぞれの「部品」から成り立っています。そして、その部品は専門家が開発し、分業化して製品化され自動車という「全体」になっていきます。優れた部品こそ最高の性能を出す「全体」となります。学力も体力も同じであります。
 社会に出ましたら、ほとんどの人間が世の中の一部分を担い、分業化して、それぞれの組織を、社会を、家庭を支えていきます。分業が中心の社会であり、システムなのです。体力もそうです。わたくしの拙い柔道という経験から、スポーツや武道は良きにつけ悪しきにつけ、部分部分を詳細に分析して成り立っています。
 高校時代を含めて、学校生活を送るときだけが、全体を見据えた活動ができるとわたくしは思ってきました。読書にしてもそうです。学校時代だけが、分厚い古今東西の古典にチャレンジできる時間帯なのです。願わくば、本校の三年間において、分厚い本を十冊以上読んでいただきたいのです。
 全体としての学力。
 分業としての日々の学習。
 おろそかにしていただきたくない分野です。

 二つ目に申し上げたいことは、「努力する」ことであります。
 時間的にも、質的にもおおいに努力していただきたいのです。見た目の時間はたっぷりあるように映ります。しかし、遊んでいる暇はありません。そのためには目標をしっかり持っていただきたい。効率的に、工夫をしていって、自ら学んでいただきたいのです。ノートも、きちんととって、教えていただいたことを直ちに演習で試していってください。それが、日々のルーティンワークになったときに、初めて皆さんの全体としての「教養」「学力」が充実してきます。

 三つ目に申し上げたいことは、「対角線上の友人」を本校で作っていただきたいと思います。
 対角線上の友人とは、自分と異質のものを持った友人を発見し、人格・態度等々あらゆることを友人から学んでいただきたいということです。
 ともすると、人間は同程度の、同じ趣味の、仲良しばかりとつきあいたがります。それがもっとも安易な方法だからです。苦労しなくても話をすることができます。
 多くの優れた人間と話をさせていただくと、本当に勉強になります。専門の違う方との対話。深く勉強しておられる方としばしの時間を共有させていただくことが、これまでのわたくしの拙い勉強生活でどれほど有用であったか計り知れないものがあります。
 その多くはわたくしの高校時代の友人であります。幾人かの大学教授という立場にいる者がいます。懶惰なわたくしともっとも対角線上の友人たちであります。高校時代こそ、そういう多種多様な友人を作ることができる環境にあるのです。

 最後に、常に将来を見据えていただきたい。
 これは強く強くお願いしたいことです。
 皆さんの視野には、三年後の進路決定だけが入っているのかもしれません。しかし、それは単なる入り口でしかありません。

 三〇歳になったら何をしているのか、四〇歳になったらどうするのか。それを見据えて、高等学校の三年間を送っていただきたい。いかなる分野に進もうとも、本校で身につけた力は皆さんを社会の最先端におし進めると思うからであります。
 県立銚子で優れた教職員に大いに学んでください。どの先生方も非常に優れた先生方です。

 知・徳・体それぞれに優れた成果をあげて、ぜひとも社会の最先端を走れるような実力と全人格的な成長を身につけていただきたいと思います。
 トップランナーを後から追いかけることと、自ら先頭でトップランナーになるということは、まるで違う世界のことであります。この中から世界に雄飛するような若人が育つことを、わたくしは夢見ております。

 本校はもうすぐ百周年を迎えます。ここ数年、大改革を図って来て、全学年男女共学となりました。ディスクロージャー(情報開示)という面でも、いろいろな試みをしております。
 同窓会様・PTA様のご援助で新校歌を、冷房設備をと整えていただきました。また教育課程を変え、進学に対応できるカリキュラムを作り、授業時数の確保を図るなど、近隣高等学校にはない特色ある取り組みをして参りました。すばらしい環境下で是非ともお願いしたいことは、生徒諸君の真剣な取り組みと、保護者の皆様のご理解とご支援であります。この場をお借りしてご協力の程を切にお願いする次第です。
 本日ご多忙の中、ご臨席賜わりました、同窓会長様、PTA会長様はじめご来賓の方々、保護者の皆様に、再拝申し上げ、式辞とさせていただきます。



平成二十一年四月七日

             千葉県立銚子高等学校長    
                          外 山 日出男


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新しい出発

2009年04月07日 05時37分41秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今日は入学式であります。

 式辞は後刻ここにアップします。ご笑覧くださいませ。

 特に在校生の保護者の方に公開することの意義があると思っております。

 学校が何をしているのかということをディスクロージャーしていくことが、最も重要だと思います。

 昨日も、教育経営論という大学の講義をインターネットで入手して、それをICレコーダーで録音して聞いておりました。そしたら、学校だよりが重要だとその先生がおっしゃる。わが意を得たりでありました。もしかしたら、県銚はそういうことでは他校にひけをとらないのではないかと、感じた次第です。

 日本の経済構造と学校五日制とか、ゆとり教育とかなぜ出て来たのかという部分も勉強になりました。

 日本経済と密接にリンクしているという部分を家でノートして再度その講義を聴いて感心しておりました。

 日々勉強であります。 
 教育そのものを。

 たどり来てまだ山麓

 将棋の升田名人の言葉が身に染みます。



 入学式です。
 楽しみです。


 式辞を言わせていただきますが、まったく緊張のかけらもありません。 
 
 もうちょっと緊張して、あがるくらいだといいのでしょうけれども。

 初々しいという状態からは遠く離れてしまいました。
 (^0^)/

 

 さぁ、今日は桜も見事です。
 新しい出発に相応しい。

 祝福の一日になりそうです。

 
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始業式で話したこと 大幅変更

2009年04月06日 19時39分04秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 始業式レジメを先ほど掲載させていただきました。
 
 が、わたくしの悪い癖で、原稿を読むという形式をとらないものですから、まったく違うことを言ってしまいました。

 ここに概略を掲載させていただきます。





 新年度を迎えることができました。
 多くの優れた先生方をお迎えすることができました。
 是非とも、諸君たちは、先生方に食らいついて、なんでも吸収していただきたい。県銚の先生方はどの先生方も優れた実績をお持ちです。
 これはほんとうに諸君たちにお願いしたい。

 ここに校長会の研究紀要があります。
 (壇上で掲げて)
 今朝まで言うか言うまいか迷ったのですが、県銚の先生方で出身者もおられるので。
 ここに佐原高校の進学指導重点校としての実績が発表されています。
 現役での国公立大学の合格数が発表されています

 さて、その実績ある佐原高校が、取り組んでいることは、進学指導のシラバス、これは県銚でも作って実践しています。
 さらに学習時間確保週間の実施。これは年に7回、2週間程度の期間、学習時間を記録させて、指導の資料とするものです。

 「授業力の向上」を目指してもおられる。

 このような佐原高校にあって、なおかつ「進学実績を上げるためには、全人教育が大切」だとされています。

 全人教育とは、知・徳・体のそれぞれバランスのとれた人間になろうとするものです。勉強も、体力も、徳育もというものです。

 わたくしは、スポーツジムにおいて、6キロの鉄の棒で素振りの練習を欠かしません。武道をやるものとして、腕の力を鍛えるのは、わたくしの部分としての能力の育成です。
 勉強もそうなのです。
 部分としての地道な勉強が欠かせないのです。

 先週、つまり一昨日の土曜に、小学生の時から柔道教室で鍛えてきた生徒からうれしい報告がありました。
 慶応大学の法学部に合格したそうです。
 ほんとうは東京大学をねらっていたとのことでした。
 幼いときから、顔が曲がるくらいに柔道の稽古を重ね、鍛えに鍛えて柔道もレギュラーをはっていました。
 これこそ、本当の全人教育の鏡です。
 青白きインテリではいかがなものかと思うからです。

 大新聞社系の週刊誌で、国立の難関大学ベスト20とか発表されていて、これについては賛否があるでしょうけれども、わたくしは毎年大変楽しみにしています。(母校が出ているからです)

 わが県銚も掲載されるようになっていただきたいと楽しみにしております。

 わたくしは、あと3年くらいしか、教員をやることができません。
 どうかわたくしが生きているうちにと、お願いしたい。

 最後に、毎回同じことを言っていますが、今日も言います。

 松下村塾の吉田松陰先生は、弟子たちに「頑張りなさいませ」と、毎日帰りぎわに言っておったそうです。
 今日もわたくしは言いたい。
 「頑張りなさいませ」と。 

 この中から平成の高杉晋作が出るかも知れませんから。



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始業式レジメ

2009年04月06日 07時59分10秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
もっと向上を

                                校長 外山日出男

 平成二十一年度一学期の始業式にあたり、諸君たちに期待するところを述べたいと思う。
 いよいよ全学年男女共学になり、ますます我が県銚の存在することの意味が問われることとなった。
 先生方は諸君たちの、進路実現にむけてあらゆるご指導をしてくださると思う。時に厳しく、時にやさしく。諸君たちはそれに応えてほしい。やればやるだけできるはずである。努力の成果は自己に正直である。
 スポーツをやっている人はよく理解できるだろう。スポーツのテクニックだけをいかに練習しても、それには限界がある。小手先だからだ。柔道でもそう。小手先のテクニックだけを、まるでマニュアルのように記憶してもそれは実践には使えない。試合になると負けてしまう。実践は、マニュアルではない。
 そういうのを「術」のレベルという。
 むろん、術をマスターしていなければ、話にならない。基礎的な技への入り方、入るチャンス、力のバランスの取り方を自ら工夫しなくてはならない。
 講道館柔道は、柔術と言った。古来からの武術を、現在の筑波大学の前身である東京高等師範学校を作った嘉納治五郎先生が、柔道と名付けられた。術から道へ。単なるテクニックから、知徳体の向上を願うものに昇華された。そこには自ずから学ぶ姿勢がある。自己を鍛え、向上させる方法に満ちている。
 自ら学ぶものでなくてはならない。
 自己を鍛えるということはそういうことである。向上心を持って
学んでいただきたい。可能性を自ら捨てることはない。無限の可能性を持っているのが諸君たちである。どれを伸ばし、どれを鍛えるかは自分の選択である。選択のためには、やはり選択できるだけの力がなくてはならない。その力を養成していただきたい。

 昔の剣道家は、重い鉄の棒を素振りで千回も振り回し、それが十分できるようになってから、稽古にいそしんだという。それからでないと竹刀稽古はさせてくれなかったそうである。基礎体力の重要さが武道では代々伝わってきたのである。基礎体力は、実践しないとつかない。やってみなくては力のつきようがない。あるいは教わるだけでは向上しない。教えていただいたことを、千回の素振りのように繰り返し実践することでマスターすることである。学問もまったく同様である。
 本校の先生方に聞いてみること。質問してみること。先生方は、すさまじい努力をしてこられたのだから。きっと役立つアドバイスをいただけると思う。
 新年度、ますますの努力をお願いしたい。
 「頑張りなさいませ」(吉田松陰の弟子たちへの言葉)である。
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いよいよ

2009年04月03日 05時54分45秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 いよいよ新年度のスタートです。
 今日は第1回の職員会議でした。
 転入された先生方を紹介し、いろいろな議事が会議にかかり、議論を深めていきます。そして、学年を中核として学校が回転していきます。
 
 来週から在校生が登校してきます。
 楽しみです。楽しみです。

 勉強はしていましたか?
 いけないことをしてはいませんね?
 (^0^)/

 まるで孫に会うおじいさんのようです。


 始業式でのお話しする内容はまた印刷してクラス単位に配ります。
 概要だけでも見てください。

 お伝えしたいこと、お伝えしなければならないことはたくさんあります。

 それを見ざる、言わざる、聞かざるで通してはチャンスを失うことになります。
 
 わたくしばかりでなく、先生方に対してもそういう態度で接してくださいね。

 学ぶことの意義はそこにあるわけですから。


 将棋の升田名人という方が、辿り来て未だ山麓 という言葉を残しておられたような記憶があります。これを中学生の時に聞いて、がぁーんと殴られたような気になりました。

 まだまだ、まだまだです。
 わたくしも。

 登るべき山はたくさんあります。
 超えるべき坂も目の前に多くあります。

 自己満足してはおしまいですよ。

 傲慢になってもおしまい。

 
 勉強してくださいね。

 本当に。

 
 
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産経新聞様から美術部掲載していただきました

2009年04月02日 21時01分38秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

産経新聞様から美術部のウオッセ21の表彰を掲載していただきました。


平成21年4月1日(水)の記事であります。


なお、産経新聞千葉支社様のご許可をいただいております。 


ありがたい限りであります。

 


ニュース:地方 北海道・東北関東中部近畿中国四国九州・沖縄RSS feed









まるで水族館!? 県立銚子高生が壁画制作

2009.3.31 21:57

県立銚子高美術部の生徒らが描いた魚の壁画=千葉県銚子市川口町の「ウオッセ21」(城之内和義撮影)県立銚子高美術部の生徒らが描いた魚の壁画=千葉県銚子市川口町の「ウオッセ21」(城之内和義撮影)


 千葉県立銚子高校(銚子市南小川町)美術部の生徒が水産物即売センター「ウオッセ21」(同市川口町)の外壁に描いた壁画が31日、完成した。


 施設全体の外壁の塗り直しに伴い、西側倉庫の壁に「銚子と水産」をテーマにした魚や海の風景を4カ月かけて描いた。高さ約2メートル、幅約5・5~7メートルの壁4面に、18種類160匹以上の魚が原寸大で描かれ、マグロは3メートル、カジキマグロも3・5メートルという大作だ。


 3年の高橋実希部長(17)は「制作中は寒くてつらかったが、観光客や店の人が励ましてくれた」と話していた。



このニュースの写真




県立銚子高美術部の生徒らが描いた魚の壁画=千葉県銚子市川口町の「ウオッセ21」(城之内和義撮影)

4カ月かけて魚の壁画を制作、商店会から感謝状を贈られた県立銚子高校美術部の生徒たち=千葉県銚子市川口町の「ウオッセ21」(城之内和義撮影)

県立銚子高校美術部の生徒が描いた魚の壁画=千葉県銚子市川口町の「ウオッセ21」(城之内和義撮影)

「大漁旗」「漁船」「初日の出」など銚子を代表する風景も=千葉県銚子市川口町の「ウオッセ21」(城之内和義撮影)





 


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全体と部分

2009年04月02日 05時08分48秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 全体と部分。
 こんなことを入学式式辞に書かせていただきました。
 
 教科科目の勉強を部分として、全体的な知徳体兼ね備えた人間力みたいなものを全体ととらえていこうとしたものです。
 
 しかし、式辞はどうしても自己嫌悪を感じてしまいます。
 言いたいことのそれこそ部分しか書けない。

 文才がないのだなぁと、嫌になってしまいます。

 セオリーがあるし、極端にそれを崩すこともまかりならん。
 そういうわけです。
 
 セオリーと言うと、このブログもそうです。
 
 なかなか書けないこと、書いてはいけないことばかりです。

 不自由極まりなし、であります。


 この間の美術部のウオッセ21での表彰について、大衆日報様から記事にしていただきました。今朝、確認をしました。ありがたい限りです。銚子は、いろいろ大変な時期でありますが、一服の清涼剤に県銚がなっておればこんなに幸せなことはありません。

 本当にあのウオッセの壁画は、生きているようです。
 
 一度、見に来てください。



 そんなことを生徒の出身中学に申し上げたくて(銚子市外の中学校のみ)、今日は、自費購入した大衆日報紙をお送りしました。

 これもまた、県銚を支える貴重な「部分」でありますから。
 
 楽しみに待っていてください。

 では、また明日。
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新年度スタート

2009年04月01日 00時00分01秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今日から新年度のスタートです。

 今までお世話になりました先生方をお送りして、さらに新しい先生がたをお迎えいたしました。新採用のフレッシュな先生もおられます。経験者では、指導実績のある先生方を県教委に特に懇望してたくさんお迎えすることができました。楽しみです。実に楽しみです。
 
 始業式にはご紹介できます。

 
 また、スリランカからの国際交流の生徒もお迎えすることができました。国費留学生で、大変優秀な生徒です。おおいに国際交流を図ってください。大切にし、親切にしてあげてください。前任校にもたくさんいました。文化の違い、価値観の違いにふれていただきたい。勉強になります。語学ばかりでなく、すぐれた人格にもふれていただきたいと思います。一人で外国に留学するというチャレンジ精神も学んでください。

 これはほんとうに大事なことです。


 
 さらに、県銚の先生方に学ぶことによって、ある種のカリスマ性にもふれていただきたい。

 昨日、銚子のあるところに県銚の先生が、平成11年の春高バレーに出場したときの写真をその会社が飾ってあるのを発見しました。むろん男子バレーですからよその学校の時のものです。

 そういうカリスマ性のある先生方がたくさんおられる。


 そういうところを大いにディスクロージャーしていくのがわたくしの仕事でしょう。

 慶應義塾を作った福沢諭吉もその天才であったとわたくしは分析しているくらいですから。早稲田を作った大隈重信もその例外ではありません。同志社を作った新島襄もそうです。なぜ明治以降の私学が、進展したかというと、創立者のカリスマ性が大きかったと思うからです。江戸時代にはもっと優れた文人・哲人がたくさんいたにもかかわらず、そうした方の学問は現代の大学としては残らなかったわけです。時代性もあったと思います。しかし、山田方谷・吉田松陰・細井平洲・新井白石先生あたりは生まれる時をちょっとずらしていただきたかったと残念に思うのはわたくしだけでありましょうか。

 
 昨日学校に行って、大衆日報様に記事になっておるのを発見して、早速自費購入して明日から各中学校にお送りしたいと思いました。卒業式の記事であります。
 
 これもまたディスクロージャーであります。
 
 
 東京六大学で有名になっている私立大学はおおむねこの手法でのし上がっていったと思っておるからです。たいへん大事なことです。知っていただくことが、一番大事なことなのです。

 春爛漫です。

 天候はまだまだです。


 しかし、県銚はもう全開スタートをしています。

 
 新入生諸君を、在校生をお迎えするために。


 楽しみです。

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/