と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

道を間違わないこと

2010年10月15日 21時17分13秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
このブログは、アクセスの解析をしてくれています。毎日それをチェックするのも楽しみです。

さらに、なんだかアクセス数の伸びを実感させていただいており、感謝をしております。
こんなブログでも、見ていただくだけで幸甚です。


今日は外での会議がちょっとした時間差でふたつ重なっておりました。

どっちにも出るしかないものですから、今日は暑いせいもあって、上着を持ってあちこち走っておりました。

こんな時もあるわけです。


帰りに大都市ですから、古本店と一般書店と寄りながら駅まで道をとぼとぼと。夕刻の6時を回っておりましたでしょうか。都会の雑踏の中を、いろいろ人間観察をさせていただきながら、歩いておりました。運動にもなりますし、ね。

大都市の魅力は、こういう現象を直接見ることができるという点でしょうか。

いいものです。

ある意味非常にうらやましい。


これから向老期に向かうわけですから、そういう文化的な香りというものから遮断されてしまってはいけないと思いました。


柔道の稽古に行けなかったのが心残りでありました。

来週からは、土曜日の稽古に戻ります。

今度は、行けることでしょう。

楽しみを減らしてはなりませんから、これは永続させていただきます。そういう決心をしております。


楽しみと言えば、古本で岩波の新日本古典文学大系の「日本詩史 五山堂詩話」「五山文学集」を、なんと二冊で1000円で入手しました。ありがたい限りであります。前者は一冊4200円もする本です。こういう本は売れないからでしょう。漫画よりも安くなってしまいます。買う人がいないからだそうです。古本店の社長に伺いました。


向老期は、こういう古典三昧で生きていくつもりです。

そして、川底からそっと一隅を照らさせていただきます。


所詮、なんということもない人間です。

今までも、これからもひっそりと生きていきます。人を羨まず、他人のせいにせず、自己を見つめていきたいと思っております。欲にとらわれて、晩節を汚したくありません。消えるべき時は、そっと消えるべきでありましょう。象さんのようにです。


可能ならば、何かのかたちでボランティアをさせていただきたいと思っています。童子たちとまりつきでもしていたいと思っています。

そして、たまには紅葉でも愛でる。


芭蕉の生き方に憧憬しています。

いっぱしの文学少年ならぬ、文学爺を気取ってみたいものです。それくらいは許していただけるような気がします。


紅葉はわがふるさとのみちのくが最高です。

秋田の奥入瀬が一番でした。

今までの体験から。


しかし、最近は山形で熊が出没しているとのこと。

なんということでしょうか。

かわいそうになります。

被害にあった方もそうです。

熊さんもそうです。


中学校に侵入した熊さんがいたそうです。

故郷のすぐ近くにある中学校ですから、驚きました。


なにかが変になっているようです。

わたくしだって、かなり山々を駆け巡っていましたが、熊さんとは出会いませんでしから。


道を間違ったらいかんということでしょうか。

学問をすべき時期に、やはり道を踏み外してはならぬようです。


そんなことを思いました。


また来週!


(勉強してから就寝しましょうね・・)




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英・数・保健と授業を

2010年10月14日 23時11分20秒 | 先公ごっこ2008年から2012年



※↑ 数学の教科書に真っ赤な書き込みがある。

これはすばらしい努力ぶりです。

頑張れ!

頑張れ!





今日も授業を見させていただきました。



英語、数学、保健と見させていただきました。

英語では、この写真のように個別指導。

実に見事なものであります。

個別指導を受けたくて、列をなしておりました。

これが学ぶ姿の最たるものであります。



数学では、先生と生徒が黒板の前で楽しそうに対話。

議論と言ってもいいかもしれません。

これもまた知的な学びの姿であります。

まるでソクラテスの時代を見ているような気がしました。

ギリシア時代には、こういう姿があちこちで見られたとのことです。



保健では、個人的にケアの学習をしておりますので、エイズの講義を聴かせていただたきました。

なかなかのものであります。

これは生きる智慧を教えていただいておるようなものです。

尊い知識です。



学校というのはいわば学習というシステムを扱っているわけです。

それを我が身のものにしない手はありません。どんどん、どんどんそのシステムを持っていってください。断ることはないのですよ。大学がいい例です。大学はそれこそシステムを提供してその存在意義を保っているからです。



もったいないではありませんか。

先生方のコツを、知識をマスターしなくては。



哲学の偉い先生が、いみじくものたもうておりました。

ソクラテスとか、プラトンとか、アリストテレスとか、デカルトとか、カントとか、ベンサムとか、ハイデガーとか、ヤスパースとか・・・・おっとこれは全部わたくしの好きな哲人ばかりでした・・・・東洋哲学では、孔子、孟子、老荘、墨子、荀子等々をこれまで拝読させていただきました。しかしそれは個別の思想体系を、個別に知識として学んでいるだけでは単なる教養でしかない。要するに生きるための方法を学ぶことである、と。

これって、けっこう大事なご発言でありました。



ですからいろいろな生きる上での問題やトラブルをどのようにやり過ごすことができるかという問いの、ある意味での解が用意されているものであります。表層的な現象を追っているのもいいのでしょうが、もっと根本を見つめたまえということです。



コスモスの花は美しい。

脇に咲いているもう一本のコスモスの花も美しい。

そうしたら、二つの花の美しさは、共通しているのか、していないのか。

こんな問いを今日はある生徒に発しました。

科学的には共通しているのかもしれませんが、認識論としては異なってきます。



「美とは何か」とも聞きました。

問答法です。

かなり難しかったようです。しかし、美の追究者でありたいと仮定をするならば、これは避けて通れない道です。理解できなかったら、それは本物の学問をしていないからです。本物の学問をするために、勉強をするということはそういうことなのです。高校時代の勉強をしていないと、学問はできないからです。



ほんとうのところを追求していくのが、学問であります。

そのために基礎的な、基本的な勉強をするわけです。やって当たり前の世界です。
本物の学問をするには、高校時代に勉強をするしかないのですよ。



おいらは、最初から高度な学問をするから、高校時代の基礎的な勉強はしないとうそぶくようではなりませぬ。そういうのを天才を気取るというのです。天才というのはめったにいないから天才なのですよ。勉強はわたくしのような凡人でもできるのです。ノウハウも確立されています。やるっきゃないのです。ほんとうにもったいないではありませんか。保護者の方々の尊いご努力で、勉強に邁進できるではありませんか。もったいない。本当にもったいない。自分で生活費を稼いで、学費を捻出して生活してきたわたくしだからこそ言っているのです。



だから、今やらずしていつやるのだということになります。



世の中は深い。

学問の世界も深い。



だらだらと生きていると、とうとう何もつかめずに世の中を去っていかなければならないのです。

だから努力するのだとわたくしは思っております。


このことはターミナルケアの体験集を読むと本当にそう思います。終末期医療を受け入れ、なおかつ限りある命を充実させて生ききった方々の尊い努力ぶりに、わたくしは今更ながら感動をしているところです。このことはまた別の機会にいろいろと話してみたいことの一つであります。



今、言うことができるのは、天才を気取ってはなりませぬということです。

高校生時代というのは、ほんとうに自分が天才に見える時代なんでしょう。



大人のレベルなどたいしたことはないと、たかをくくってしまいがちです。



思いつきの原稿を書いて、全部の弁論大会に出場していたわたくしの高校生時代がまことに恥ずかしい。

なにもわかっていなかったからです。



発言もそうでした。



思いつきで、さしたる論理性もなく、ペラペラしゃべってばかりいました。

文学少年ぶっていたわけです。

そういうのがかっこういいと思っていたフシがあります。

柔道部と文芸部に入っていましたから、まことに両極端。



謙虚に学ぶしかないのです。



余計なことに、こころ煩うことなく、真摯に学びましょう。



わたくしと共に、です。



また明日!


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授業を見させていただいて

2010年10月13日 21時00分30秒 | 先公ごっこ2008年から2012年



   今日は、本校国語科の先生方の授業を参観させていただきました。


  わたくしも15年前まで国語を教え、柔道部の顧問でバリバリやっていました。

  さらに、本校に23歳の新進気鋭の青年講師をお迎えしました。


  一気に3人の先生方の授業を見させていただきました。 


  中間テスト前ですから、いろいろな対応をされていました。 かなりしっかりした授業でありました。 こういう授業が展開されています。 いかがですか? 本校のような落ち着いた学校でしっかり勉強をしてみませんか?


   終わってから、一番若い講師の先生と1時間ほど、校長室でお話をさせていただきました。 授業のコツをいろいろと話をさせていただきました。 今春大学を卒業したばかりの先生です。ご専門については、わたくしもかなり興味のある分野です。東北の伝承にも造詣が深い先生です。これはうれしい。つまりその東北の生まれでありますから、わたくしが。


   四方山の話をしながら、教育界から去る身としては、こういう若い世代に、これまでの蓄積してきたと思い込んでいる教育の方法論、授業論をぜひともお伝えして去りたいものだとしみじみ思った次第です。 

 
  文法指導の情報カードの束をお見せしました。 京大式情報カードです。 いつも使っているのよりはちょっと大きめです。 専門はこちらでやっています。 一枚一枚にメモをした日付を書いているのです。 


  そして、昭和56年11月6日と書いてあったので、生まれてましたか?とお聞きしたら、否・否でありました。


  そうか、そんなに年を重ねてしまったのかと、正直がっかりしてしまいました。 もしかしたら、ご両親の結婚された時期なのかもしれませんし。

  学習方法までいろいろ述べさせていただきました。 優秀な先生に、釈迦に説法でありますが。 

  
  それでも、わたくしはお伝えしたいこと、お伝えしなければならないことがたくさんあります。 これからの教育をはぐくんでいただきたいと真剣に思っております。 国語ばかりではありません。 道徳教育についてもそうです。 学級経営でもそうです。 柔道もそう。 

 

   いつでもどこでも、継承してくださる方がおられたら、お伝えしたいと思っています。 もっとも、それだけの要求度もなければ絵に描いた餅でしかないのですが、ね。 

 




   今晩もインターネットで注文した書籍が来ておりました。


   哲学者高月義照先生の「人間学 心の地動説」(北樹出版)という本です。かなり難解な書籍ですが、これで最近までのわたくしの隘路を修正させていただいた書籍です。今まで断片的には資料を入手させていただいていたのですが、とうとう本物の著作を入手しました。やはり本物は違います。どのように自己認識をしていくのかというわたくしの拙い問いからの人生の再出発であります。


   限界への挑戦をしていくしかないようです。楽しみでもありますが。可能ならば年を取るのを忘れてしまいたいくらいです。時間は残り少ない。遊んでいる暇はありません。若干の焦りをおぼえつつ、今晩もまたインプットです。至福の時を過ごさせていただきます。



  また明日!

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勉強中でしょうか

2010年10月12日 21時06分48秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
昨夜、それこそ真夜中に柔道の大会動画を編集していて、Youtubeにアップしたら、日にちをまたいでしまっていました。つまり今日になっていたわけです。

対象がかわいいからいいようなものの、本当に柔道が、あるいは柔道をやっている童子たちのことが好きなんですね。

おかげで日課にしている駄文書きが進展しませんでした。毎日少しだけ書くことにしています。日記も書いていますがね。
トランスパーソナル心理学というものでちょっとレポートを書かなくてはなりません。時間がないからまったく悪戦苦闘であります。ずっと家で読書したりしていればいいものを、これでもなかなか外に出かける機会も多いわけです。反面、それが楽しみでもありますが。



親子関係のことで考えておりました。
動物と、人間の親子関係の違いということでした。当然、教育と密接に関連します。親子関係の問題で、円滑に行っていない場合のデータも集めて勉強させていただいています。

動物は自分でえさを捕まえられるようになったら、巣立つわけです。それまでは面倒を徹底してみるわけです。
人間はどうでしょうか。なかなか自立できない。親離れも遅い。

どこでどう違ってくるのかということをちょっと調べておりました。

いろいろなデータがあるものです。
そしてそれをまた再構築して構想を練ります。

つまり単発の知識を、横の関連性においてマスターしていくわけです。
でないと、ろくなレポートになりません。

つまりここのところから多様な問いが派生し、解もまた可能となると思うのです。




サンデル教授の白熱シリーズが一昨日でしたか、NHKでありました。シリーズとしては完結したようです。楽しかった。実にいい番組でありました。最近、これほどの知的興奮をした番組はありませんでした。

こういう状態を保ちつつ、老いていきたいものであります。
誰しも、老いは避けられないからです。
誰だって年をとるのですから。

しかし、あの番組で発言をしていた若人たちは、なんというすばらしい教養人でありましょうか。わたくしなど足下にも及びません。

まだまだ、まだまだ不勉強であります。

最大のあこがれの人、ソクラテスのような若人たちでありました。知を愛し、徹底して学んでいる姿が画面の中にありました。もっとも、ソクラテスの最期は、私的な考えとしては若干疑問に思うところでありますけれども。




こんなことばかりやっています。 
最大の関心は人間とは何かということだからです。
本当に永遠の課題であります。
この視点からはなんでも問いが発生します。
そして、その解を考えていくと、これはもう本当に楽しいものであります。

今日も在校生諸君は、勉強中でしょうか。

あなた方の取り組みは、けっして意味のない行為ではありません。
意味を問い始めたら、永遠の循環に陥ります。ただし、こちらの方面で学問したいという人にはそれなりのシステムが大学に用意されています。非常に特殊な分野ですから、ある意味覚悟が要ります。就職のための学問ではないからです。

いつも思うのですが、自学自習よりはそういうシステムがあったら、それは素直に学ばせていただくことです。先人達のノウハウがぎっしり詰まっているからです。システムを購入させていただくという感覚でおります。これまでも、これからも。

それよりは実践です。基礎基本をしっかりやりましょう。
やるっきゃないのです。
我を忘れるくらいに。
今が基礎なのですから。
時間はないのです。




がんばりなさいませ。

またあした!







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さきほどまで

2010年10月08日 23時27分05秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今日はさきほどまで柔道をやっていました。
 
 日曜日に匝瑳市で大会。
 月曜に天台で県大会。
 一人は東京の講道館で全国大会出場です。
 保護者の方から講道館近くのビジネスホテルを聞かれたので、日大経済学部裏のホテルを紹介しました。朝の7時30分集合ではこれは前泊するしかない。学生時代は、講道館でも稽古していましたから、このあたりはお手のものであります。

 こんなかたちで役に立てばこれはうれしいことです。

 しかし、小学生で全国大会とは恐れ入りました。
 将来有望ですね。
 楽しみです。
 実に楽しみ。

 今日はN君という5年生とずっと技の研究を行っていました。独特の一人稽古もそのコツを教えてあげました。わたくしは選手全体を指導しているわけではないので、これは自由自在にやっています。

 こうしたちょっとしたコツを知ることで、ますます伸びる。
 それがまた楽しみになるわけです。

 
 どちらかというと武の視点で、文を見るという癖がついていますので、なんでも分析的に見てしまいがちでありますが。

 あまり言葉にひっかかっているとこれもまたよくないのですけども、ね。

 
 すべては自然に受け止めることが肝要な気がします。



 長老と青年の会話のようなどこかに突っ張りがあって、それをやんわりと長老が諫めるという本を今日の帰りの電車内でずっと読んでいましので。

 なかなかおもしろかったものでした。


 
 今日は、そんなわけで夜遅くの投稿です。



 また来週!






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楽しみなこと

2010年10月07日 22時15分17秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今日は会議でありました。
 そしてうれしいことが一つありました。
 会場に学事出版様がおられたのです。
 つまり月刊高校教育が販売されておりました。
 本校を掲載していただいた9月号もありました。
 
 うれしくなりました。

 全部買い占めてしまいました。
 もっとも三冊しかなかったのですが。

 もっと持ってくればよかったと編集者の方が言われていました。
 今日は名刺を持参するのを忘れましたので、名刺代わりに差し上げました。
 他県の校長先生にです。

 喜んでいただいたような気がしました。
 こんなささいなことでも、大事です。そんな気がするのです。
 
 要するに関係性です。
 もっとわかりやすく言えば、「ご縁」です。

 そういうことを大事にできない人は孤立するしかない。これはわたくし自身の戒めでもあります。どうも昔から妙な矜恃があって、最後は自分一人で生きていけばいいというようなつまらんへの突っ張りがあって、これは修正すべきことの一つでもあります。

 在校生諸君にはいろいろ言っていますが、世界の聖人君子から見たら、わたくしごとき人間はまだまだ成長段階でしかないのであります。しかしながら、文化の継承という点では在校生諸君には申し上げなければならないことはたくさんあります。

 わたくしの成長の過程で、言えることは伝えなくてはなりませぬ。

 ですから、クチやかましく言わせていただくしかないわけです。

 これは武道に置き換えてみるとよくわかります。

 柔道2段は、白帯を指導できます。
 柔道3段は、2段を指導できます。
 これは循環していくわけです。

 こう書くとご理解いただけると思います。

 ただし、武道の世界は実力の世界。
 クチだけの指導者は不要。
 そう思ってきました。
 
 ですから、わたくしは指導者づらをしないのです。
 もう実力がないのですから。

 しかし、ちびっ子たちにはいい練習相手になると思っています。投げられ役です。自信を持っていただくためにいるのです。じいさんを投げても彼らは喜んでおる。こんなわたくしでも世の中のためになるわけです。これは生き甲斐にもなります。楽しいです。実に楽しい。良寛さんの心境がよくわかります。

 かつての教え子たちが、指導者をしているわけです。
 これでいいんです。
 逆転しても、ジェラシーを持ってはならぬのです。

 立場が違ったら、それなりに生きるべきであるというのがわたくしのポリシーでもありますから。
 こういう老兵の姿からちびっこたちが何かを学んでくれれば、こんな幸せなことはありません。

 それがせめてもの、社会に対する恩返しであります。

 


 明日、夜に柔道教室があります。 
 楽しみです。
 
 明日もいろいろ多忙ですから、行けるかどうか、ちょっと心配なのですが。
 
 あのつぶらな瞳を見たいものだと今からわくわくしています。



 またお会いしましょう、このブログで。



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ノーベル賞

2010年10月06日 20時50分40秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 ノーベル賞を二人の日本人科学者が受賞されたと、ジムで知りました。
 運動中にです。

 たいしたものであります。
 やはりこうした分野で世界的に認められるということがすばらしいことであります。ただし、いくらテレビの解説をお聞きしてもなかなか理解できませんでした。ですからまたやることが増えたようです。理科の先生方にいろいろご指導を願いたいと思いました。その前に、自分でも調べてみましょう。これはわたくしにとっては、喜ばしいことであります。興味関心の分野がまた増えたわけですから。もっともこういうのを雑学というのかもしれませんが。
 
 理解できないことと言えば、今日もいろいろ駄文を書いていて、はたと困りました。専門外のことでありました。インターネットでいろいろ調べたり、参考文献を広げたりしていると、なんとなくわかったような気になるのです。しかし、所詮基礎知識がない。教育分野に応用したくても、そのレベルまでいかない。これは致命傷であります。

 結局、中途半端になってしまいました。
 来客もありましたし、職員会議も予定されていました。

 それでもなおアウトプットしていく作業は重要であります。在校生諸君のことに限って言えば、試験という形でアウトプットしていくことになります。NHKテレビのテストの花道でも、苦手な英語を克服した大学生のことを放送していました。驚異的な英語の学力の伸びを扱っておりました。復習、復習、復習がポイントだったように思います。英単語集から、毎日ひたすら手で書いて、さらにそれをA3の用紙を六折りにして、覚えた単語を書いてみる。覚えたかどうかをチェックするというやり方でした。

 これはいい。
 実にいい番組です。
 
 専門の教科の先生方からしたらいろいろあるのでしょうが、少なくともこういう形で天下のNHKが教えてくださっている。ありがたいものです。コツが明白になっている。こういう番組を見るべきでありましょう。

 そして興味が深まったら、書籍にあたるのです。
 


 今晩も宅配便で古本を入手しました。
 帰宅したら、すでに配本されていました。
 わたくしの机の上に鎮座ましましております。

 ブログを書いてから、マーカーペンを持って読み始めます。
 至福の時であります。

 森三樹三郎先生の「老荘と仏教」(講談社学術文庫)、御厨良一先生の「哲学が好きになる本」(エール出版社)、K・ヤスパースの「哲学の学校」(河出書房新社)の三冊です。これで2500円。助かります。

 明日、もう一冊来ます。柳田邦男先生の「『死の医学』への序章」。なんとこちらは1円。
 これもまた楽しみ、楽しみ。今週は連休ですから、月曜日までには読了したいものです。上記の後半三冊は、高校生にも理解できる程度の本ですからよかったら読んでみてください。



 いつもはがきサイズの情報カードもどきを使用していますから、今日はカバーを買ってきました。学校に一つ置いてありますが、持ち歩き用に追加です。これで、いつでもメモがとれます。

 せっかく買った書籍です。
 穴が開くほどじっと見つめて、吸収したいものです。
 
 本に嫌がられるかもしれません。
 それもまた本望です。


 さぁ、インプットの時間です。
 
 諸君たちもがんばりましょう!








 
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また記事にしていただきました

2010年10月05日 21時05分32秒 | 先公ごっこ2008年から2012年



 また記事にしていただきました。
 大衆日報様です。
 今日の朝刊です。
 大衆日報様は日刊の新聞ですから、銚子市内の方々には本当にファンが多い。したがって県立銚子への応援もいただいております。

 感謝のみあります。

 ほんとうに地域の方々に愛されていると感じます。
 ほんとうに、その期待に応えないといかんと思います。

 こういう地域との関連性を持たせていただいている学校がありましょうか。
 自負できることであります。
 
 江戸時代の藩校のようであります。

 藩校から旧制中学、新制高校になったような伝統校は地域の方々の期待度がまったく違います。最近でこそ地域に根ざすなんとかとか、教育界で言われるようになりましたが、それは藩校の時代からすでに言われていたことであります。
 肌で感じます。
 ですから、自ずから節制する。
 自己を戒める。
 貧困に悩んだ藩を救うために創立された意義を再確認をする。
 そこには自分勝手がありません。
 自己の救済のためだけに学問をしたのではないということを学びます。
 人間は意味を感じるからこそ、活躍できるような気がします。
 多くの俊秀が感じてきたことが地域文化として根付いているわけです。


 そういうのが伝統なのです。
 そういうのが文化なのです。
 
 


 今日は、お世話になっている中学校様に郵送をしようとしておりました。
 校長室でせっせと封筒に大衆日報をはじめとするそれらの資料を入れてのり付けしておりました。
 こんな仕事で先生方のお手を煩わせたらそれこそ生徒諸君たちに申し訳ありません。
 将来の日本を背負う人物を鍛えておられる先生方のじゃまをしていけません。
 尊い仕事であります。
 これほどすばらしい教育的営みはない。生徒のニーズに応えるということは、最初から視点が他にある。これが尊いのであります。

 自戒のみあります。
 
 ですから、わたくしひとりで楽しんでやっておりました。これでけっこうのり付けも難しいのですよ。
 きれいに貼るにはこつがあります。
 見ていただくという感謝の気持ちです。これが無いといけません。
 
 中学生の顔が見えそうです。
 これを見ていただいて、県銚をどう思ってくださるか。
 
 実に楽しい作業であります。



 
 しかし、宣伝ばかりが高校の本質ではないと思っております。
 むろん建物ばかりでもない。新しければいいというものでもない。
 要するに中身です。

 十年一日のごとく、古ぼけたノートを読み上げているような授業では話になりませぬ。
 これでいいのだと自己満足をしたときから、停滞が始まります。
 あの人は安逸を志向していると言われた時から、懶惰な人生が始まります。
 要するに楽をしてはいかんということです。
 なんだってそうです。
 安逸のまま生きようとしたら、それはキリギリスでしかないのです。
 実社会は怠け者には厳しいのです。
 
 怠け者なのに、自分はいつかきっと成功するというのもそれはそれでいいのでしょう。
 しかしそれが隠れ蓑になってはいけません。
 
 自分は群を抜く俊秀であると自分で評価する人はおりません。
 


 もっと厳しく言えば、決してうぬぼれてはならないと自戒すべきです。
 不断の自己向上があってこそであります。

 不肖わたくしも何度もここに書いていますように、学んでいます。
 非常に多忙です。
 大学の先生方ともおつきあいさせていただき、学ばせていただいているからです。
 ご指導もたびたびいただきます。
 根本の哲学がおかしい、緻密な読解力に欠けると言われることもあります。
 ありがたい限りです。

 
 大学の教授が何人か高校の同級生におります。
 彼らは実に勉強家であります。

 ほんとうに尊敬しています。
 努力の虫であります。

 本のマンションまで借りています。
 そこで、論文やレポートを書いているのです。

 当然、不肖のわたくしとしては、憧憬します。
 真実うらやましい。

 努力、努力、努力ですよ。
 それしかないのです。

 


 老兵のわたくしですら、論文という形でアウトプットしているのですから。
 諸君たちの時代には、凄まじい勢いでインプットすべき時期でありましょう。


 がんばってください!






 

 


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防災訓練フォト紹介

2010年10月05日 20時59分29秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
























今日はこういう防災訓練の時間を設定させていただきました。

その紹介フォトです。

こういう体験をしておかないと、いざというときに困ります。






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森番の独り言

2010年10月04日 21時54分22秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今晩のNHKクローズアップ現代「男一人残されて」は、実に興味深い内容でありました。
 NHKの番組紹介HPから引用してみましょう。↓


「妻に先立たれ、一人で生きていくことになった男性たち。その深い悲しみと日常生活が立ち行かなくなる様子を綴った手記が相次いで出版されている。また、配偶者を失った人たちに対する最近の調査では、女性よりも男性の方が立ち直りに時間がかかり、死亡率も高まるという実態が明らかになってきた。毎日の食事をはじめ、健康管理や金銭管理もままならない男性たち。そうした遺族を支えようと支援を始めた医療機関や団体もあるが、その数はまだ極めて少なく、体制も不十分だ。番組では、妻をガンで看取った後のつらい体験を著した垣添忠生さんをゲストに迎え、“悲嘆のケア”はどうあるべきかを考える。」
          http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=2943




 グリーフケアであったからです。悲嘆を扱っておられた。老夫婦の問題でありました。誤解されてはいけないので、グリーフケアは老人問題だけではありませんとあえて申し上げておきましょう。このあたりはインターネットでも使って調べてください。また県立図書館に行きますと、一番奥から右側二番目の書棚に専門のコーナーがあります。

 最近のわたくしの非常に興味ある分野でありました。
 喪失の体験ということだからです。

 NHKが取り上げるのですから、かなり話題になっているのでしょう。 
 ただし、それは他人事としての話題なのかもしれません。
 しかし、誰でもそうした時期は来ます。喪失の無い人生はありませんから。
 そのことから、いわば逆算から人生を俯瞰するというのもまた真摯なる態度であると思うからです。

 将来、看護系・福祉系の進路を考えているのならば、こうした学習もまた大変に大事なことであると思いました。

 高齢化社会とか、いろいろと言われます。たくさんの高齢化**という単語、熟語がマスコミによって発信されていきます。

 いつも思うのは、それは決して自分のこととして意識されているのではないということです。他人事なわけです。

 永遠の未来などわかるわけはありません。しかし、だからと言って今しか考えないというのもいかがなものか。

 これ以上は書きませんが、インド哲学でいうところの無記という立場でそっと話題を変えるしかありません。

 さて、この日曜日(3日教育テレビ)にサンデル教授(ハーバード大学)の白熱の授業が東京大学でありました。NHKで夕方6時から放送していました。わたくしもそれこそ白熱して観ました。大変におもしろかったのです。イチローの年俸のことがマスコミには話題になったようですが、わたくしはサンデル教授が、44億円寄付するから東大に入れてくれと言われたらどうするか?という課題設定の方が実に興味深く感じました。それに対して、東大の学生たちがどう議論するのかをじっと見ていました。
 
 さすがに矜恃がありました。学問の厳しさに耐え、成果を上げてきた若人です。すばらしい発言が多くありました。ただし、その論理性には一抹の不安もありましたが。

 サンデル教授の講義は正解を求めるものではないと聞きました。
 それなりに終わったと感じました。
 本当は、サンデル教授は何を言いたかったのか。
 それを聞き逃したような気がしました。

 わたくしごときでは理解が及ばぬようです。サンデル教授が、まさかインド哲学の無記の立場にあるはずもなし。ベンサムや、アリストテレス等々の考え方を駆使しておられる先生を画面の中に見ながら、先々週まで西洋と東洋の視点からこれまでの人間観の問題点と課題という駄文を書いていたことを思い出しました。西洋哲学の泰斗が目の前におられる。そして、議論しているのは日本でも一流の俊秀たち。

 いい光景です。
 こういう若人たちがたくさんいる限り、日本は安定していくことでありましょう。

 考えることです。
 高校生時代は、一種異様な矜恃があって、自分だけ知識があって、自分だけのために世界は回っていると思いがちであります。物事には裏も表もあります。単純なシステムに身をゆだねないことです。

 考えることです。
 疑うことです。
 
 そのために基礎基本を学んでいるのです。
 うかうかしていると、深い森の中から出てこれなくなりますよ。

 学ぶことによって、成長をしてください。
 
 もう40年近くも森番をして、幾多の俊秀を送り出してきた我が身です。
 思い切り力をつけ、森の中で鍛えた力を、森の外で大いに発揮してくださりませ。

 期待していますよ。


 また明日の晩にお会いしましょう。



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もっと緻密に

2010年10月01日 22時14分10秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
 今日もいろいろな方とお会いしておりました。
 さらに、先生方との面談もしていました。
 3時間はかかりましたでしょうか。

 先生方との面談を通して、生徒諸君の勉強ぶりがよくわかりました。
 もっともっと伸びてほしいというのが、わたくしの正直な気持ちです。
 まだまだ努力不足を感じます。頑張ってください。式典でも申し上げましたが、学ぶ意欲、そして健康的な体力、さらに人物を鍛えることによって、意味ある人生を送っていただきたいと思うからです。こういうのを本当の学問と言うのだと思うからです。

 面倒見がいいということを学校のポリシーにしていますが、受け身の学習だけで、わからないことをそのままにしていてはいかがなものか。

 なにか先生方に言われたら恥ずかしいと思っていたら、そこには向上がありません。
 どん欲に学んでください。
 聞かないと得るものはありません。
 自分だけが優秀だと思っていると、人に聞かなくなります。人の言うことも耳を通り過ぎてしまいます。

 こうやってここに書いている以上、わたくしだって年甲斐もなく勉強をさせていただいています。まぶたの母ならぬ未だお会いしたこともない何人もの師匠がいますから、レポートを書いてもそれこそ面罵されます。それでいいのです。完成したと思ったときから堕落が始まります。ですから一切のうぬぼれから遠い位置にいるつもりです。生涯教育とはよくも言ったりです。

 先日書かせていただいたドクターの種村先生からメールをいただきました。わたくしがお送りした文章(2600字)よりも長い文章でありました。感激しました。
 
 世間には本当に優れた方がたくさんおられます。

 最近苦労しているのが、古典を読んでも緻密さがだんだん欠けてきていることです。哲学系で苦労しています。あらゆる文献を読んだこともなく、一文へのこだわりにも欠けてきています。それを師匠から指摘されました。年齢的に厳しくなっているのはわかるが、もっと緻密に古典を読むようにとのことでありました。

 ありがたいことです。こういう励ましがあるから、自分に妥協することがないわけです。妥協したらおしまいです。

 もっと言えば、そして誤解を恐れずに言えば、アウトプットのためにインプットすることで、不老長寿の薬を見つけたような気がしているのです。これは楽しい。実に楽しい。次から次へと挑戦し続けています。
 
 今日も、夜の8時頃にインターネットで注文した書籍が宅配で送られてきました。
 「高齢者の住まいと交通」「高齢時代を住まう」「都市の少子社会 世代共生を目指して」というものです。相変わらず、古本です。新本で買うととても高い。それが全部で3000円しません。こんな便利な時代になるとは思ってもみませんでした。それぞれの書籍はその辺の一般書店では絶対に入手不可能ですし、大都会の書店にもなかなか売っておりません。インターネットはそういう長年のわたくしの悩みを解決してくれました。

 これだったら、東北の深山幽谷でイワナを友にし、いで湯を愛し、山々を駆け巡っていたわたくしでも、わざわざ東京に出てくる必要はなかったのかもしれません。もっとも、40年前にはインターネットは無かったですから、考えるだけ無駄ですが、ね。

 今年に入ってから、茅屋の書庫を整理したのですが、またまたどんどん貯まってきました。所詮、わたくしは雑学趣味人なのかもしれません。それが、学校教育に少しでも役に立てばこれは言うことなしであります。事実、いろいろな面で助けられたことがたくさんあります。書籍の中の俊秀たちに、です。

 これはけっこう貴重なことを申し上げているつもりです。
 どうしても、主観的な、体験的なことばかり発言し、書くことが多いからです。ですから師匠から、厳しくご指導をいただくわけです。文献をもっともっと読み砕きたまえと。

 


 尊敬する大阪国学院中高の理事長・校長先生の木村智彦先生が、ブログを休筆されていたのですが、今日、一部再開されていることを知りました。ファンですから、実にうれしくなりました。休筆宣言で実はどこか健康上の不安があってのことかと類推してしまったのです。それがそうではなかった。これはうれしい。

 実はわたくしもこのブログ、もう貯金を使い果たしてしまったので、休筆をしようかと思った時期もあったからです。元々たいしたことも書いていませんし、そもそも貯金もあるわけが無い。

 ただし、広報活動としては、最後までやるべきであろうと思いなおしました。校長の仕事ですから。

 中身は無いし、まさに主観的・体験的なことしか書くことができないわけです。緻密さにも欠けます。それでも、発信していきたいと思っております。それも来年の今頃まででしょう。教育界を去るまでは、挑戦していこうと。

 
 

 さ、今晩もこれからインプットの時間です。明日は土曜日ですからね。

 また来週!


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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/