と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

大人になるということ

2012年02月15日 22時33分15秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

・本校を志願して下さった中学生のみなさん、ありがとうございました。いまごろ家で自己採点でも終わってほっとしているところですか?


・たくさん受験していただいて感謝します。そして入学したら、いろいろな楽しい体験をしてくださいね。本校ならば、まず最初に「学ぶこと」そのものの方法をお教えしますから。知・徳・体それぞれを総合的にです。それが、本校ならば学ぶことができるのです。学校はそのためにあるのですから。本校は大きく変貌します。共学もそうでした。さらに新校舎建て替えと、防災の学びが導入されます。本校と共に変貌の道程を歩んでいきましょう。そして自分を大きく変えていきましょう。


・本当に学ぶということは、永遠に続くことであって、実に尊い行為です。そしてまたそれは実は大人になっていくという道程でもあるわけです。


・じゃぁ、大人になればなんでも知っているかというとそれはちょっと全面的に肯定するわけにもいきません。そういう人も中にはいるのかもしれませんが。


・子どもから見たら、大人というのは知的水準においても、経験知においてもなんでも、水位差でみたら上位の人間でありましょう。子どもは、それだけのことを知らないのですから、どうあがいても子どもは子どもなわけです。


・わたくしなりに大人というものを考えたときには、大人というのは稼げる人だから大人なのかといったらそうでもない。あるいは定見を持っているから大人なんだというのでもない。またあるいは孤独に耐えられるから大人かという問いには当てはまらないのではないかと思うのであります。


・子どもから、子どもたちの問いに対して、「ある種の答えを持っているとみなされている人間」が、あるいは「あの人はもしかしたら叡智を持っているかもしれない」と思われている人間が大人であるような気がするのです。


・だから謎の多い人ほど、魅力的に見えるのです。これは実に逆説として効果的であります。


・このことは、先生のレベルを目指して、それを追い抜こうとした時がもっとも該当するのでありましょう。師匠を抜いたというときは、あるいは永遠にこないのかもしれません。しかしながら、そのこともまた楽しみでもあります。もう教えることはないというとき。これが免許皆伝というのであると思っています。


・沈黙の多い人が謎が多い?・・・・・違います、違います。逆に、ざっくばらんな人には謎が無い?・・・・これもまた違います。


・たとえばわたくし。このブログで全部をさらけ出しているとよく言われますが、けっしてそんなことはない。わたくしは、いろいろな自分という個性を使いこなしながら、ブログで、記事の中である種の個性を演じているわけです。


・なにを専門として勉強してきたか、あるいは政治とか、哲学者は誰がすきなのかということ、もっと言えば私人としてどういうことを考えているのか(家庭観、結婚観、恋愛観等々)ということは、いっさい明らかにしていません。在職中はそんなことは言えないからです。


・そのあたりは実に慎重に書いています。




(閑話休題)


・小津安二郎の「晩春」という映画があります。この映画は何度も何度も見させていただいた映画です。


・鎌倉は円覚寺の茶会から映画は始まります。曾宮紀子(原節子)が茶会に姿を見せるとぱっとその場がはなやぐ。腰を深く折り、深くお辞儀をしあうそのものごしの美しさ。原節子という女優の動作や、白黒の映画からもたらされるところの深みにすっかりはまってしまいます。


・紀子は、大学教授で長いことやもめ暮らしをしている父親の曾宮周吉(笠智衆)と暮らしています。今、27歳という設定。縁談がたくさんあるが、嫁ぐ気持ちもなく、父と一緒に暮らし、父の面倒を見ていることで満足している。


・父と娘の穏やかで静かな生活が流れていきます。しかし、父の妹のまさ(杉村春子)は、心配で心配でならない。縁談話をけしかけるが、どうしても紀子は言うことをきかない。「わたしがいなくなると、お父さんが困るわ」という論法なわけです。


・思いあまった伯母のまさは、父周吉の再婚話を持ち出して、紀子に迫る。ここから紀子のこころの動揺が画面で描かれていきます。


・しかも、それは能の観劇のシーンです。能「杜若」(カキツバタ)であります。杜若の花の精が、在原業平への道ならぬ思いを舞い踊る。小津監督の深い構成力がここに現れているのです。成就しない思いというものが、現実と能舞台で展開していく。6分30秒もこのシーンは続く。


・精神分析学でエクストラ・コンプレックスというのだそうですが、ま、そのことはここでは触れません。


・京都に、結婚を承諾した紀子を連れて父周吉は晩春の古都を尋ねます。このあたりも実に印象的な京都の風景が淡々と映像として描かれます。


・そして明日は帰るという最後の夜に、また紀子は抵抗をする。「このままにさせといて」と父親に懇願する。周吉は、それをやさしく諄々と諭す。大学教授ならこんな風に諭すのだろうなぁという雰囲気で。


・婚礼の日、姿見の前で紀子が腰をかけている。なんともあでやかな原節子の姿ははっと息を呑むような美しさであります。


・やがて紀子は、父周吉の前に座って、「お父さん、・・・長い間・・・いろいろお世話になりました・・・」と,美しい三つ指をつきながら言う。これがまた実にいい。何がいいって言うと、わたくしもまた娘を送り出した経験を持つ父親であるからです。


・父親の周吉は「ウム・・・・・幸せに・・・・・いい奥さんになるんだよ」と、笠智衆のあの淡々とした風貌で言う。これもまたたまらないほどいい。


・ラストシーンがまたいい。結婚式も、相手の男性も映画には登場してきません。なんと結婚式の後、父周吉はひとりしょんぼりと自宅に帰ってきて、椅子に腰を下ろして、机の前にあったリンゴの皮をむき始める。しかし、いつの間にか父周吉は居眠りを始める。これで終わりなのです。見事な終わり方だと思います。映画評論家はいろいろ言っているようですが。






・さぁ、大人になるということは、こういうことであるのです。そう言ったらわけがわからなくなりますかな?


・老いを受け入れられること、老いを見つめられる、あるいは深層心理における父親(母親)との関係性から自由になること、またあるいは日常的な普通の生活に生きることができるということ・・・・・いろいろと分析可能でありましょう。


・わたくしは、最後の父周吉の姿に真理を見ました。それはなにか。平凡に生きることのできる中にこそ、生きるヒントが、あるいは大人になるということのコツがあるような気がしてならないのであります。



・また次回!


・明日は学校ですよ。


 








 


 


 


 


 


 


 


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2月11日(土)のつぶやき

2012年02月12日 04時08分44秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
22:01 from gooBlog production
花をいただきました goo.gl/nC6j7

23:39 from web
カラマーゾフの兄弟を新規に訳された亀山郁夫先生の文庫本を買いました。光文社文庫であります。佐藤優先生が激賞していましたから。愚生は学部の卒論で、米川正夫先生の全集(河出書房新社)で読みましたから、新たな発見があったのです。

23:39 from web
それはかの有名な大審問官の章であります。専門家にこれから幾度でも質問したい分野であります。

23:41 from web
専門家であるということは、実に苦しいことなのでありましょう。なんと言っても、西田哲学を、取り上げている著者の全集を読んでいないのではないかと批判される学者先生がいると聞いては、ぞっといたします。

23:42 from web
学問の道というのは本当に苦しいものであります。

23:44 from web
修士論文を書くときに、愚生はある印度哲学の原典にあたっていないという劣等感にさいなまされましたが、本当に厳しいものであります。学問の道というのは、愚生ごときに触れられるものではないのでありましょう。

23:46 from web
永遠に続く道であります。その意味で、愚生はどなたにも指導者ズラをすることはできないのでありまする。

23:48 from web
明日も、県立図書館でノート取りをします。7時間くらいであります。やるしかないのであります。なんといっても、初歩の学びしかやっていないのでありますから。柔道も、国文学も、哲学も。まだまだでありまする。

by kencho943 on Twitter
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柔道教室卒業生を送る会

2012年02月11日 22時15分30秒 | 先公ごっこ2008年から2012年


※退職する愚生へのプレゼントだそうです。感謝感激でありました。


 


 


 


・今日はたいへんありがたいことに、愚生の関わらせていただいた柔道教室の小学6年生を送る会がありました。そこに、おまえのような人間でもコイと言われたので、おそるおそる参加させていただいたのでした。今日の6時からでありました。行きましたら、小学生がたんといる。あの大震災以来、ジプシー生活を続けながらよくまぁここまで稽古をしてきたものであります。


・実にすばらしい。


・指導陣には非常に優れた方々がたくさんおられる。柔道を通して、人間世界における関係性を学ぶことができてきたわけであります。


・そういう点では感謝あるのみ。


・退職だというわけで、こどもたちから花のプレゼントをいただきました。驚愕でありました。ほんとうに涙の出るほど嬉しかったのが、この写真。外山よ、退職おめでとう!というわけです。びっくりしました。そして、共に汗を流し、苦しい体験をさせていただいた武道人としての喜びがここにあります。


・そこに打算がないからであります。こどもたちの心情はまっすぐであります。ほんとうに美しい。こんな人間で死ぬまでありたいものであります。ここまで育てていただいた柔道の指導陣に感謝感激であります。


・御礼を言えと言われましたので、もじもじと拙い東北弁で申し上げました。


・それは「先生はエライか?」ということでありました。


・エライ先生であるから教わったのか?と最初に聞いたのであります。


・そんなことは無いわけであります。われわれ指導陣は誰一人としてオリンピックに出ているわけではありません。先生がエライから教えていただいたのではないわけであります。


・エライ先生を見つけるのは、むしろ、教えていただく生徒の側にある問題設定のあり方にあるのであります。そのことを申し上げたつもりでありますが、どこまでご理解いただけたか・・・・・・・・・・・・


問いの立て方というのが最重要なのであります。


・自分は何を考え、何を志向しようとしているのか?


・そのことを最も重視したいのであります。60歳になったから、もうオレは完成している、オレは引退だとか、そんなくだらないことを言っていてはおしまいであります。


・エライ先生を見つけるのでは無く、自分の側に問題を設定していただきたいのであります。それでこそ、エライ先生を見つけることができるのであります。それでこそ人生であります。学ぶということは、本当に謙虚に師匠の全てを吸収することなのであります。


・どうやって生きてきたかとか、過去の失敗など関係がないのであります。学ぶと言うことは常に今のこの一瞬をものにできるかどうかといことであります。だからこそ、謙虚に生きていっていただきたい。文句を言っていれば快適であるとか、それで自己満足をしているようでは成長はない。


・年をとったから、オレはこれでいいのだとか、おまえなんかまだまだガキだとか言っちゃぁおしまいでありまする。よく2歳くらい年が違っているからと言ってなんだかんだとおっしゃるかたがいましたが、そうではないのであります。大人になったら、年齢は関係ない。年下の上司だってなんぼでもいるんですからね。年齢では無いのであります。「人間としての器」でもって世の中はなりたっているのであります。大きな器のある人間に成長していただきたいものであります。


・今日は、将来東大に行くと言う生徒もおりました。事実、この柔道教室から、東大を目指した生徒もおりました。希望かなわず慶應の法学部に進学していきましたが。


・年齢とか、経験とか、学歴とかいうものは無関係なのであります。「問題設定」がどの程度自己の内部にできていたかということが最も肝要なのであります。これこそ、あらゆる学問修養のコツであります。


・柔道でそれを学んでいただいたのかなぁと思っているのであります。




・若者よ!


・徹底的に学びなさいませ!




 


 


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張良に見る学び

2012年02月09日 22時58分40秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

 



校というのは・・・・という定義で語られることは、スコミをはじめとしてかなり多いのであります。得のいく場合と、の論理はいかがなものかと感じる場合があって微妙に記事にすることは避けます。




・在職中は、これ以上のコメントはしません。されど、なかなか興味ある分野でもあります。


 


・さて、今日はわたくしにとって真の意味での「先生」あるいは「師匠」とさせていただいた方はどのような方であったろうかということを考えたのであります。




・尊敬させていただいているすぐれた先生であることを、たくしは教わる前から知っていたというわけではありません。


 


それだけの勉強もしていないし、生の専門的力量をあらかじめ知っているほど学識もない。生がどうやって勉強をされたかも知らんのです。


 


・もっと言えば、「受け手である教わる生徒がどう思うかを問題にしたいのです。だから先生を自分勝手に評価して、教わりたくないとか、否しちゃおうというのではいかがなものか。


 


・それよりも、生方にくらいついて、んな先生なのかを吸収することであります。


 


・能楽に「という作品があります。国の漢の時代、軍張良が、い頃に黄石公という老人から「公望秘伝の兵法の極意を授けられる時のエピソードであります。張良は、石公から奥義を教わろうと「先生、とお仕えするのです。かし、の老人なんにも教えてくれません。る日、街を歩いているとくだんの黄石公先生が馬に乗ってやってくる。良の前で、ろりと左足の沓を落とします。って履かせよ、まで言われる。


 


・別の日に、また街を歩いていると再び先生と出会う。ると先生、度は両足の沓を落とす。


 


・この両日とも張良は、生の命ずるままに沓を履かせます。して、二度目のその瞬間にすべてを知るのです。


 


・なんだれ・・・・・・と思われるかもしれません。


 


・先生は年のせいで、どうかしたんだろうかと思うのが現代の学校と生徒の関係性。かし、の先生は二度同じことをしたのです。もう偶然ではあり得ません。


 


ったいこの先生は、んなことをすることによって何をしたいのかという問いをたてたのが張良なのです。


 


・つまり先生からの謎かけであったと張良は気がついたというわけです。う解釈できたということなのです。れがしかも弟子である張良自身だということが重要なのです。にも先生から教えていただいているわけではないのです。り合点なのかもしれません。かしながら、良はあきらかにCommunicationの本質と極意を同時に会得してしまったのです。


 


・極意を得たいという姿勢は、待ちの姿勢です。っと言えば解釈者の姿勢です。け身と言ってもいい。ちの姿勢でいる武道家は、対に相手の先手をとることはできません。必ず負けてしまいます。手がなにかをしてから、ちらの行動を起こすから、段の遅れをもたらす。


 


・先生は自由自在に行動されている。かし、子の張良は完全に受け身で、まったくなにも気がついていない。られているわけです。こうやって負けるという手本であります。


 


・つまり教わる方の解釈、段からの素養の磨き方にあるというのがわたくしの言いたいことであるのです。


 


してこれと思った先生には迫ることであります。教えてもらうのではないのです。あくまで解釈する生徒側に問題の力点があるのです。それを忘れないことであります。








・学校選びの視点として、そんなことを思っていただきたいと思います。





・勉強なさいませ。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 



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2月8日(水)のつぶやき

2012年02月09日 04時11分26秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

22:02 from web
先ほど産経新聞(HP)の地方版ニュース千葉版に、明日の朝新聞に掲載される志願者数が出ていましたね。志願してくださった中学生のみなさん、ありがとうございます。

22:04 from web
今日は2年後の安全教育研究指定高校のことで、都会に出かけておりました。教育界からいなくなっても、未来の準備をしなくてはならないわけですから、なかなかのものがあります。

22:06 from web
そういう研究組織を束ねさせていただいておりましたので、責任があるわけです。もっとも、仕事としてはここまで。期限付きであります。

22:08 from web
どんどん期限付きの仕事が増えていくのは、これまた致し方なし。やめたらそれっきりの世界でありますから。やめてもだらだらなんかに拘泥してるのはみっともないですから。すぱっといきたいものであります。すぱっと!

22:11 from web
山岡鉄舟のように、です。あの方は実にすばらしい。剣豪でもあり、禅の大家でもありました。また、政治的な行動も実に視点が違う。思想家としても一流でありました。

22:13 from web
NHKの番組でも取り上げられていましたね。今日予約録画していましたので、さきほど西郷隆盛と一緒に出ているのを拝見させていただきました。すばらしい方であります。

22:16 from web  [ 1 RT ]
次年度以降のことは、万端にわたって準備をさせていただいております。いろいろなアイディアも、関係各位に申し上げていきます。どういう学校になっていくか、これからが県立銚子は楽しみな学校です。

22:16 from web
待っていますよ、中学生のみなさん!

by kencho943 on Twitter


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2月7日(火)のつぶやき

2012年02月08日 03時51分41秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
22:33 from gooBlog production
読書法 goo.gl/QqrRh

22:59 from web
「西田幾多郎の憂鬱」小林敏明先生の岩波現代文庫を昨日読んでいたんですが、天下の碩学西田先生のドイツ語理解について、やや否定的に書いている学者先生がおられることを初めて知りました。・・・・・若干疑問に思っておりますが。

23:01 from web
愚生などは、ほんとうにいろいろ拾い読みをしているだけで、恥ずかしいかぎりであります。西田先生くらいになると、いろいろ言われるんですね。凄い世界であります。研究者の先生の世界というのは、ほんとうに凄い。

23:03 from web
しかし、独学では限界があります。わたくしもまた師匠を求めて、さまようしかありません。これまでいろいろな先生方に教えていただきました。理解の程度は別にして、感謝・感謝であります。

23:05 from web
別に拘っているのではありませんが、柔道のようにものにならなかったということだけは、避けたいものであります。つまり中断だけはしたくないのであります。飽きてしまってはなりません。中学校の教員時代に柔道から遠ざかったからです。貴重な20代に柔道がまったくできませんでした。

23:06 from web
悔いの無い学びをしていってください。学校に求めるイメージというのは、そういうことです。

23:08 from web
では・・・・・・・・・お休みなさいませ。わたくしは、こたつを出て、これからもうちょっと別の部屋にある書庫で調べ物をします。また明日!

by kencho943 on Twitter
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三色ボールペン

2012年02月07日 21時34分45秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

・三色ボールペン読書法という方法があります。明治大学の斎藤孝先生のベストセラー本から学ばせていただきました。赤は最重要、青はその次、緑は自分の主観というか感じたことについて、線を引いたり、丸で囲んだりして読む方法です。これは試してみる価値はあります。なぜか。デジタル読書をしていると、どうしても死蔵してしまう書籍が出てくるからです。


・デジタル読書?


・pdfとかのファイルで読む機会もあるからです。これは自炊とか自作とか言って、自分で書籍をデジタル化するのですが、けっこうやってみました。試しにです。読み終わってからスキャナで数百ページもあるのを取り込んでいくのですが、結局ゴミの大量生産をしているだけなのかもしれないと思い始めて100冊くらいで中止しました。ビジネス本と呼ばれるものをそうやって取り込んだのですが、もうそれ以来全く読まない。それだけの価値がなかったのかもしれません。わたくしのこころの中では。


・三色のボールペンでかちかちと色を使い分けながら読書をしていると、(周囲に人がいるときは、かちかち音は迷惑です。図書館ではやらないように)頭に入ってくるような気がします。


・ただしわたくしは古典にはこれをやりません。先人に対して申し訳ないような気がするからです。


・なぜこんなことを書き始めたがというと、作家の佐藤優氏の「功利主義者の読書術」なる本を読み始めて、内容が難しくて往生したからです。読書論が書いてあるのですが、この手の本は読みながら考えていくしかないのです。ノートをとりながら読むと、時間がかかり過ぎる。こうなると、一番やりたい分野の読書がおろそかになります。自分の専門の書物を読んでいかなくてはならないからです。そして、それはまだまだ継続していかなくてはならないことだからです。


・しかし楽しいものです。自分の知らないことを読書によって体験をすることができるということが、です。佐藤優氏の書籍にはいつもいかに世間を知らないかということを自覚させられるのですが、今回もまた同様でありました。特に新自由主義経済の本質と、団塊世代には一世を風靡した作家の高橋和巳をどう理解するかという点では、いろいろ教えていただいたような気がしました。今回は、小説も取り上げてくださっていて、これもまた実に参考になりました。いかに普段の読書生活が狭いものであったかを教えていただいたような気がします。


・県銚にいると、そういう知的な活動に取り組みたくなります。学校の持つイメージというものでありましょう。図書館も充実していますし。もっともそういうように自分を仕向けているという面も確かに否定はできないのでありますが。


 


・また明日。


・勉強なさいませ。


 


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2月6日(月)のつぶやき

2012年02月07日 03時43分42秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
22:33 from gooBlog production
明日も元気で goo.gl/GT029

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応仁記

2012年02月06日 22時38分58秒 | 先公ごっこ2008年から2012年

・3年生は今が一番忙しいのですが、1・2年生もまたいろいろと勉強や部活動三昧であります。冬は寒いし、天候もままならないのでありますから、不便なことも多いのであります。今日は午後から雨天でありましたし。


・こうした中で、ご自分の興味ある分野を思い切り勉強されるのもまた良し。


・最近は能の本を集め始めて、ついでに室町時代のことも興味を持ち始めています。応仁記という古典をちょっとかじりはじめましたが、この応仁の乱というのはまったく不可思議であります。


・登場人物がくるくると入れ替わり、何がなんだかわからなくなってしまいました。それで、昨日からこたつに潜り込んで、A4のルーズリーフに整理を始めました。これくらいのことは日本史専攻の方なら朝飯前でありましょうが、素人のわたくしにはなかなか困難なことが多いのであります。丹念に読み込まないと誤解を生じます。よって、丁寧に読み込むしかない。尊敬する小林千草博士の日野富子に関する基礎文献であります。なかなか面白いのであります。


・いい対象に出会ったという感がしています。こういう書籍に出会った時は、一日中楽しいのであります。


・NHKテレビで徒然草を連続ものでやっていました。番組名は100分で名著・・・・・だったような気がします。けっこう楽しい番組です。毎回楽しみに見ているのですが、ふと気がついたのが、わたくしも加齢をしてきて読書の傾向が変わってきたなぁということであります。


・兼好法師というのは、高校生の時にはあまり好きではありませんでした。そういう固定化された価値観を持っている古典について、屁の突っ張りみたいな妙な固定観念があって、受験に出るから仕方なしに読んでいたような気がします。若気の至りであったのでしょう。それが、今はなかなかの味わいのある古典になってきました。


・室町期のことに興味を持ち始めたのも、あることがきっかけでした。死生学というものをやってきたからなのです。古典が先にあるのではなくて、そちらが先にあって、非常に興味を持ち始めました。それでもいいのだと思っています。どこから入るかは、これからもわかりません。どうなっていくのかもわたくしにはわからない。


・読書というのは楽しみでやっている分にはいいものであります。ただし、ある種の「罠」があります。それは自分で考えるのではなく、他人の頭脳を拝借している以上、自分で考えなくなるという「罠」が待ち構えているかもしれないということです。


・大量の読書をされるかたはそこに気をつけられた方がよろしいでしょう。つまり他人の受け売りでしかものを考えられないのではいかがなものかと思うからであります。


・もっともこれもまたわたくし自身への戒めでもありますが、ね。




・明日も元気で学校に来てください。在校生諸君!


・勉強しましたか?




 


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2月1日(水)のつぶやき

2012年02月02日 03時43分48秒 | 先公ごっこ2008年から2012年
21:58 from gooBlog production
なにを見つけるのでしょうか goo.gl/ETOUo

21:59 from web
久しぶりの投稿です

22:00 from web
一月はほんとうにいろいろありました

22:01 from web
新しい体験もさせていただきました

22:02 from web
積極的に学ぶ、やってみる、挑戦してみることの重要性は、還暦になってもかわらんようです

22:03 from web
恩師、盟友、多くの書物たちに感謝しているところです

22:04 from web
研究者としてやっておられる方々の世界を垣間見させていただいて、本当にすばらしい世界を生きておられるものであると、この二年間の経験に感謝しておりました

22:06 from web
3年生諸君達も本校での学びは貴重なものであったのかとも思います。まだ、過去形で言ってはならんのでしょうけれども。

22:07 from web
これから受験の生徒達よ、頑張りなさいませ!

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県立銚子には何かが埋まっている

2012年02月01日 23時09分54秒 | 先公ごっこ2008年から2012年


 


・この写真は創立当時の全校生徒合同体操のものです。明治44年、なんと100年前の1911年と解説がついています。


・なんどもこのブログに取り上げさせていただいた写真でもあります。


・この当時の県立銚子に入学していただたいた大先輩達は、どういう期待を持ってこの県立銚子に入学されたのでしょうか。


・ふとそんなことを考えたのであります。


・入学を決意されたのですから、なにがしかの旧制女学校に対するイメージというものがあって、それによって入学を決意されたのに違いありません。


・それが何かについて、是非ともお聞きしたいものであります。しかし、それは不可能であります。タイムマシンで明治の御代に旅するしかありませんから。


・この写真の先生の姿も尊いものであります。どうしても教えたいことがあるから、先頭に立たれて全校生徒を指導なされているわけであります。


・教育は人なりと言われます。たしかにそうであります。しかも、それは教えたい、教えてあげたい、この文化を後生に続く人々に伝えたいという気力が最も重要であると思うのです。そういう気力がこの写真から伝わってくるような気がするのは、わたくしだけではないと思います。


・ですから、教育における教育者の位置づけというのは実に尊いものなのであります。よく言われる言葉で、ニーズというものが使われます。微妙にコメントは避けますが、ニーズは生み出していくものであって、ただ単にニーズに対応していればいいというものでもないのであります。でないと、積極姿勢に欠けることになる。


・県立銚子に入学すれば、何かが得られる、自分が変わるかもしれない、なにかが県立銚子の教室には、グランドには、体育館には埋まっているような気がする・・・・・・そういう選びであってもよいのではないのでしょうか。


・ですから、創立当初の大先輩達は偉かったと思うのであります。できたばかりの女学校に、勇気凛々難関の入学試験を突破されて、当時同世代では何人も女学校には学べなかったという時代に正々堂々と、女学生として学ばれたわけであります。実に尊いことであります。


・このブログにアクセスしていただいている方々で、中学生の人もおられるそうです。中学の先生にお聞きしました。ありがたいことであります。


・時期も時期。高校入試が近いからでありましょう。


・どうか、本校入学を検討されている方へ申し上げたい。


「県立銚子に入学すれば、何かが得られる、自分が変わるかもしれない、県立銚子の教室には、グランドには、体育館にはなにかが埋まっている」のであります。


・どうかそれを掘り当ててください。


 


・お待ちしております。


・勉強なさいませ。


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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/