と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

バイト三昧であるが、これもまた退屈しない程度にやっているだけだから精神の安定にはなっているですなぁ

2019年11月11日 21時24分12秒 | とーま君の流儀2019
年金暮らしをしながらアルバイトもやっている。生涯学習のために学費を稼いでいるつもりだ。まだなんの学校にも入っていないが、そのうちわかるときがくるかもしれない(笑)

まったくお笑いぐさである。おおいにお笑いくださいませと言っているしかない。ジジイになってもタノシイからである。ある意味夢を見ているようなもんだから。それに、ボキは人と会っているのがタノシイのである。おしゃべりをして、クルマを運転して、ウロウロと歩いているのが好きなんだなぁと思う。しみじみ、そう思う。

しかし、アルバイトも解雇される時がくるだろう。ボキの場合は、9月から始めたバイトが5年契約である。これはジジイのバイトとしては長い契約期間であろう。ありがたいもんである。

働けるうちは働いた方がいいと思っているからである。引きこもっているよりはいい。それに、男は外で働いて稼いだ方が精神的にも安定してくる。ボランティアでもよい。歴史の会でボランティアをさせていただいているが、これもまた生き甲斐になっているからだ。

今日やっていたバイトでは、クルマを運転してもガソリン代が出る。ありがたいものである。

それに、外に出るからスーツを着て出かける。これまた、普段のジャージ姿よりはいい。なぜなら、すっきりするからである。

だらしなくしていると精神も緩む。普段から緩みっぱなしだから、たまにはいいもんである。

だからスーツも捨てないで良かったと思っているのだ。ネクタイもだ。ループタイもだ。

それにしても、趣味が多いジジイである。

話にならんのだ。

わははははっはははっははははっははははっはははは。


眠い。

昨日のバーベキューで肉を食い過ぎた。体重が重くなっている。

くわばら

くわばら


(-_-)zzz
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まさに第二の人生ですなぁ・・・孫と一緒に長男の家でバーベキューをやっていたから(^_^)

2019年11月10日 19時20分49秒 | とーま君の流儀2019
今日は、長男の家にある庭でバーベキューをやっていた。ガレージの中で(^_^)。田舎に住んでいるからできるこったなぁと思った。長男の家の周囲にはほとんど家がないからだ。こうやってみると、田舎暮らしもなかなかでありまする。

孫(女児2歳)もかわゆい。かわいくてかなわん。ジイジ、ジイジと言ってくれるし、抱っこもさせてくれる。目の中にいれても痛くないってぇのはこのことであるよん。

アホなジジイでございますが。

ボキは、もう競争社会から離脱しているし、要するに終わった人である。だから実に気楽である。

こんな生活が待っているとは、現役時代には思ってもみなかった。現役時代に一生懸命働いたからだなぁと思っている。なにしろ、土曜も日曜もなかったからである。全部練習試合や大会で生徒の相手をしていたからである。柔道部の顧問でもあったからだ。4段でしかなかったけど。

柔道の世界でも大成できなかったけど、悔いはない。それなりに、生徒たちとふれあいがあったからである。これがボキの全財産でございまする。

だから、悔いはないのである。地位も名誉もまったくなかったけれども、それなりに悔いはないからである。

こんな生活をさせていただいているのも、DNAである。亡母のおかげである。亡母は、国立大学出身の優秀なセンセであった。そして、ボキにセンセをやりなさいと勧めてくれた。見抜いていたのである。ボキの適性を。

今になって思う。亡母の言うことを聞いて良かったって。

サラリーマンになっても、ボキは成功しなかっただろうしねぇ。

学者センセや研究者にはなれなかったけど。

今は、細々と古文書を読み、国文学や歴史にちょっとだけ手を出して、ボランティアで活動させていだいている。感謝感激である。ありがたいものである。

だんだんと、ボキの存在そのものも失せていっている。

これが本当だろう。自己主張して、俺が俺がと自慢しているようではアホである。自分の存在を消しながら、死んでいくことである。無明の世界を生きていたら、死んでも死にきれないではないか。

長男と肉を焼きながら、美酒を呑んでいた。うまかったなぁ。

シアワセなジジイである。

もっとも、ボキ、アタマもシアワセであるけれども。


わははっはははっははっははははっはははっはははっははははは。

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勉強になりました 感謝感激 これでもってますますボキのバカが判明 大学院どころの話じゃなかったですなぁ

2019年11月09日 22時08分47秒 | とーま君の流儀2019
今日は一日千葉市にいた。ボランティアでやっている歴史の会に参加していた。10時から夕方5時まで。

ホンマにこの会では勉強になっている。感謝感激である。

とりわけ、今日の古文書講座ではまったく新しい視点を学んだ。古文書の読み方、勉強の仕方である。

古文書をまず読んでから、原稿用紙に判読結果を書き込みしていく。これが新しい視点だということである。

講師の先生は、実に良いことを教えてくださったものである。ともすれば、訓読辞典を傍らに置いてコツコツと読めばいいと思っていたからだ。正解がわかりゃそれで良いとも思っていた。

だから、こんなんじゃ力がつかなかったのである。(_ _ )/ハンセイである。

それに、たとえ古文書のコピーであっても、その紙に判読した文字を直接書いてもならないとのことであった。しかも、ボールペン禁止。鉛筆かシャーペンでやれと教えていただいた。英語だってそうだろうとも教えていただいた。書かなくちゃ覚えられないではないのか?という問いには、あっと思った。爺になってから面倒くさいと避けていたからだ。

さらに教えていただいたのは、史料を大事にするのだということであった。白手袋をはめてマスクをしながらやるくらいの覚悟がなくちゃアカンとも教えていただいた。

もっとある。最後に判読した文字を声を出して読めとのことである。これまた、たまげたのだ。

こんなことすら知らなかったのである。アホである。こんなんで、大学院なんてほざいていたら人間失格である。

帰りは鈍行で佐倉駅まで行った。ここで後から千葉市を出た特急に乗り換えた。佐倉からなら、特急料金が安くなるからだ。年金暮らしの無駄使い防止術なりである。指定席ももったないから、自由席までウロウロ歩いていった。そしたら、知人に出会った。なんと定年で退職してから初めてである。なつかしくて、雑談をしながら乗っていた。彼は、大学で非常勤講師をしているのだと言っていた。今日は学生に試験をしてきたとのことであった。ちょっと呑んでいた。うらやましいですなぁと申し上げた。すてきな老後である。ボキは、家に帰ってから呑むつもりでいたから、ちょっと我慢した。

帰る途中で原稿用紙型のノートを買ってきた。むろん日本酒も。

そして、シミジミと感激していた。こんなこともあるのだ。まじめに生きていれば。

わははっはははっはははっはははっはっはははっはは。

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「今」が大事だと、昨日の井上尚弥選手(ボクサー)には教えていただいたなぁ。ありがたいことだ。

2019年11月08日 06時30分13秒 | とーま君の流儀2019
昨日のボクシングには興奮した。塾から帰ってきたら、まだ6回くらいだった。ビデオは録画予約していたが、まさかLiveで見ることはかなわないと思っていた。風呂に入るのも忘れて見始めた。やめられない。

結果は、井上尚弥選手の判定勝ち。しかも11回には、ダウンまで奪っていた。デカイ声を出してしまって、家人に怒られた(^_^)。なぜなら、家人はもう寝ていたからである。

立派な若者である。井上尚弥選手は。

そして思った。彼らは、将来のことなんか考えちゃいないのだろうって。「今」が重要なんであって、過去も未来もない。これぞ、禅家の言うようなことであろうと。確かに、今この試合で勝たなくちゃ話にならない。プロのボクサーだから、それでもって喰っているのだ。

ここが大事なところである。これで喰っているのだというプロ意識。

趣味で生きているようなボキとはものが違っているのだ。遊び半分でダラダラと生きているからなぁ。ものにならんわけである。

意識が重要なのだ。これで喰っているという意識。

これじゃぁ大学院受験も断られるわけである。教授にしてみれば、こんなふざけた爺なんか相手にしていられないってぇわけだろうよん。真剣度が足りないのじゃ。

そもそもが、就職したいからと生涯学習ごっこを始めたのではなかった。定年で退職したからだ。好きな分野の学問をやってみたいというだけであった。歴史の会もボランティアでやっているだけである。したがって、成果もへったくれもなかった。だから、真剣ではなかったと言えばそうなる。でも楽しかった。それだけである、それだけ。

つまり、「好きなことをやっている」という面を忘れていたということになる。なんだか、大学院に入ってある種のライセンスをとりたいというのでは、確かに病気になっちまう。実際に、なってしまったからだ。

大学院だけが生涯学習ごっこの舞台ではなかったということに気がつかなかった。今回は、実に良い体験をしたのだった。ありがたいと思わなくちゃ。その大学院の先生に。


BYE-BYE!






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試合後インタビュー 井上尚弥 - ノニト・ドネア ⇔ すごかったなぁ。久しぶりに、血が燃えたぎったよん。塾から帰ってきたらLiveでやっていたから(^_^)

2019年11月07日 23時43分46秒 | とーま君の流儀2019
試合後インタビュー 井上尚弥 - ノニト・ドネア
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圧倒的な小物感しかなかったなぁ。顔と態度だけはデカイけど(^_^)

2019年11月07日 06時23分09秒 | とーま君の流儀2019
潜在意識の中で、もしかしたらもしかしてボキは・・・・というのがあった。正直言ってである。それも潜在意識の中でしかないが。

それが、家族を養ってきたのはボキの稼ぎがあったからだというレベルの、圧倒的な小物感しかなかったのだということに気がついた。なにを今更である。そもそもが、そんな能力もなかったし、大物めざして努力した覚えもなかった。ただのぼんくらであったのだ。

大学院受験を断られてから、ちょっとめげた。当たり前である。そのためだけにいろいろやっていたからだ。バイトをやっているのも学費稼ぎだったから。

しかし、ダメなものはダメ。まさかの展開であった。

これも受け止め方次第かもしれない。これでもって、初歩から勉強し直しであるからだ。

カルチャーセンターでも行ってくるか。歴史講座をやってくるか。あるいは、学部からやり直しでもよし。通信教育ならできるからだ。

考えどころですなぁ。

こういう結果になって、参らないほどボキは人間ができていない。平常心を保ちつつ平然としていることなんかできやしない。悟っていないからだ。

それにしても、小物とはよく言ったものである。

ま、それも人並みであるということなのかも知れない。なぜなら、真の意味で大物とは会ったことがないからだ。感情の波がなく、いつも平然としていられる人のことを大物と言っているのだが。

病気になっても、貧しくなっても、いろんなことが起きても平然としていられる男になってみたいもんである。

当分そういう理想的心境になることはできないだろうけど。

(*_*) マイッタ

これもまたあり、あれもまたあり。人生いろいろであるから。


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残念会である。断念した。決定打をいただいた。大学院の教授からメールをいただいて。

2019年11月06日 18時19分44秒 | とーま君の流儀2019
受験のあきらめをせよということだった。教えていただきたい先生から指示された。いくらアホでも、先生のメールの趣旨は理解できた。

残念であるけど、世の中そんなに甘くはなかったなぁ。大学院の説明会にも出席したのだが、つまりは婉曲なお断りであった。

仕方なし。

捨てる神あれば、拾ってくださる神もいるかもしれない。それと、また病気になっても良いのかという神様からの「問い」だったのかもしれない。

これでまたまた不要な人として、生きながらえるのだよん。

しかし、バイト代が宙に浮く。学費のために、バイトしていたのだから。

わははっはははっはははっはははっはははっはははっはははっはは。

(>_<)ヽ




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トンチンカンだけど、バイトをやってくると実に心地よい疲れだなぁと思う。ボキは、必要のない爺でしかないけど。

2019年11月05日 18時47分05秒 | とーま君の流儀2019
18:47帰ってきた。心地よい疲れじゃよん。要らない人、終わった人、いてもいなくてもどうでもいい人、年金以外にまったく自由になる銭もない人、おまけに髪の毛もないってぇ・・・・言われっぱなしじゃ(^_^)。

当たっているから始末に負えない

Lineで友達から連絡がきた。なんと、中退した某大学大学院にまだ通っているのか?ってぇ質問だった。ボランティアでその大学に行くのだそうな。心配してくれたってぇわけだ。そういえば、彼は、ボキの講演を聴いたことがあったっけ。

中退させられてしまったよんと返事をした。そしたら、おおいに心配してくれた。なにがあったのだ?というわけである。

まさか、還暦過ぎてから入学した爺が恩師とけんかするわけもない。それを心配してくれたようだ。大丈夫だよん。こっちはそんな元気はないから。

わはっははっははははっははっはははっはははっはははっははははっはは。

今朝は、バイト先で仕事の事前準備をしていた。同僚たちは朝の会議をしていた。ボキは関係ないだろうと思っていたから、コンピュータに集中していた。司会の方に発言を求められてとんちんかんなことをクッチャベッテしまったのだ。

(_ _ )/ハンセイ。

どこまでいっても(_ _ )/ハンセイばかりである。

本当に使えない爺である。話にならんとはこのことである。


受験したいと思った別の大学院からはなんの連絡もない。N大からもない。四面楚歌とはこのことだ。もうダメか。

ダメだと思ったら、その時からダメ人生がはじまるですなぁ。

入りやすい大学に入り、修士も、博士もなんだか全部インチキじみているからなぁ。話にならんとはこのことだ。

こんなんで良かったのかねぇ。

バイト代も、これから受ける予定だった大学院の学費にするつもりだったが、これじゃぁ話にならないではないか。

大学院というのも良い暇つぶしにはなるからだが。


今日も美酒をちゅっとやる。

これしか楽しみがないからなぁ。

だったら、どっかの大学院が拾ってくれれば良いのに。書きたいことは山ほどあるからだが。

トホホ。

BYE-BYE!
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盛岡の川をさかのぼってくるサケは、子孫を残したら死んじゃうのである。ボキもそうだ。まもなくアッチの世界に行く。まだまだ生前成仏していないけど。

2019年11月04日 08時23分59秒 | とーま君の流儀2019
人間の欲望には限りがない。銭もほしけりゃ、地位も名誉もほしい、ついでに言えば髪の毛もほしい。まったく無限の迷いである。そりゃそうだ。欲がなければ、生きていこうという意欲もわかない。そもそも意欲という単語が、意識と欲で成り立っているではないかよん。

「終わった人」を読了して、昨日は久しぶりにワクワクしたのじゃよ。なぜか。ボキという人間がいかにアホかということがよくわかったからである。生涯学習ごっこを始めてから、ずいぶん遠回りをしてきた。つまり、成仏していない自分がよくわかったからである。暇であること、社会からもう要らないと言われることへの恐怖、家の中でもそうだったのだ。避けてきたのだ。あるいは逃げてきたのだ。それがよくわかったからである。つまり知らなかったことを知ったということである。

つまり、ボキは終わっていなかったのだ。すくなくとも意識の面では。それを成仏していなかったというのである。

もっともボキは、小説「終わった人」の主人公のようにエリートバンカーでもなんでもない。ただの凡人である。比較対象にはならない。東大も出ていないし、そもそも入りやすい大学しか行ったことがない。通信教育で、修士はとった。でも、そんなもん世間的評価には結びつかない。なおかつ、自慢していたらまるっきりのアホである。

バイトさせていただいてきただけ、幸せであったと思うけど。

価値観が大きく崩れ落ちたのだ。つまり、終わった人である。終わったのであるから、成仏すれば良いだけの話であるからだ。

生前葬をしてもらったではないか。定年で退職して。なにをいまさら、博士がほしいとか、学問の世界で高評価をもらいたいと思っているのだろうかと知った。おおいなる(_ _ )/ハンセイである。だから、ワクワクしていたのである。

謙虚に生きなくちゃアカンですなぁ。よい教えをいただいたもんである。

そして、小説「終わった人」の最後のシーンは、もっと印象的だった。盛岡の川に、サケが帰ってくるのである。子孫を残すために、ありったけの体力と気力と精力を使って上流に上ってくる。そして、サケは死んじゃうのである。

人間だってそうじゃぁないか。

子孫を残して、家を建てて、誰でも墓石の下に安置されていく。

それまでの人生である。

だから充実させていかなくちゃアカンのだったよん。

冗談ではなくて、そのとおりだったのだ。


それにしても、良い小説だった。

アリガタヤ、アリガタヤであった。


今日は、これからドライブレコーダーをつけるためにディーラーに行ってくる。それしか用がない。4時間かかるとのことだったから、帰りは歩いて帰ってくる。途中で、今度新しいスパができたから、そこに寄ってから家に帰ってくるけど。

サケは、スパには寄らないだろうがねぇ。

わははっははっはははっはははっはははっははははっはははっははは。
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映画『終わった人』予告編  ⇔ 見に行こうっと・・・・トホホ

2019年11月04日 07時50分03秒 | とーま君の流儀2019
映画『終わった人』予告編
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終わっちゃった人=ボキ しかし、定年後に成仏していない方々も多いですなぁ 笑ってしまうけど 内館牧子女史に教えられる

2019年11月03日 16時27分50秒 | とーま君の流儀2019
定年で退職してからも現役時代と同じように活躍するってぇことは、「成仏」していないということである。定年退職というのは、事実上の生前葬であるからだ。従って、成仏していないと後輩たちが困る。困るどころか、以前勤めていた会社や組織にも迷惑千万となる。

そんなもん、潔く捨てるこった。

しかし、自称エリートほどそれができない。

なんでそんなことを思ったかというと、内館牧子氏の「終わった人」という小説を読んだからである。大笑いしながら読んでいた。今日一日実に楽しかった。

主人公は盛岡の出身。全国的にも知られるような進学校を出て、東大の法科に現役で入学する。ところが、ここのところも実に内舘女子のパンチがきいている。まるっきり嫌味であるからだ(^_^)。

主人公は、中学のときにはあまり成績がよくなかった。「優秀なクラス」とか「普通クラス」とか「あまりできのよくないクラス」とかに分けられていたのだが、後に東大に現役で入るほどの主人公が、担任に「普通クラス」と言われたのである。後に、高校受験のときに、優秀なクラスに転ずるようにと担任に言われたときも言下に否定した。自分で勉強するからほっといてくれというようなことを言っているのだ。これは笑った。痛快である。教えてもらわなくても、俺はできるという反抗である。実に気持ちのよい中学生である。

そうなのだ。秀才というのは、自分で勉強できるから秀才になるのである。へたくそなダメ教師が秀才を育てるのではないのだ。反面教師なら、あんなふうにはなりたくないってぇことで教えることはできるだろうけど。ボキがそうだったからだ。

まずは、そこのところから引き込まれていった。タノシイ、タノシイ。

そして、東大を出てメガバンクに入社する。仕事一途で、出世もバリバリ。たいしたもんである。趣味もなし。仕事だけが生き甲斐。出世だけが生き甲斐。能力もあると自負しているし。

ところが、40代で出世競争に敗退する。それからは、子会社に飛ばされて、役員にもなれない。退職後に、再雇用という方法も断る。63歳で退職。

娘一人。結婚して家を出ている。

奥様は、お姫様のような育ち方をした金持ち。

マンション住まい。

退職してからの一年間の過ごし方は、予想通り。自負心が邪魔をして、図書館にも行けない。スーパーにも行けない。気位が高いから、そんな庶民のような暮らしになじまない。

そして、ノイローゼ寸前にまでなる。ハローワークに行って、唯一見つけた零細企業に面接に行くと、社長に東大まで出た方に来ていただくような会社ではないと丁寧に断られる。

それから紆余曲折あるのだが、最後は社員40人くらいのIT関係会社の社長になる。最初の一年間くらいは生き生きしていたのだが、ミャンマーの現地会社が倒産してしまう。それで、主人公は億単位の借金を背負うことになってしまう。

かわいそうになったが、自業自得でもある。自尊心があまりにも高いからだ。

そして「成仏」していなかったのである。

せっかく生前葬までしてもらったのにである。

強気強気で生きてきたからでもある。

だから笑ってしまったのだ。



なんでか。

ボキも成仏していないからである。大学院にこだわって、成仏していない。だから笑ってしまったのだ。

静かな人生の終わり方もあってよいのだ。

それこそ、失言大臣の「身の丈にあわせて」生きるのも、庶民の知恵であると思ったからである。


BYE-BYE!

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受験してみたい大学院から返事をいただけない・・・トホホ

2019年11月02日 19時43分53秒 | とーま君の流儀2019
この先生に教わりたいというので、受験してみたい大学院の教授にメールをした。事務局からの指示である。そしたら教授の先生からいくつか質問をいただいた。速攻で返信をさせていただいた。

しかし、返事をいただけない。

ああああああああああああああああああああああああああああああああああ!

ダメか。

受験すらさせてもらえないのか。

生涯学習をしてみたいと思っても、ダメなものはダメなのかもしれない。

引っ込んでおれということなのかもしれない。

絶望名言でございまするよん。

BYE-BYE!
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買ったばかりのスモールカーで、孫の小学校の音楽会に行ってきた。コーチョーセンセの話が下手くそであきれてしまったけど(^_^)。

2019年11月02日 19時25分21秒 | 教師の流儀
買ったばかりのスモールカーで(ただし、エンジンは2000cc)、孫の小学校に行ってきた。昨日急に決まった。孫(男児)の小学校の音楽発表会があるとのことだった。文化の日と連動しているらしい。塾バイトに行く直前だったので、あまり考えもしないで家人に行こう行こうと返事をした。スモールカーに慣れるためもあるからだ(^_^)。

行ってみて、驚いた。小学校の校長センセの話のへたくそなことに。まったくあれで通用するのかねぇ。県名は言えないが。

わははっははっはははっはははっはははっはははっはははっはははっはは。

あれだったら、ボキが毎年掲載していただいている校長講話の本でも買っていただきたいと思った。マジに。上から目線で、保護者にも子供たちにも説教じみた話をしていたからである。

それなりの立場にある方々というのは、立場の重要性というのはよくわかっているつもりである。ボキだって、それぞれの立場にいたときには、発言に十分注意していた。

当たり前である。

このアホ・ブログでは、ふざけたことしか打鍵していないが、仕事をしていた時代はかなりくそまじめであったのだ。

立場の規範性を超えないという意識でいたからである。

ふうううううううううううむ。

だから、ボキの打鍵する文章はおもしろくも何ともないのだろうなぁと思う。今は、好き勝手に打鍵しているから、誤解の猪八戒もかなり多いが。

要するにフリーだからである。

こういう立場はありがたいものである。

固定化されていないからだ。

それにしても、聞いている保護者や子どもたちに、どう受け取られているのかという配慮なしに壇上から話をしちゃアカンでっせ。

こーちょーセンセよん。どうせボキよりかなり若いんだろうけど。

わははっはははっはははっはははっははははっはははっはははは。


BYE-BYE!
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毎日が充実しているから、道楽で生きていてもタノシイでおますなぁ。誰からも相手にされないけど。

2019年11月01日 05時43分15秒 | とーま君の流儀2019
一度立ち止まって考えてみるってぇことも大事なり。昨日の夢で出てきたことなり。夢と言っても、かなり具体的な夢であった。人物の具体名も出てきた。ある大学大学院の先生のことである。その先生に教わりたいのだが、どうも実現しないらしい。お断りの可能性をにおわせていたからだ。だとしたら、受験すらできないではないか。ま、しょうがないのなら諦めるしかない。おめぇのような爺に教えたくないと言われてしまう可能性も高いからだ。メールを出しても返事をいただけないし。

そこで考えた。

ボキなりのレベルで生活していくしかないのかもしれない。我慢である。我慢。切れたらアカン。どうも、爺になるとそのへんができなくなる。しがらみがないから、言いたい放題になっちまう。謙虚さも失ってしまう。さらに、聞きたくないことは聞かなくなる。

向上したくないというのではない。ボキだって、向上したいのである。これから生き甲斐を持って爺生活を送っていきたいのである。マジにである。

やることがないってぇのはサミシイしなぁ。だから、9種類のバイトをやっているのである。退屈だからだ(^_^)。

生涯学習ごっこもその程度のレベルなのかもしれない。退屈だからやっているんだろうと言われても否定できない。家人は、道楽でやっているだけだと言うけど、当たっているしなぁ。

バイトもそうだ。道楽でやっている部分がかなり多い。退屈だからだ。一日中、家に閉じこもることができない性質のようであるから。こういうのは、学者様とか研究者様というのには向かない。向かないから一介の趣味人として、あちこち生涯学習ごっこをやりながら生きているだけなのかも知れない。

成果も求められていないし、成果を出せるわけもない。能力がないからだ。言い訳だと言われるだろうけど、ボキの自己評価はそんなもんでしかない。つまり低レベルだということだ。

自尊心というものがあるのかと野次られてしまったことも多々ある。正真正銘、アホだからだ。よくいるではないか。表面上は謙虚にものをいうけど、一皮むいたら他人を馬鹿にしているのが。自分だけ偉そうにしているアホが。

ボキはそんなことはしない。自分がアホだから、他人が全部賢く見える。マジにである。それほどボキ以外の方々は、価値があるってぇもんだよん。

今日は歯医者に行ってくる。午後である。3ヶ月に一度のクリーニング。夜はまた塾のバイト。雇ってくださるだけありがたいもんである。感謝しかない。

今日から11月。時間のたつのが遅いと感じる。普通の爺とはここが違っている。家人も他の爺たちも、あっという間に月日がたってしまうと嘆いているからだ。ボキは、時間の経過が遅くてたまらんのだ。なるほど、9種類のバイトをやっているからそのおかげでもある。なにしろやることが多いから。全部丁寧にやっているから、毎日の時間が長いこと、長いこと(^_^)。

年取ったなぁと慨嘆している暇もない。これを充実していると言うんでしょうなぁ。

わはははっははっははははっはあはっはははっはははっはははっは。


BYE-BYE!


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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/