と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

報恩の実践 ・・・これに尽きますなぁ 

2020年12月20日 12時07分31秒 | とーま君の流儀2020
内観をやってみて、実際感じることは報恩の実践ということである。マジに。

これまで迷惑をおかけしたこと、それらの方々に感謝し、お返しをしたことがあったかとなると誠に心細いからだ。まことにもって心苦しいことである。ケンカをしたこともたくさんある。感情的になって言い争い、人間関係を断ってしまってそれっきりということも多々あるからである。

それにボキはこの九十九里浜に親族がいない。亡父、亡母の系列もいない。いるのはボキの子どもたちだけである。

今日の午前中に、オンライン授業を受けていた。それでそんなことを考えてしまった。詳細は省くが、ここまで生きてきても、まだまだ勉強していかんとならないとしみじみ思った。不勉強なんである。今やっている大学院を修了できたら、またまた別のガッコで勉強してみたいもんだと思ってしまった。やることはたくさんあるからである。

少年院での講話をやることになっていた。ボキなりにパワーポイントを作ってイノチの教育をやる予定になっていた。コロナでできなくなったが。

そうなると、ボキの根底に何があるのかという自問自答もするようになった。

内観もタメしてみたいし、善とか悪とか考えてみたいこともたくさんあるからだ。

現場のガッコで受験の指導をしているというのが、一番つまらないですなぁ。塾も含めて。受かったら感謝とか恩とか関係なくなるし。

そこでハタと気がついてしまった。ボキだって、恩師にありがたいと思ったことは無かったからである。結局、無駄なことをしているのかも知れないからだ。そして、そんなことをやって約半世紀も飯を食ってきたのだ。

死んだらすべては消え去ってしまうけど。

仕方ないことなんだろうなぁとは思う。

それでも、報恩の心は失ってはアカンと思ってしまった。

オンライン授業の成果である。ありがたいもんである。感謝である。


午後から3歳の孫(女児)にクリスマスが近いから、プレゼントをあげてくる。にわかサンタクロースだ(^_^)。



BYE-BYE!








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スタッドレスタイヤに履き替えた 今日はいろいろとある オンラインの授業もある タノシミである 夜は塾もあるけど(^_^)

2020年12月19日 07時57分55秒 | とーま君の流儀2020
今朝も寒かった。冬になるといくら南国九十九里だとはいっても、雪は怖い。30歳過ぎてからスキーもたしなむようになって、雪国に行くことが多くなってから余計に雪道が怖くなった。高校生になった長男と会津にスキーに行って会津警察署の真ん前でスリップをしたこともあったっけ。止まらないのである。信号を無視した結果になってしまった。結局交差点の真ん中で止まれたけど。日産の4駆だった。プレサージュというクルマ。ありがたいことに事故にはならなかったけど。

そんなわけで、昨日は今乗っているクルマにスタッドレスタイヤを履かせた。営業で外回りをしているので怖いからである。それも、来週の月曜日で終わり。年内の仕事納め。

それにしても営業でずいぶん鍛えられたなぁ。自分勝手なお客が多くて(*_*) マイッタ。ずいぶん本音と建て前が違っているのも十分味わった。かっこつけて威張っているコームインが多いのもわかったし。

ふりかえってボキはどうだったのだろうかと思った。現役時代のことである。ここでもボキは、迷惑をおかけしたのだろうなぁと思った。知らず知らずのうちに、である。迷惑をおかけしたけど、そのお返しはしていないからだ。話にならない。内観をもっと早く知っていたらと思う。

家人にも同様である。迷惑ばかりかけてしまった。子どもたちにもそうだった。

いない方がいいのかもしれない。こんなアホジジイと思う。アホなのはわかっていたが、本当にアホである。

自分のことをそうやって規定していると、生きていていいのかと思ってしまう。ま、死ぬ予定はないから、ダラダラと生きていくのだろうけど。

それで買ったのが「独学大全」という分厚い本であった。昨日、塾に行く前にショッピングセンターで買った。書店で。新刊本である。売れているらしい。年金暮らしには高かったけど、3000円もした。

そして思っていた、結局ボキはすべて独学で通してきたのだなぁって。生涯学習はその典型である。独学が一番きく。惚け防止にである。

今日は、9時からオンラインでの授業がある。ズームで行われる。これもまたいいもんである。こんなシステムがあると、通信制もバカにはできない。タノシイからである。


BYE-BYE!
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タノシクバイトをモットーにやっていこうと思う。なんでもタノシイと思っていれば、タノシクなっちまうからだが(^_^)

2020年12月18日 05時49分43秒 | とーま君の流儀2020
昨日の塾では笑った。知人のオジョー様であったからだ。国語。これが一番得意であるからドンドン進んだ。過去問を解いていたのだが、某私立高校である。なるほどあそこはレベルが高い。良問が多かった。営業のバイトでもあの高校には挨拶に行っているので、教頭さんとはけっこう会う。しかも施設設備がなかなか良い。そんなわけでタノシカッタ。

さらに帰ろうとしたら、某進学高校の3年が近寄ってきた。長男のガッコの生徒である。史学科にいきたいというので、いろいろと相談に乗っていた。こっちもボキは経験値だけでも十分相談に乗れる。しかも、学芸員とのつきあいもあって、ダイレクトに評価が伝わってくる。いろんな話をしてきた。おかげで夜10時まで塾にいたけど。

ボキは、学部は一校しか行っていない。したがって大学受験については経験値があまりない。レベルも高くはない。しかも、苦学していた。苦学のことはあまり語らないけど、あまり参考にならないだろうから。

塾は今日も夜に行く。家に帰ってきたら家人がまだ起きていて、ちょっとだけ話をした。経験したことをである。そしたら、「辞められないじゃない?」と言われてしまった。まさにそうだ。タノシイからである。タノシミでバイトをやっているのがわかるのであろう。

そして、今日は9時にスタッドレスタイヤに取り替えるのでクルマ屋さんが来てくれる。腰を骨折したので、タイヤをクルマまで運べないからだ。頼んだのである。とてもじゃないが、モテナイ。あ、モテナイではなかった。持てないのである。

雪で日本海側は大変なことになっている。こういうときは、九十九里浜は快晴になる。申し訳ないくらいである。東北出身のボキには、信じられないような天気になる。暖国に住んでいるからこうなる。ありがたいもんである。昨日だって、布団を干せたのであるから。

あまりにも天気が良かったから、昼の温泉に行こうとした。が、辞めた。あまりにも申し訳なかったからである。温泉は腰のためである。骨折に良いからである。身体をあっためるしかないからである。

今日は行きたい。

それにしてもヒマですなぁ。

他にやることもないので。



BYE-BYE!
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乱れた感情を整え《心のマスター》になる方法

2020年12月17日 23時15分59秒 | とーま君の流儀2020
乱れた感情を整え《心のマスター》になる方法
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迷惑をかけたことは多々あったが、そのお返しをしたという記憶はなにもナイ。

2020年12月17日 05時51分35秒 | とーま君の流儀2020
ボキには身寄りがない。昨日の知人の入院でいろいろと考えさせられた。独居だからだ。まだ若い。50代だ。もしかしてもしかしたら、どうするのかと考えてしまったからである。ボキだって人のことは言えない。長男と長女はいるが、それぞれ独立している。

家人がそばにいてくれるだけでありがたいと考えるべきなんだろう。それにしても、家人に感謝して生きてきたかとなるとなにもしてこなかった。迷惑をかけたことは多々あったが、そのお返しをしたという記憶はなにもナイ。亡母、亡父にもない。なにもしてこなかった。親が育ててくれるのは当然だとうそぶいていた。反抗期もすごかったからなぁ。つまり、これが内観療法の肝心要なところである。つまり、心の変革である。

営業のバイト先も同じだ。迷惑をおかけしたことが多々ある。失敗もある。うぬぼれた精神状態で営業のお客様にも迷惑をおかけした。慣れない営業で、しかもセールスマンのようなしゃべりもできない。偉そうに威張っているお客様にも反抗した。アカン。

そりゃそうだ。ボキの方が少なくとも経験だけは相手より数倍上回るからである。もう半世紀やっているではないか。中学、高校、大学と。定年後も雇ってくださるバイト先があるから、今のボキがあるのだ。

実にありがたいことである。しかも7種類やらせていただいている。コロナでできなかったが、辞めればぁ~~~とは言われていない。腰を骨折しても、クビにはならなかった。これまたありがたいことであった。

原稿の依頼もいただいてきた。歴史書もそうだった。さらに、昨日は教育カンリショクの挨拶集の原稿執筆依頼もいただいた。もう連続で9年目である。相手をしていただけるだけでもありがたいものである。しみじみそう思う。

一人でうぬぼれて、他人を睥睨して、オレはたいしたもんであるとうぬぼれていたらドンキホーテではないか。ドンキホーテという名前の安売り店があるが、あれと一緒である。なんでも売っているけど、安い。存在価値はそれしかない。100円ショップみたいなもんだ。

価値のある後半生を送りたいもんである。


今日は塾のバイト。昨日行っていた別のバイト先に、小学校4年から教えてきた生徒が、母親と一緒にやってきた。いろいろと話をしていた。進路のことである。今日の塾はその生徒と平方根の学習をする。タノシミである。ささやかな。

現状に感謝してバイト生活を送らせていただこう。内観のおかげでボキは変わってきたなぁ。

ありがたいものである。


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夕食をいただいていたら、いきなり知人が入院したとの連絡が来て 慌てた

2020年12月16日 06時21分01秒 | とーま君の流儀2020
夕食をありがたくいただいてから、テレビを見ていた。バイトの中日で休日だった。そしたら知人の入院騒ぎだった。病院に行った。独居だからだ。
 
うううううううううううううううううううむ。

他人事ではないなぁ。家族がいるだけありがたいもんである。そして健康。これがなによりありがたい。しかし、腰は骨折したけど。なんともなければ、本格的に復帰したいのだ。

なにしろ世の中のために役にたっているという感覚がたまらない。家にじっととじこもったまんまジジイ生活を送っていると精神衛生上もよろしくないからだ。

バイトではバカにされたり、結構辛いこともある。でも、「我慢料」なのだよん。基本的には週に一回だけのバイトである。なにを文句言う必要があるだろうか。

腰を骨折して3ヶ月ほど現場をリタイアしたから、今は週に二回になっているけど。

今日もバイトに出かける。寒いがしょうがない。新聞配達して大学学部に通っているときよりは、ラクである。クルマだからだ。シートにも暖房が入っているし、ハンドルもあったまっている。こんなクルマに乗ったことがなかったから、実にありがたい。

家人と一緒である。ありがたい存在なのに普段は気づかない。なんという罰当たりだろうかと(_ _ )/ハンセイである。

あああああああああああああああああああああああああああああああああ


アリガタヤ アリガタヤということである。

独居老人になっていないだけ感謝すべきである。住む家もある。けっこう広い。マンションではないから。もっとも広いとすきま風が入ってくる。ボキの人生のようだ。すきま風でそういうことに気がつくのもまたよしである。

BYE-BYE!




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視聴者が選んだ「一問一答」BEST3【2020年版】

2020年12月15日 17時40分15秒 | とーま君の流儀2020
視聴者が選んだ「一問一答」BEST3【2020年版】
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その都度バイトを辞めていたら、相手は変わってもボキ自身は変わらない。他罰主義ではアカン。

2020年12月15日 08時12分24秒 | とーま君の流儀2020
営業に行ってバカにされることがある。理由はいろいろあるだろう。相手が決めることである。気分が悪いときもある。辞めちまうかと思うときもある。しかし、その都度バイトを辞めていたら、相手は変わってもボキ自身は変わらない。

そこに真理がある。だったら、自分が変われば良いのである。自分が変われば、相手なんぞ誰でもよくなる。アポをとるときもそうだ。組織に行って営業をしてくるのであって、個人に会うのではナイからである。最高責任者だったら、相手の都合を聞いてから行かなくちゃならないだろうが、ボキの場合は相手は誰でも良いのである。

しかも、ボキの会社はそれなりに成果も出している。これが一番大事なのだ。それを知らないからバカにしてくるのだ。塾でもバイトをやっているから、その成果がどれだけすごいことなのかがよくわかるのである。

相手の術数にはまってはならないのである。

うううううううううううううううううううううううううううううむ。

良いことを思いついたものである。

腰を骨折してバイトを辞めようかと思っていたが、待てよということになる。これも死ぬまでやっているわけにはいかないではないか。後、二年ぐらいしかできない。自分を変えるためにも、相手を変えてはならないのだ。

耐えて、自分を変えていこうと思う。そんなにゼニが欲しいかと言われても、耐えるしかない。

ゼニは欲しい。学費のタメである。二つ目の修士がとれたら、次の大学院も考えている。そうなのである。生涯学習をしていきたいからである。今やっている分野はいろいろな意味で役に立っているからである。歴史学や教育学でも有効であるからだ。

バイトをやめたくなったのも、相手が悪い、仕事の内容が悪い、会社のシステムが悪い等々の全部他罰主義の結果である。だったら、ボキ自身が変わるしかないではないか。

ホントにそう思うからだ。


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今日はバイトの中休み サウナでも行ってくるか どうせヒマだし 成田でウナギでも喰ってくるかとも思っているけど 運転できるようになったので(^_^)

2020年12月15日 05時57分59秒 | とーま君の流儀2020
今日はバイトの中休み。昨日やったし、明日また同じバイトをさせていただく。感謝してやらせていただこうっと。

昨日は、アポをとるのに組織名と名前は名乗ったけど、役職名を言わなかった。それでよかった。バイトの役職名なんぞ関係ないだろうと思いついてそうしてみた。結果、実によかった。どっかにこだわりがあるのだ、ボキに。偉そうにしているのは、ボキの方だったよん。アホですなぁ。実にアホ。

腰の骨折で、バイトをいくつか中断した。おかげで収入減。いろんな研修のコーシもやっていたからで出来なくなった。ま、原稿料は入ってきたけど。例の昭和史のアルバム。コーシ関係は来年もやらせていただけるらしいが、周囲に迷惑をおかけした。

迷惑をかけられたことはあるが、おかけしたことは自覚していなかった。こんな程度である。無責任で、乱雑。教育関係や歴史の講座を任せられて、腰の骨折でどこにも出かけられなくなったからである。コロナで出来なかった少年院での講座は全部中止だったが。タノシミにしていたからである。イノチの教育であるからだ。これは今在籍している大学院でも言われた。一度直接会ってみたいと。ボキにである。教授にである。喜んでいつでも参上したいと申し上げた。なにしろ母校だからである。一度修士はいただいているので(^_^)。

無責任極まりない。ま、こんな程度の人間は世間にいくらでもいるけどねぇ。他人を批判ばかりしていて、自分の責任からはうまく逃げてしまうのが。ドタキャンを繰り返し行っているのが。立場というものをどう自覚しているのかねぇと思うからである。

だからどんなにエライセンセでも信用しちゃならないのだ。裏切ってくるからである。

それでもボキは感謝していこうと思うコトにした。腹を立ててはアカンのである。所詮、器のチイセエ人間に腹を立てていたら同程度になっちまうからだ。詳細は省くが煮え湯を呑まされてしまった経験は、いくらでもあるからである。

そして偉そうにしている人ほど恥じることがない。上下比較をしているから、オノレが下のレベルにいることが耐えられないのである。謝罪という言葉も知らないのではないかと思ってしまう。

内観である。内観。在籍大学大学院の宗派が始めたものでもある。良いチャンスをいただいたものである。

合掌


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感謝して営業のバイトをさせていただこう マジに 

2020年12月14日 05時46分48秒 | とーま君の流儀2020
月曜日は営業のバイト。コロナ下でちょっと不安である。電話でアポ取りから始まるのだが、これがなかなか難しい。しかし、やるっきゃない。学費稼ぎのためである。でないと、また中退になっちまう。なんとしても、今回は修了したいからだ。死に方の学習をしているから、死んでも死にきれない。二個目の修士を目指しているからでもある。ま、結果はやってみないとわからないが。

それに腰の骨折。これまた厳しい。営業は、クルマの運転がからむからである。一日100キロは運転するからだ。第一、タイムカードを押す職場までが遠い。27キロはある。必然100から27キロの差が実際の運転距離になる。ガソリン代は出るが、潤沢ではナイ。そこまでして学費を稼ぎたいのである。さもしいもんである。

ここまでくると、ビョーキじゃな。これから就職できるわけでもないのにねぇ。なにを血迷っているのかと自分でも思う。しかし、やってみたかったというだけである。高校生のときに、倫理社会で教えていただいた27歳の先生が東大インド哲学科出身の先生でおおいに影響されたからであった。そういう歴史的な経験があったからである。

これで満足していこうとも思っている。感謝しているからである。その先生に。

なぜ悪行をするのか、業とはなにか、血迷って、世の中をさすらい、他人を恨み、根掘り葉掘りイヤミを言って他人に嫌われて・・・・・碌なことをしてこなかったからである。

自己変革のためにこれからは生きていきたいとマジに思っている。それには内観である。クルマにも内観で感謝していこうと思っている。クルマもあと7年乗れば10年経過車になっちまう。感謝の心をささげながら大事に乗っていくべきであろう。

今日のバイトからは、合掌をささげながら感謝して営業訪問をさせていただこうと思っている。

そうなのだ、バイトはさせていただいているのである。いただいているのである。その結果がけっこうな収入になっているのだ。感謝してやらせていただこうと思う。

ではまた!
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お世話になってきたひとに、感謝し、お返しをしたことがあるか?=ないなぁ (_ _ )/ハンセイ

2020年12月13日 08時36分33秒 | とーま君の流儀2020
もうすぐ年があける。つまり年末。師走とまで言われた12月だが、今年は違和感がある。コロナである。これがあったから碌な年ではなかった。旅行も一度も行っていない。酒場にも行っていない。先日、千葉市の東横インで宿泊して在籍大学のオンライン授業を受けただけである。前日の夜、千葉市のおいしいラーメン店で喰ったラーメンが旨かったというだけ。

つまらん年だったなぁ。腰を骨折してしまったし。それでクルマの運転が嫌になっちまったし。バイトが外回りの営業だからかえってやる気がなくなっちまったし。

座ってやれるバイトに変更してみたい。塾はできるだろうが、ちょっと辛いモンがあるから。

もっとも、学費を稼ぐためにやっているとはいえ、二年目の学費はもうたまってしまったしなぁ。修士論文をかくためにおとなしくしているかとは思う。

それでも迷うのは、家にいるとお邪魔ムシになるからである。家人はボキがいないほうが良いらしいから(^_^)。

そりゃそうだろう。ジジイだからである。ただし、生きていれば年金が入る。家人にである。つまりボキの小遣いが足りない。足りないからバイトをやっているのだ。つまんない老後である。

しかしである。そういう家人に感謝して、今までお世話になってきたお返しをしたであろうか。やってきた覚えがない。長女や長男にも同様である。孫にもそうだ。お返しをしたか?

やってないなぁ。好き勝手に生きてきて、好き勝手に生涯学習ごっこをしてきただけである。そのおつりでもって、センセごっこをして定年までやってしまったのである。非常に恥ずべきことだった。つまりは、趣味で仕事をして、趣味でめしを喰ってきただけなのだ。

世間に威張り散らすだけの実績もなんにもない。あるわけない。ただのアホだからである。

大馬鹿ものである。

それだけの人間でしかない。

(_ _ )/ハンセイ
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ケネス・タナカの仏教教室Ⅳ 【第6回「つながりの中で生きる我々―これこそ縁起―」】

2020年12月12日 09時51分19秒 | とーま君の流儀2020
ケネス・タナカの仏教教室Ⅳ 【第6回「つながりの中で生きる我々―これこそ縁起―」】
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新・國分康孝談話室第17回「⑰内観法」110210

2020年12月12日 09時30分36秒 | とーま君の流儀2020
新・國分康孝談話室第17回「⑰内観法」110210
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慈愛に満ちたじじいでありたい 激する感情を上手にControlしながら

2020年12月12日 07時32分29秒 | とーま君の流儀2020
なぜ感情が激するのか?

若い時からの欠点である。ボキは。表面上はおだやかでありたい。なぜこうなるのかと思うと、ハタと思い当たることがある。それは、ボキが教師の子どもだったからである。

旧弊な山奥の温泉町で育ったからだ。亡母が師範学校出の教師だった。愚息のボキから見ても優秀だっだ。師範学校出の教師には二種類あって、いわゆる旧制の中学校や女学校を出てから入る組と、旧制中学校(女学校)レベルと同等の組があった。亡母は、前者だった。

だからというわけではないが、優秀な母親からかなり影響されてしまった。なにしろ周囲の目が厳しかった。

だから仮面をかぶっていなくちゃならなかった。辛いもんがあった。こういうのはトラウマになってしまう。ボキも親の期待はよくわかっていた。決まったように旧制の師範学校に進学することになっていたのである。親戚一同全員そう思っていたし、実際クチに出して言われたこともある。

ずいぶんなプレッシャーであった。そして、自分で自分を縛っていたのである。情けないことであった。

なぜ情けないと思うかというと、楽しめなかったからである。学校生活を。勉強を。部活を。

なにをイマサラである。しかし、実際そう思う。塾や学校とか少年院での講話とかいろいろとバイトをしているが、マジに楽しめなかったボキがいるからやっていられるのだなぁと思う。

こういう育ち方をしないでほしいと思っているからである。中途半端な秀才になって、結果、人生に失敗して欲しくないからである。他人を、世の中を恨んで復讐するようなひねくれモンになって欲しくないからである。つまり、ボキのようになって欲しくないからである。

慈愛という言葉がある。

どうもボキは、その慈愛が不足している。さも慈愛のあるようなフリはできる。しかし本物ではない。潜在意識にどろどろとしたもんが隠されている。だからこそのオロカモノなのである。

ううううううううううううううううううううううううううううむ。

(_ _ )/ハンセイばかりの日々である。


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過去の自分を捨て、「新しい自分」をはじめよう

2020年12月12日 07時32分00秒 | とーま君の流儀2020
過去の自分を捨て、「新しい自分」をはじめよう
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/