佐々木閑氏の著作は、釈迦の仏教から大乗仏教まで、あいまいさを排した理路整然とした論述が特徴で、そこが好きなところである。今回は別冊100分de名著として、大乗仏教がどうやって生まれてきたのか、とくに「般若経」「法華経」「浄土教」「華厳経」「密教」「禅」といった主要な経典や思想がどうやって生まれてきたのか、その内容は何かについて、仏教研究の新しい知見も含めて解説している。そして、「嫌われる勇気」ばりに、青年と講師の対話の形式を取って話を進めていく。最初の釈迦の仏教から、社会状況に対応して各種の大乗仏教が生まれ、それぞれがさらに変形し分岐して多様化し、あるものは遠くの場所へ移動して栄え、生まれた元の場所ではすたれてしまうといった大きな躍動があった。それは、あたかも生物の進化のようだ。仏教の変遷と生物の進化という一見なんの関係もないはずの事象は、構造主義的でいうところの「構造」なのだろうか。何かの宗派に帰依していたり、仏教に親しみを持っている人でも、こうした仏教のでき方を知っている人は少ないのじゃないだろうか。
私なりに本書のポイントをまとめてみた。
・釈迦が亡くなってから百~二百年後の紀元前3世紀中ごろ、インド亜大陸の統一を果たしたアショーカ王が仏教に帰依したことが、仏教がインド全土に広まった一番の理由であると考えられている。その時代に、釈迦の教えの解釈の違いによって、仏教世界が20ほどのグループ(部派)に分かれていった。しかし、「破僧の定義変更」が行われたことで、部派は仲間割れせずに並存できた。釈迦が生きていた時代は、破僧とは本来の釈迦の教えに背く解釈を提唱して独自の教団を作ろうとする行為で謹慎処分となる決まりになっていたが、アショーカ王の時代に、釈迦の教えについて互いに違った考え方や解釈を持っていたとしても、同じ領域内に居住し、集団儀式をともに行っているかぎりは破僧ではない、と定義が変更された。このことで一気に多様化が進み、大乗仏教への扉が開かれたと考えられる。在家のままでブッダになれる方法として、日常の中で行う善行が大切な修行になると考えられるようになり、その善行とはブッダと出会い、崇め、供養することとなっていった。
・大乗仏教の最初の経典は「般若心経」などを含む「般若経」で、紀元前後に誕生したと考えられる。最古の「般若経」はガンダーラ地方(パキスタン北西部)で発見されている。釈迦は、輪廻を断ち切り涅槃を目指すには、この世では善いことも悪いこともしてはならない、つまり業を消しなさいと言う。一方「般若経」は、過去でブッダと出会い、請願を立てて菩薩となり、そのあとの長い生まれ変わり死に変わりの中、ひたすら日常的な善行を積むことによって、自分自身がブッダとなり最後には涅槃に入ると言う。だから釈迦の教えと「般若経」の教えは全く別のものである。
・「法華経」は「般若経」の進化形として、紀元50~150年ごろに北インドで作られた。「般若経」は「三乗思想」といって、悟りを開くために3つの修行方法(乗り物)があると考えた。一つは、釈迦の教えを聞きながら阿羅漢を目指して修行すること(声聞乗)。二つ目は誰にも頼らず独自に悟ること(独覚乗)。ここまでは「釈迦の仏教」の教え。三つ目は自らを菩薩と認識し、日常の善行を積むことでブッダを目指す方法(菩薩乗)で、「般若経」はこれを他の二つより優れているとした。一方、「法華経」は、「一仏乗」といって、すべての人々は平等にブッダになることが可能であるという教えを説き、「三乗思想」よりもさらに上に位置すると考えた。釈迦の仏教とは明らかに違っているのだが、釈迦の説教のあとに、じつは釈迦自身が真実の教えである「法華経」を説いたのだとして辻褄を合わせている。このような新たな教義の導入の仕方は、多くの大乗経典で用いられている手法である。「法華経」はもはやブッダ信仰ではなく、お経そのものを信じる信仰に変容しているが、今まで救うことができなかった人を救えるようになったと考えれば、プラスの進化ととらえることもできると著者は述べる。
・浄土教のうち「無量寿経」と「阿弥陀経」は、「法華経」とほぼ同じころ、紀元1世紀ごろ、インド(ガンダーラ地方?)で成立したと考えられている。「般若経」や「法華経」が時間軸に注目したのに対して、浄土教は私たちが生きているこの世界とは別の場所に無限の多世界が存在しているとして空間軸に目を向けた。「般若経」や「法華経」は、日々の善行が悟りのエネルギーに使えるとし「自力」による割合がまだ大きかったが、「浄土教」は善行さえも不要で「南無阿弥陀仏」と称えるだけでいいとし「他力」の度合いが高まった。釈迦の教えとはかけ離れたものになっているが、それを信じた人が幸せになれるのならその価値を認めるべきだとしている。
・「華厳経」は紀元3世紀ごろに中央アジアで作られた。「華厳経」には悟りについての方法は説かれていない。「毘盧遮那仏は宇宙の真理である」という教えや、私たち人間はその宇宙の一微塵だという考えを説き、日本では奈良時代の鎮護国家の根拠になった。
・その毘盧遮那仏と同じ仏様である大日如来を最重要仏としたのが密教である。密教は、紀元4~5世紀ごろのインドで、ヒンドゥー教やバラモン教の呪術的な要素を取り入れて誕生した。主要経典の「大日経」と「金剛頂経」は7世紀ごろにインドで体系化された。密教では、自分がすでにブッダであることを自覚することが唯一必須の作業で、「三密加持の行」として、印、真言、宇宙の真理を心に思い描くことを行う。自分がブッダであることを自覚した後は、護摩を焚いて加持祈祷をしたり、祭祀を執り行ったり、現世利益のための行為を行う。
・仏教は様々なかたちに変容して選択肢の多い宗教になったことで、世界に拡大していくことになった。一方で、仏教が誕生したインドではヒンドゥー教によって仏教は消滅していった。ヒンドゥー教では、宇宙を貫く根本原理として「ブラフマン(梵(ぼん))」というものがあり、私たち個人には個体原理「アートマン(永遠不変の自我)」が存在していて、この二つが一体化したときに悟りに至ると説いた。これを「梵我一如」と呼ぶ。「釈迦の仏教」では、自我という錯覚の存在を自力で打ち消し、煩悩を断ち切ることが悟りに至るための道と考えたので、アートマンの存在を認めていない。しかし、大乗仏教が成立して、次第にヒンドゥー教の教えに近づいていったことがインド仏教衰退の最大の原因であると著者は考える。つまり、大乗仏教では、ブッダの世界の中に私は存在している、さらにブッダは私の中にいるととらえることで、梵我一如=ヒンドゥー教の教えと同じになってしまい、仏教の存在意義がうすれてしまったのである。
・禅はインドでなく中国において、道教などをベースとした出家者コミュニティと、「釈迦の仏教」の修行の一つである「禅定」(瞑想によって心を集中する修行)が結びついて、仏教集団となっていったのが起源である。開祖は、紀元5世紀に南インドから中国に来た達磨とされる。私たちの内側には仏性があり、それに気づくことが悟りへの道であるととらえ「坐禅修行」をする。自分の心の中を探りながら煩悩を取り払っていくスタイルは、「釈迦の仏教」の教えに極めて近い。道元はそれを大乗仏教の教えとの整合性をはかるために、「禅における坐禅は煩悩を消すための修行ではなく、自分がブッダであるということを確認する作業だ」ととらえ直した。鈴木大拙は仏教をうまく説明しているが、それは日本固有の大乗仏教についての思想であり、「大拙大乗経」ともいうべき新たな仏教経典だと著者はとらえている。
・これからの宗教は、仏教に限らずキリスト教もイスラーム教も、科学と擦り合わせができ神秘的な概念の薄まった「こころ教」と、反対に原点回帰に向かう「宗教原理主義」の二極分化が起こると著者は考えている。最後に著者自身の立場として、釈迦の教えのうち、現代の科学的世界観においても通用する部分を抽出して、業や輪廻といった2500年前には当然と考えられていたが現在では受け入れられない部分は除外して、それを自分の生きる杖にするほかに生きる道はないと述べている。
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