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書評「禅の名僧に学ぶ生き方の知恵(横田南嶺)」

2016-04-30 22:01:07 | 書評(仏教)



円覚寺坐禅会で本を購入時に書いて頂いた横田管長のサイン「願いに生きる」。

臨済宗円覚寺派管長の横田南嶺老師による著である。円覚寺にゆかりのある人を中心に7名の禅僧について、それぞれの生い立ちや人生、そして禅僧としての生き様について、口述を元にまとめられた本である。口述なので読みやすい。漢詩や古文がよく出てくるが、現代語訳が付いているのでそんなに心配いらない。
取り上げられている禅僧は、円覚寺開山の無学祖元(むがくそげん)、多くの寺を渡り歩いたが円覚寺にもいた夢想疎石(むそうそせき)、円覚寺中興の祖である誠拙周樗(せいせつしゅうちょ)、円覚寺の初代管長となった今北洪川(いまきたこうぜん)、その後円覚寺管長となった釈宗演(しゃくそうえん)が円覚寺とゆかりのある禅僧である。また、大寺院には入らなかった、正受老人(しょうじゅろうじん)と、正受老人の弟子であり現在の臨済宗の原型を作った白隠慧鶴(はくいんえかく)も取り上げられている。なお、夢想疎石は庭園設計家としても有名だが、その方面の活動についてはほとんど触れられていない。

横田管長は恩師の松原泰道氏に終身保つべき言葉をお願いしたところ、「衆生無辺請願度」という言葉を頂いた。「衆生無辺請願度(しゅじょうむへんせいがんど)」は、白隠慧鶴が作った教え四弘誓願文(しぐせいがんもん)の一節で「人々の悩みや苦しみは尽きることはないけれども、誓ってこれを救ってゆこう」という意味である。この本に取り上げた禅僧たちは、みなこの「衆生無辺請願度」の願いに生きられた方たちであると言っている。ここに出てくる禅僧たちは、若い時は厳しい修行を行うことで悟りを得る。悟りを得た後は、みな「衆生無辺請願度」、つまり慈悲の心にかられて利他のため、困っている人たちを救うために人生を全うしている。
少し前に、オウム真理教の後に続くアレフという宗教団体のホームページを見たことがある。そこに書かれていたことは、教団内の誰それはすでに悟りを得ている、教団は悟りを得るための修行法を提供しているということなのだが、悟りを得た後何をするのかについて一切触れていない。たぶん利他とか慈悲ということはそもそも発想にないのだろう。自分たちの救済は行うのだが、救済されたらそのあとに何をするのだろうか?とうてい公にはできないようなことをたくらんでいるのだろうか?宗教ではないが、心理療法のアドラー心理学でさえ、他者への貢献ということを大きな課題としている。禅宗の優れた僧たちが実践してきたことと、こうした有害な宗教が考えていることとの間には「慈悲」という依るべきところの一点において深い溝があるように思う。

さて、この本に出てくる禅僧たちの行ってきたことは我々凡人にはとうてい及びもつかないようなことが多い。それでも人間味にあふれる様々なエピソードもあるのである。例えば、みな早くに出家してある意味親不孝な面もあるのだが、実際には親孝行、母思いな人が多い。無学祖元も正受老人も、修行を中断して母親の老後に亡くなるまで二人暮らしをしている。誠拙周樗は母の死後、母の菩提のために2年かけて西国三十三所巡礼を行っている。

その他の興味深いエピソードとしては次のようないくつかが挙げられる。
悟りの体験はあまり元気なときにはしないもので、修行で自分を追い込んで意識朦朧としたようなときにくることが多いという。
夢想疎石は、北条家にも、敵の後醍醐天皇にも仕えたとして悪く言われるが、禅宗を守るためという大きな視点を持っていたからだと著者は述べている。
白隠慧鶴は日本の臨済宗に最も大きな影響力を持った僧だという。例えば、丹田呼吸を坐禅に取り入れた。公案はそれまで中国の言葉でやっていたが、わかりやすい日本語で禅問答を始めた。延命十句観音経と四弘誓願文というお経を広めた。病人を取り囲んで皆で延命十句観音経を唱えると病気が治ると言われている。短いお経なので覚えてしまってもいいと思う。
明治時代の廃仏毀釈で寺は大きなダメージを受けた。そんな時、円覚寺の今北洪川は一般の人にお寺を解放して、誰でも坐禅ができるようにした。それによって鈴木大拙や夏目漱石が坐禅に来るようになったし、現在のさかんな一般向け坐禅会の流れができた。今北洪川も横田管長も、子どものときに自分の気持ちを察してくれた父親から仏教や禅の本を与えられていたという。親が子どもの指向性を敏感にキャッチしてサポートしてあげることの大切さを示すエピソードだ。
釈宗演に師事した夏目漱石は、円覚寺での坐禅の体験を「門」という小説に書いた。そこでは、いい体験は得られなかったと書かれているが、晩年、釈宗演に再会していろいろ話をしているという。禅や仏教に対する関心は生涯続いたようだ。そして、葬式では釈宗演が導師を務められた。

この本を読んでみれば人それぞれ感じ入るところがあることと思う。


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