「ウルトラ」シリーズが始まって45周年を記念して,北海道立旭川美術館で「ウルトラマン アート! 時代と創造 ウルトラマン&ウルトラセブン」展が開かれている。私のように,記念すべき第1シリーズの「ウルトラQ」で「円谷プロ」が描き出した,リアル・ワールドと異次元との境界が放つ危険な磁力の虜になってしまった人間にとっては堪らない企画だ。
展示はエントランス部,ウルトラマンやウルトラセブンを始めとする初期ウルトラシリーズのデザインを担った美術家のスケッチや模型を展示したパート,撮影に使われた模型やマスク等を復刻したパート,そして数多くのフィギュアを展示したパート等に別れていたが,やはり圧巻は,成田享がデザインした数々の怪獣を作製し,「怪獣の父」と呼ばれた高山良策の仕事振りだった。
夫人の利子さんが撮影したアトリエで様々な素材と格闘する高山の姿や,着ぐるみの人体型,復刻された怪獣のマスクなどから伝わってくるのは,世界でただ一体,しかも一度きりの撮影に使われる着ぐるみに賭ける情熱であり,「テクノロジー」ならぬ「手クノロジー」の温もりだった。
そのアイデアの豊かさと職人芸の細やかさが,間違いなく30年の日々を経て日本特撮界の金字塔「平成ガメラ」シリーズに繋がっていったことが,今にしてはっきりと実感できた。
また,ウルトラマンの飛行シーンをミニチュアで撮影して見せるインスタレーションも見事だった。「特殊撮影」という,C.G全盛の現代にあって,ともすれば軽視されがちな技術を,ひとつの美術として讃える試みは,実際の撮影に使われた器材展示の少なさを補って余りある楽しさに満ちていた。
しかし我々の世代の子供の多くは,最早大学生から社会人になりつつあり,当然こういった展覧会に興味を持つ余裕もなく,かと言って現代のイケメン俳優養成のための「虎の穴」と化した最新シリーズに夢中の子供やお母さん達にとっては,観たことも聞いたこともない「美術館」ならぬ「博物館」の展示物としか思われないのでは,という当方の予想通り,休日のお昼時にも拘わらず場内はガラガラだった。
そのおかげで,写真撮影が可能なエントランス部分のセットでは,あの伝説の「メトロン星人」と卓袱台を挟んで座り込み,しっかりとスナップ写真まで撮れたので,私としてはとても満足だったのだけれど,少ない観客の殆どが子供連れだったことを見て,こういったどちらかというと「マニア向け」の展覧会のターゲット設定は,つくづく難しいと考え込んでしまったりしたのだった。
展示はエントランス部,ウルトラマンやウルトラセブンを始めとする初期ウルトラシリーズのデザインを担った美術家のスケッチや模型を展示したパート,撮影に使われた模型やマスク等を復刻したパート,そして数多くのフィギュアを展示したパート等に別れていたが,やはり圧巻は,成田享がデザインした数々の怪獣を作製し,「怪獣の父」と呼ばれた高山良策の仕事振りだった。
夫人の利子さんが撮影したアトリエで様々な素材と格闘する高山の姿や,着ぐるみの人体型,復刻された怪獣のマスクなどから伝わってくるのは,世界でただ一体,しかも一度きりの撮影に使われる着ぐるみに賭ける情熱であり,「テクノロジー」ならぬ「手クノロジー」の温もりだった。
そのアイデアの豊かさと職人芸の細やかさが,間違いなく30年の日々を経て日本特撮界の金字塔「平成ガメラ」シリーズに繋がっていったことが,今にしてはっきりと実感できた。
また,ウルトラマンの飛行シーンをミニチュアで撮影して見せるインスタレーションも見事だった。「特殊撮影」という,C.G全盛の現代にあって,ともすれば軽視されがちな技術を,ひとつの美術として讃える試みは,実際の撮影に使われた器材展示の少なさを補って余りある楽しさに満ちていた。
しかし我々の世代の子供の多くは,最早大学生から社会人になりつつあり,当然こういった展覧会に興味を持つ余裕もなく,かと言って現代のイケメン俳優養成のための「虎の穴」と化した最新シリーズに夢中の子供やお母さん達にとっては,観たことも聞いたこともない「美術館」ならぬ「博物館」の展示物としか思われないのでは,という当方の予想通り,休日のお昼時にも拘わらず場内はガラガラだった。
そのおかげで,写真撮影が可能なエントランス部分のセットでは,あの伝説の「メトロン星人」と卓袱台を挟んで座り込み,しっかりとスナップ写真まで撮れたので,私としてはとても満足だったのだけれど,少ない観客の殆どが子供連れだったことを見て,こういったどちらかというと「マニア向け」の展覧会のターゲット設定は,つくづく難しいと考え込んでしまったりしたのだった。