今回は、とりとめもない思い出話です。
東京の思い出、そしてまだ見ぬイタリア・アッシジにまつわる想いを。
※ またも長いので、チューリップの花だけでもどうぞ・・・・。


◇ 東京 ◇
九州の西海岸の田舎町(佐世保)で育った私には、東京と言いますと、これはもう「あこがれ」の地でした。
もう廃止になりましたが、ブルートレインで愛称「さくら」という、長崎・佐世保⇔東京間の寝台特急がありました。
亡き父は旧国鉄(現JR)の機関士で、特急「さくら」の佐世保・鳥栖間を乗務することがよくありました。
子ども心には、これに乗って夜が明けたら東京なんだと、夕方走る上り列車の姿をよく見送ってました。

(LILAC PERFECTION)
東京といえば、え~と、その、私の得意な「歌」でいいますと、実はこんな歌。
おそらく小学生か中学生の頃の歌ですが、新川次郎という歌手が歌ってました。
1960年代をご存知の方、挙手をお願いいたします・・・・な~んて。
あれっ、そこの若者たちよ、’60年代を侮るなかれ!
ビートルズなんて、まるでこの時代どっぶりなんですよ。
あまりに記憶の彼方過ぎるのですが、昔の歌は言葉数も少ないですし、何となくよく憶えていて、酔ったらカラオケで今でも歌います。
これも、東京への「あこがれ」に結びついているんです。
(歌詞は、まちがいがあるかも・・・・まあまあで)

(Pink Star)

(una poesia di oggi)
東京の灯よいつまでも ♪
雨の外苑 夜霧の日比谷
今もこの目に やさしく浮かぶ
君はどうして いるだろか
ああ 東京の灯よ いつまでも
すぐに忘れる 昨日もあろう
あすを夢みる 昨日もあろう
若い心の アルバムに
ああ 東京の灯よ いつまでも
花の唇 涙の笑顔
淡い別れに ことさら泣けた
いとし羽田の あのロビー
ああ 東京の灯よ いつまでも
私が東京出張に飛行機をよく使うのは、この歌の印象から来るのだと思います。
別に、神宮外苑の雨までは経験してはいないし、日比谷ってどの辺でしたっけ?


(China Town)
東京に初めて行ったのは、大学1年生の秋10月、まだ18歳、今でもよく覚えています。
遠距離恋愛(?)を見事失恋して、前期のテストが終了後、すぐに夜行列車で信州に向かいました。
松本、そして霧が峰・・・・秋、私の最初で最後(?)の傷心の旅です。
信州をあとに、文京区・根津に下宿していた高校時代の親友のところを訪ねましたが、これが最初の東京です。
茅野から中央線で甲府へ行って、富士山を初めてながめて、八王子を経て東京へ入りました。
子どもの頃にあこがれた、寝台特急「さくら」に乗って、東海道線を辿っての上京ではなかったんです。


その後、早稲田の友達のところを訪ねて、よく春と秋の早慶戦を観戦というか、早稲田の応援というか、
ただレフトスタンド(?)に、試合そっちのけの酔っ払うためだけに行きました。
試合終了後は、歌舞伎町に繰り出して、ドンチャン騒ぎで大変だったのをよく思い出します。
この頃は、なぜか、なぜか、結構、もてたのです、ではなくて、飲めた!のです。


大学2年から4年まで、毎年春と秋には、こうして東京で、大いに、他愛無く遊びました。
この頃に、私の好きなところが少しずつ確かになったような気がします。
渋谷・恵比寿・代官山辺り
特にどこのポイントということはなく、単に好きでした。
上野(国立博物館・西洋美術館・東京芸大)
芸術へのあこがれから、特に☆☆☆、また訪ねたいところ
本郷(東大とか・・・・)
湯島(天満宮) 地味すぎ?
早稲田(早大) 青春の思い出
柴又(帝釈天) 寅さん、草団子
・・・・・・・・
というわけで、早慶戦のある5月と10月は、いまでもむしょうに東京に行きたくなります(野球以外で)。


(SAXATILIS Johann Strauss)
卒業直前の冬、2月の雪の積もった日の記憶、鮮明な雪の夜の記憶。
つまり、私の「なごり雪」の記憶は、以前アップしたと思いますので、もう省きます。
その後、X0年、この地では様々な出会いを経験して行くことになります。
なかには、思いもよらないような、心に深く沁み入るような出会いもありました、ここ東京で・・・・。


◇ アッシジ ◇
さて、東京から飛んでイタリアのほぼ中央は、ウンブリア州の聖地アッシジ。
清貧の聖人、聖フランチェスコ(1181-1226)の地です。
世界遺産、聖フランチェスコ聖堂には、大好きなジョットのフレスコ画があります。
とりわけ小鳥への説教の場面が、私には印象的なんです。
・・・・って、まだ行ったことがないのですが、行きたい一心だから、イタリア語も頑張れるのです。
これも私の学生時代の映画なんですが、「ブラザーサン・シスタームーン」を
ご覧になった方もいらっしゃるでしょう(1972年イタリア・監督フランコ・ゼフィレッリ)。
聖フランチェスコと聖女クララの清らかな愛の物語・・・・。
辻邦生さんの随筆に、この聖フランチェスコのことを書いたのがあったと記憶していました。
ただ、これまでどの本に書いてあったのか、さっぱり思い出せませんでした。
それが先日「生きて愛するために」を読み直してまして、思いがけなく見つけたのです。
「生きて愛するために」のなかでも、それは一番好きな文章なんです。
いや辻さんの文章の中でもお気に入りの文章の一つが、「生きて愛するために」の中にあったと。
いまの私の心に最も結びつくような文章、私の「夢」そして「あこがれ」が、ここにもあるからです。
聖フランシスの伝記のなかでは聖女クララとの愛の物語が一番好きだ。
ある冬の寒い時節、二人はアッシジの近くまできた。
人々は二人を胡散くさそうに眺めた。
聖フランシスは言った。
「どうやら私たちは別れるときのようだね」
悲しみに打ちひしがれた聖女クララはたずねた。
「では、こんどいつお会いできますの」
「夏がきて薔薇が咲いた頃に」
すると、その途端、雪に覆われた森にいちめんに薔薇が咲いた。
クララはその一輪を聖フランシスに差し出し、
二人は生涯離れることはなかったという。
(辻邦生「生きて愛するために」)

(Green Ice)