今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

名古屋宅にカブトムシ

2022年07月27日 | 歳時

名古屋の孤寓は集合住宅の一室なのだが、そこに戻る途中階の扉の前にオスのカブトムシがひっくり返っていた(脚を仰向けの状態)。
通路は屋根だけがある半屋外なので、虫の出入りは自由。

残念だと思いながら、足先で触ると、なんとカブトムシの脚が動く。
生きているわけだ。
カブトムシの形態は、平らな地面に対して不利で、一度ひっくり返ったら自分で体勢を戻す事ができずに死を待つのみ(子どもの頃カブトムシを飼っていてそういう姿を幾度も見た)。

頭の後ろにある小角をつまんで持ち上げ、間近で見ると結構立派なオス。

東京生まれの私には、カブトムシは最初から店で売っているものだった。
曲がりなりにも200万都市名古屋市内、しかも自宅直近で野生のカブトムシにお目にかかれるとは…。

カブトムシをつかんだまま、来た道を戻り、公園の樹木に止らせると、幹をしっかりつかんでいて弱ってはいない。
あとは自分の力で生きていけよ、と念じて引き返した。
考えてみれば、同じ昆虫でもゴキブリに対する対応とかくも異なるのも不思議だ。

追記:8月5日に名古屋宅に戻ったら、建物の前の電柱の下の路面に、♂のカブトムシが上半身バラバラになった死骸があった。
大きさと稀さから、あのときの奴だろう。
またこの建物に戻ろうとしたのか。
そしてたぶん野良猫にいたぶれられたんだろう。
これも運命だ。


谷中・上野観桜散歩:2022

2022年03月28日 | 歳時

世間では年度末の平日の月曜だが、勤務先では一応”春休み”なので、東京の実家にいる。
東京はすでに桜も満開だし、気温も高くなったので、少しは遠くに出かけようかと思うのだが、年度の切替り時期は学校関係者特有の鬱気に襲われるためか、遠出する元気が出ない(遠出するには、「よし、行くぞ!」という強い気持ちが必要なのだが、それが出ない)。
※:過去一年の業務のすべてが白紙に戻され、また1からやり直す新年度が始まる気の重さ。ただ、始まってしまえばこの鬱気は吹っ飛ぶ。3月末の今だけの状態。

なので、決心がいらない近所の散歩コース(谷中~上野)で桜を観に行くことにした。

正午前に西日暮里の店で定番の昼食(五目焼きそば)を食べて、出発点となる諏方神社の高台(諏訪台)に登ると、咲き誇った桜が迎えてくれる。
※日暮里・谷中の鎮守である諏方(すわ)神社は、諏訪ではなくこの字。ただし台地名は諏訪台。
この桜の花を観ただけで、鬱気が消えていく。
それまでの冬枯れの寂しい枝から一変した桜の”時限的な”華やかさは、”今だけ”という儚さを伴ったものだけに、むしろ焦燥感さえもたらし、鬱気がベースになければ、ハイ(躁)になってしまうほどだ。

谷中霊園の桜並木は、桜も人の量もともに手ごろで、近所の名所的な安心感がある。

霊園を出て上野に向かう所に、今まで素通りしていた多寳院(真言宗)という寺の桜がきれいなので、初めて立寄ろうと門に向かうと、「吉祥天安置」との石標がある。

私は昨年夏以来、吉祥天のファンになり(→吉祥天をお迎え)、吉祥天を求めて詣でているのだが、幾度も歩いた近場の散歩コースに吉祥天が祀ってあったとは。
石標でアピールしているだけに、閉まった本堂の隣に吉祥天を祀る堂があって、ガラス戸越しにきれいに彩色された吉祥天を拝める(写真)。
かように吉祥天は、如意輪観音や弁才天以上に女性美が表現される分、眼福を味わえる。

そこから今の時季に歩くにふさわしい”上野桜木”を抜け、赤煉瓦の校舎に桜が映える東京芸大を過ぎて上野公園に入る。
公園内を南下すると有名な丈の低い”上野の桜”の並木になる。
コロナ禍が幸いしてか、桜の下での宴会が禁止されているので、通行人が平等に満開の桜を堪能できる。
道脇の清水観音堂を桜越しに見上げ(写真)、観音堂に上がれば、清水の舞台上から桜越しに不忍池の弁天堂を見下ろす。

桜並木を抜けて最後は上野広小路に降りる。
ここまで来たなら、さらに山手線1駅分歩いて秋葉原に向う。

久々の秋葉でいつもの店々を巡り、名古屋宅用の電動鼻毛カッター(320円)を買う。

観桜も歩きもこれで充分。

今回歩いた山手線6駅分を電車で戻った。


正月は関東戦国史を読む

2022年01月02日 | 歳時

正月三が日の間は、お節料理を平らげた後は、仕事関係には手をつけずに、この時とばかりに好きな本を読みふけることにしている。
読む本は関東戦国史と決めている。

関東戦国史といっても小田原北条氏(早雲〜氏政)が主役となる戦国後半よりも、前半の足利成氏(しげうじ)、太田道灌、長尾景春らの時代に(高校の地歴部以来)注目している。
今では、戦国時代は京都の応仁の乱(1468)ではなく、関東の享徳の乱(1454)から始まったといわれている。
”戦国”の震源地である関東は、あまりに渾沌としすぎて、ドラマ・小説※にすらなりにりにくい程錯綜している。
※さすがに太田道潅の小説はいくつかある。最近では幡大介『騎虎の将 太田道灌』。

関東の戦国の逸話としては、映画『のぼうの城』で紹介された、天正18年の秀吉による関東征伐に唯一軍事的に屈しなかった武蔵”忍(おしの)城”が記憶に新しいが(成田長親の田楽踊りはフィクション)、私自身はそれより百年以上前の、太田道灌の幼少期の逸話にほくそえみ、そして彼が築城した江戸城、とりわけ静勝軒からの眺めを追体験したい。
その道潅、すなわち戦国無双の知将にして文化人、そして悲劇の最期をとげたこの主役以外に、反逆の意地を人生に貫き通した人として、足利成氏(享徳の乱の張本人)、長尾景春(その乱の最中に乱を起こす)、そして道潅の曾孫である太田資正(三楽斎)※に注目している。
※小田原北条氏の侵攻にひたすら抵抗。城間の伝令に犬を使ったというエピソードが印象的(『関八州古戦録』)。

まずは最新刊の『図説享徳の乱』(黒田基樹、戎光洋出版)で28年におよぶ乱の時系列をおさらいし、さらに太田資正についての研究書『太田資正と戦国武州大乱』(中世太田領研究会、まつまや書房)を読んだ。
こういう地方史研究の成果が頼もしい。


2022年の元日を過す

2022年01月01日 | 歳時

新年明けましておめでとうございます
皆様とともに新年を迎えられたことを慶び、
皆様の更なる御多幸をお祈り申上げます

2022年壬寅(みずのえとら)の新年を迎えた。
東京は晴天ながら、明け方は氷点下の気温。
元日は例年通り、武家礼法を基準にして儀式的にすごす。

まず、起きたら、新湯にて湯垢離をし(水垢離はちょっときついので…)、羽織袴に着替え、腰に白扇を差して(腹に差すのではない)、近所の二社一寺に初詣。
参拝者は昨年より若干増えた感じ(といっても行列には隙間を空ける)。
神社の鈴を鳴らす紐は上にあがって使えなくしてあり、寺の小さな鐘(梵鐘ではない)も撞けなくしてある。

これらを見ても、今年こそはコロナ禍を克服したい(インフルエンザレベルに)と思うようになる。

帰ると母がお節料理の仕度にいそしんでいる。
昼過ぎに、弟一家5人(甥1,姪2)を加えての正月の宴。
私は烏帽子・直垂(ひたたれ)姿になっていて、雅楽・越天楽のBGMの中、式三献に則った屠蘇の儀を取り仕切る。
屠蘇には金箔入りの日本酒を入れて、各人の盃に金箔が入っていれば目出度いとした。
式三献の単調な儀式に幾分でも趣向を凝らしたつもりだが、いつのまにか金箔の有無が関心の主になってしまった。

それが終ると、まずは子供(甥1、姪2)たちにお年玉。
私は、市販のポチ袋ではなく、千代紙を「当座金子包み」にして折った袋に、表書きに氏名を記して渡す。

酒宴の日本酒(越乃寒梅、久保田)は、Amazonで買った瓢箪(ひょうたん)製の酒器に入れ、”瓢箪酒”としゃれ込む。
仕上げの雑煮用の餅は、オーブントースターで必ず焼いて入れる。
我が家では昔からこの方式で、こうすれば、高齢の母でも安心して餅を噛み切れる(逆に言えば、毎年死者を出す”餅を焼かないで煮込む雑煮”が、なぜ世間では平然と継続されるのか。細かくしてもそのまま呑み込めば気道に詰る)
かように正月三が日は、和服で過し、昼から家族で酒を飲み、夜は静かに歴史書を読む。


2021年を私的に振り返る

2021年12月29日 | 歳時

年末恒例、今年を私的に振り返ってみる。

まず正月は東京の緊急警戒宣言で始まった。
そんな中、母は予定していた膝手術のため入院。
宣言下で面会もままならない中、病室に荷物を届けるという名目で見舞った。
術後の回復は順調で現在に至っているが、転倒が怖いので外出時は今でも歩行用カートを押している。

コロナ禍の影響で、5月に遠隔授業となったが、6月に対面に復帰した(以後はずっと対面)。
もちろんその間にワクチンを接種。
ただ2021年もずっとコロナ禍だったので、毎月やっていた温泉旅は5月、8-10月、12月は行かなかった。
7回行ったうち3回は中津川の定宿で、1月には「誰もいない馬籠宿」(歩いているのは自分一人だけ)という貴重な経験をした。

山は、2020年は高尾山に1回だけだったが、今年は高尾山に3回、それに小学校入学直前の姪と天覧山・多峯主山に行った。
以上、行くにしてもごく低山になってしまった。

川歩きは、荒川3回目(赤羽→彩湖)、境川(町田→多摩境)、それに名古屋で堀川(庄内川→納屋橋)を歩いた。
境川と堀川は歩きを続けるつもり。

11月に高校同期会が2年ぶりに開催されたが、慎重を期して欠席した。
結局、自宅での家族以外との飲み会は一切やらなかった。

研究科長をしていると仕事が多いこともあって、研究活動は低調で、紀要に1本(しかも論文ではなく資料)がやっと。
その代わり3月に私のことが書かれている『茶臼山パワースポットの謎—”計測マン”教授の挑戦』が出版された(ただし非売品)。
私のカエル館についての本ブログの記事がずらりと引用されているのだ。

本ブログに関しては、記事を連載することしばしで、3月に「危険な活断層」(2話)、4月に「サイキック・パワー講座」(8話)、9月に「夢を見る心」(4話)を連載した。
あと災害や事故・犯罪の発生時に、防災・安全についての記事を載せるようにしている。
ただし、読者の閲覧上位の記事はいずれも昨年以前のものばかりで、今年の記事でヒットしたものはなかった。

個人的に比較的大きな出来事は、8月にそれまで使っていたガラケーが壊れたので、やっとスマホ(アンドロイド)に切り替えたこと。
ただそれまでも通話以外はiPadとiPodtouchを使っていたので、大きな混乱はなかった。

そういえば落とし物が相次ぎ、そのiPodtouchは2月に、スマホは使い始めたばかりの8月に、そして 11月に サーモグラフィカメラ、12月にBoseのイヤホンを紛失した。
サーモグラフィは年末の大掃除で自宅のベッドの下から2ヶ月ぶりに見つかり、残りの3つは拾った人がしかるべき所に届けでくれて、すべて手元に戻った。

というわけで、個人的にな大過なく一年を終えることができた。
ただ世間では、伊豆山での土砂災害によって今年も気象災害での死者が出て、無差別殺人(未遂、既遂)が続いて公共空間でも安心できない状態になった。
危機管理は怠れないことを痛感する。


年末の賀状書きに思う

2021年12月26日 | 歳時

クリスマスが終ると、もう気分は正月に向けた”年末モード”に突入。
その第1段として着手しなくてはならないのは、賀状書き。
ご多分に漏れず、私も賀状書きが面倒くさいと思っている一人。
なので「賀状じまい」をしたいが、賀状じまいを賀状で宣言するには、通常の賀状作成よりも抵抗感がある(いい理由づけがない)ため、結局「辞める勇気がなく」※、例年通りの賀状作成と相成った。
※: M-1グランプリで最高齢で優勝した「錦鯉」が、この年齢まで続けた理由のセリフ。

賀状の裏面は、今年撮った写真から1枚選び、それの解説文と、それとは別の新年に向けての抱負を記す。

あと、買い替えたばかりのプリンタ(HP社のENVY6020なので、試し印刷を繰り返す。
このプリンタ、操作はすべてパソコンなどの外部デバイスからで、一見便利だが、パソコンがスリープしたり、他のアプリをつかっていると回線が切れて、印刷が中断してしまう。
というのも、印刷品質を”最高”にしないと写真画像は使えないレベルで、そうするとハガキ一枚の印刷にやたら時間がかかり、まとまった枚数印刷しようとすると、長時間を要するため。
それでも、今ではプリンタって賀状印刷くらいしか使わないので、1万円ちょっとで買えるこの機種以外に選択肢はない(HPのインクカートリッジはヘッド付きなので、インクがヘッドに固まっても、カートリッジを交換すればヘッドも交換されるが、他社製はヘッドがダメになるとクリーニングの効果なくプリンタが使えなくなる)

ハガキの裏面と、表面の自分の住所と宛名を印刷したら、あとは、相手の住所と宛名は手書きにする(それまで印刷するならホントに出す意味ないのでは)。
そして裏面の余白に一言書き添える。
この一言にけっこう考えこんでしまう。

以上、完全に効率化しないこともあって、日中は賀状書きに費やしてしまった(結局一日無駄になる)。
年末の忙しい時に、かように時間を要する賀状書きだから、ホントに「賀状じまい」をしたくなるのだが、
交際をシャットアウトする宣言のように響いてしまうのが気が引ける。
いっそ先方から申し出てくれるとありがたい。


祝、きのこの日

2021年10月15日 | 歳時

昨日、大学に出勤したら、職員の人から「先生、明日はきのこの日なんですって?」と言われた。
私がきのこ好きであることを知っているゆえの問いかけだ。
もちろん、私がそれを知らぬはずがない。
パソコン・タブレットのカレンダーに登録している。

夕方、近所のスーパーに行ったら、ブナシメジの売り場に「10月15日はきのこの日」と表示があった。

なんでも、10月はきのこシーズンなので、日本特用林産振興会が、その中日である15日を「きのこの日」としたらしい。

この日はきのこを食べよう、というわけだ。

私も、ブナシメジ、エノキ、マッシュルームを買い、15日の夕食は、きのこをたっぷり入れた「きのこそば」にする(「きのこ鍋」はちと早い)。
ちなみに生食できるマッシュルームはサラダ用だ。

きのこは食としてはこうして楽しめるのだが、グッズに関しては文句を言いたい。
きのこ好きは、食べるだけでなく、きのこを眺めていたいので、きのこのインテリアグッズや小物もほしい(その極致はガレの「ひとよ茸」のランプ)。
ところが、販売者はきのこなんて、見栄えのいいベニテングタケでありさえすればいいという安易な発想ばかりで、まさにベニテングタケばかり
きのこって種類がたくさんあり、色も形状もそれぞれバラエティに富んでいるのに。
キヌガサタケやタマゴタケ(幼菌)なんか実際見つけると感動ものだ。


気象記念日に思う

2021年06月01日 | 歳時

今日6月1日は、気象記念日
明治8年(1875年)のこの日に、当時の東京気象台が設置され気象と地震の観測がされた日(wikiによる)。
実は、勤務先の大学の創立記念日でもあるので、私らだけ仕事は休み。
なので、東京にいて国会図書館で仕事をした。
帰りに皇居の反対側の気象庁に足を伸ばそうと思ったが、庁舎1階にあった気象科学館は虎ノ門に移り、また昔からあった書店も閉店したという。

以前は、あこがれの気象庁に用もないのに行き、書店で専門書を買ったり、科学館で時間をつぶし、食堂で昼食をとったりしたが、最近はご多分に漏れず入館チェックが厳しくなった。

この日にちなんで、中公新書の『気象庁物語』(古川武彦)を読んでいる。
うらやましくも気象に人生を賭けた「天気野郎」たちの物語。

そもそも気象観測の最大の目的は、気象災害を減らすことに尽きる。
今では精巧な数値予報によって、明日の最高気温まできちん予測できるのはすごいことだ。
これがいかにすごいことであるか、世間には理解されないのが悔しい。
そのすごさは台風の上陸時に発揮され、数日前からの予想とリアルタイムの実況が逐次公表される。
だから、本来なら気象災害による死者は無くせるはず。

ところが現実には、気象災害による死者が毎年出ている。
問題は住民による情報の活用だ(気象庁からの「警報」だけでは大ざっぱすぎる)。
東日本大震災で津波で無くなった人たちが、地震と津波の間の30分の(避難するには充分の)猶予を活かしきれなかったのは、まずは不足していた情報のせいだ(停電のせいで、地元の人たちだけが仙台湾に向って沖合から大津波が進んでいる自衛隊機からの実況映像を見れなかった)。

気象庁のサイトの「各種データ・資料」のページには詳細な普通の人には手に余る情報が載っている。

気象庁が発表する高度な情報と住民との間をとりもつのが、われわれ気象予報士・防災士の役割だ。

わが勤務先の大学は震災後、防災の授業「安全学」を立ち上げ、先週の土曜に私も防災情報の活用の講義をしてきた。

日本は治安はいいほうだが、自然災害の頻度は世界的にも多い。
そういう国に生きているからこそ、自分と家族の命を守るために、防災情報のリテラシーを高めてほしい。
その役に立てるよう、講義以外でも情報発信していきたい。


文京の桜を見に行く2021

2021年03月27日 | 歳時

満開の桜に浮かれた心は簡単には鎮まらない。
3月末の晴天の土曜に家に篭っているわけにもいかず、今日は地元文京区の桜を見に行く。

文京の桜といえば、ネットでは”江戸の二大庭園”であった六義園(柳沢吉保の庭園)と小石川後楽園(水戸光圀の庭園)が紹介されているが、これらの名園にとっては、桜は植込の木の1つでしかなく、決して主役ではない(個人的には、六義園は紅葉、後楽園は梅が見所)。

区民にとっての”文京の桜”と言えば、「文京さくらまつり」の会場となる小石川の播磨坂(松平播磨守の屋敷跡)の桜並木。
天気がいいので、ここに歩いて向う。

途中、白山神社に立ち寄って「白山旗桜」という名木(江戸三名桜の1つで、現在はその後継木)を見る(写真:右下に人が立っている)。

さらに小石川植物園(五代将軍綱吉が幼い藩主時代の御殿で、その後御薬園となる。日本最初の植物園となり、もちろんここにも桜がある)の脇を抜けて、播磨坂の坂下側に出る。
ここから始まる桜並木は、「環三通り」(環状三号線の計画道路)と言われていた広い通りで、通りの中央部に歩道帯がある(名古屋の広すぎる道路にあるやつ)。
道路の両側と中央の歩道帯にいずれも桜並木になっているので、計3列の桜並木となる(写真)。

例年の「さくらまつり」なら出店も出るのだろうが、今年は道路脇の店だけで、歩道帯の見物客はマスクをしての漫(そぞ)ろ歩き。
といっても、なかにはベンチに腰掛けワイングラスを手にしているカップルや、道脇にシートを敷いて弁当を広げる家族連れがいる。

考えてみれば、道路脇の店内で食べるより、こうした方がまだ感染リスクが低い。
ここは遠方から人が来るような有名処ではなく、地元民だけで楽しむ所なので、密になることもない。

法治主義ではなく礼治主義者※の私にとっては、感染対策は、個々人が頭を使って実施すべきで(決して難しくはない)、無思考者を前提とした一律の禁止で縛る必要はない(店舗の営業もしかり)。
※:一律の法(ルール)ではなく、状況に応じた礼(マナー)で社会の安定を目指す儒教的理想主義。
少なくとも、地元限定の桜の名所はそれでいいと思う。

私自身は、桜は見て撮るだけでいいので、桜並木を通り抜けたら、そのまま茗荷谷の駅に向う。
昼時で空腹になったが、昨日のように店で食べる(そのため昨日は体重アップ)ほどではないので、駅前のスーパーで惣菜の焼そば(290円)を買い(レジで箸をもらい、レジ外のレンジで温めて)、店前のベンチに腰掛けて食べた。
体重コントロールを心がけると、かように食(費)も軽く済む(実際、体重が戻った)。

茗荷谷から地下鉄を乗り継いで、最寄の本駒込で降り、帰路につく途中に立ち寄った吉祥寺(曹洞宗の栴檀林:駒澤大学の前身だった)の境内の桜も、これまた地元の名所で、カメラを手にした人が集まっている。
まず山門を入った参道沿いの枝垂れ桜の枝垂れ具合が人間がすっぽり入るほど大きく、また文化財建築の経蔵をバックにした満開の桜もいい(写真)。

こういう名所だけでなく、近所の邸宅の庭から出て道路を覆っている区の保護木の桜や、児童公園内の年季の入った桜も、すなわち単独の木も、それぞれ思い切り満開なので見栄えがする。

”壮観”でなくていいなら、外出すればこうして至るところで桜を楽しめるのがこの時期の日本だ。


桜を見に行く2021

2021年03月26日 | 歳時

梅や紅葉などはその季節になっても「絶対見なくては」とまでは思わないが、桜だけは違う。
「開花」さらには「満開」の報に接すると、もう居ても立ってもいられなくなる。
しかも単独の木ではなく、桜の花がずらりと空間を占める状態を見たい。
桜は”壮観”でなくては。

と、日本人だれもが思っているから、並木状に植えられた桜の名所が各地にでき上がる。

わが東京宅の近所では、まずはソメイヨシノの発祥地の染井墓地(豊島区)、
そして江戸時代から桜の名所だった王子・飛鳥山公園(北区)がある。
もちろん都内第1の名所・上野公園(台東区)も遠くはない。
家から最も近い六義園(文京区)も名所に数えられるが、本数的に”壮観”ではないので私は選択外。

他にないかとネットで探していたら、「舎人(とねり)公園」(足立区)は桜が1000本もあるという(この数、都区内ではトップクラス)。
ここなら舎人ライナー1本で行ける。

土日は混むだろうから、晴天の金曜の昼前に、舎人ライナーに乗って舎人公園を目指した。
この自動運転の車両に乗ったら、座席にPASMOカードの忘れ物があった。
不埒な者の手に渡ると無断使用されるので、私が預かり、有人駅の西日暮里駅で駅員に預けた。
その時思ったのは、なくした場所はたいてい思い当るので、持ち主が自分の所有物と確認できるために、カードのナンバーを控えておくとよい、ということ。

さて舎人公園で降り、広い園内に入ると、桜が並木と点在の中間の密度で拡がっている(写真)。
ここは広い公園なので、密度的には低く、また木が若いので、本数の割りに”壮観”というほどではない。
ただ、密度がゆるいせいで、グループごとに木の下での場所を確保できる。
もちろん今は、通行のみでシートを敷いての滞在はダメという御触書きがあるのだが、木の下にシートを敷いている人たちがいる(備付けのベンチ・テーブルを使うのもNGか)。
客観的には三密にはなっていないため、私は目くじらをたてるつもりはないが、家族連れならまだしも、グループでの宴会はいかがなものか。
私自身は、昼間の酒宴には抵抗あるので、桜は花を見れれば満足。
この公園の線路を挟んだ反対側には、レーガン大統領夫人から寄贈されたワシントンの桜(元は日本から送られた木の二世)が「レーガン桜」の名で植えられていて、名所になっている。

以上で舎人公園の桜を堪能したので、舎人ライナーで西日暮里に戻り、駅近くの中華屋で定番の”五目焼そば”※を食べ、次の桜を見に諏訪台に上がって谷中に行く。
※:私が中華屋で食べるのは、もっぱら見た目も豪勢で栄養バランスのいい五目焼そば。ラーメンは食べない。
高台にある谷中霊園(台東区)は、中央の道路沿いのこじんまりした桜並木が"壮観”未満ながら”名所”に値し、周囲の寺と墓で和風の趣(おもむき)があるためか、着物姿の外国人女性が歩いている(写真)。
カメラを構えている人の数も舎人公園(あちらは宴会向き)より多く、私もその一人となり、貫録のある巨木(老木)に向ってシャッターを押す。
本来なら桜並木沿いに五重の塔が建っていて(心中の放火によって焼失)、それが残っていれば見事な桜の名所になっていたろう。
桜を見るだけでなく撮るなら、桜の周囲のたたずまいも大事で、壮観だけの公園よりは、石搭や木造建築がある寺や墓地の方が撮り甲斐がある。
なので、私のお気に入りの桜の名所は、近所のここ谷中霊園。


極寒の人日の節句

2021年01月07日 | 歳時

1月7日は、1年最初の五節句である人日(じんじつ)の節句。
旧暦ならば立春後なので、春の兆しを感じれる※のだが、本日の名古屋郊外は、午後4時に氷点下に急降下。

※:私は、可能を受け身や尊敬と同一表現にすることに反対する確信犯的”ら抜き”主義者で、「られる」は受け身のみに使う。

極寒の中、帰宅し、すでに買っておいた春の七草※セットに市販の五穀米の粥を入れて、七草粥を作った。

※:「セリ・ナズナ、ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ、スズナ・スズシロこれぞ七草」と覚える

これでは動物性蛋白質がないので、カニカマを追加し、茶漬けの素を味付けに加えた。
実に低カロリー。

人日の節句のイベントはこれだけのシンプルなものだが、古代中国(5世紀の東晋の頃)の『荊楚歳時記』に載っている節句を、21世紀の日本で執り行っているわけで、
単なる(おいしくもない)七草粥だが、大和朝廷ができるかできないかの頃の伝統をこうして維持しているって凄い。


意地の三が日を終える

2021年01月03日 | 歳時

おせちと着物で通した「意地の三が日」(2019年のブログ記事名)を終える。
おせちも着物も正直三日が限度だ。
しばし仕事を忘れて趣味の読書に集中できたのはありがたかったが…。
印象に残ったのは、本日の箱根駅伝のどんでん返し(沿道の観客の多さも気になった)
夜には屠蘇や雑煮のセットを片づけた。

5日から会議で、6日から授業と母の入院(残りの膝の手術のため)。
明日4日は、それらの準備に充てる。
もう正月気分は終了。


元日をすごす2021

2021年01月01日 | 歳時

新年あけましておめでとうございます!
 皆様にとってよい一年でありますように

元日を迎え、例年のごとく、まずは自然の起床の後、和服(羽織袴)を着て近所の二社一寺に初詣。
参詣客は多くはないが、間隔を空けているので列は長め。

一家が揃ったら、お節料理の前に、我が家で欠かせない正月儀式「屠蘇の儀」を執り行なう。
烏帽子・直垂(ひたたれ)という武家の正装に着替えた私が、BGMに越天楽(えてんらく)が流れる中、式三献のやり方、すなわち三つ盃で、幼順に屠蘇を注ぎ、三三九度で飲む(小児は口をつけて飲むマネでよい)。

我が家のお節料理は、重箱ではなく、おせち専用の大皿に盛り付ける。
ただお節料理って、酒の肴中心なので、大人は喜ぶが、子どもには受けが悪い。
義妹が作ったローストビーフで子どもたちは満足。
私にとっては市販の具材よりも母が作る煮しめが一番の楽しみ。
〆は、すまし汁の雑煮
我が家では、餅は雑煮でも必ず焼く
そうすれば必ず噛み切るので、咽喉に詰ることはない。

正月三が日だけの行動様式がある。
まず、昼間から堂々と酒を飲む(本日は、越の雪椿の「月の玉響」)。
そして室内でも和服で通す。
あと、意地でも仕事はしない。

そして、歴史書を読むことにしている。
好きなのは、関東の戦国前期(足利成氏、太田道灌の時代)。
最近、その期の”享徳の乱”(命名は峰岸純夫)が注目され、本が次々出ているのがうれしい。
先年の『享徳の乱と太田道灌』(山田邦明、2015年)に続いて、今回は『享徳の乱と戦国時代』(久保健一郎、2020年 )。
関東だけでなく、東日本全体に視野を広げた本で、最新の研究結果(いろいろな説)が紹介され、道潅に縁(ゆかり)のある文化人や、暴悪な印象しかなかった茶々丸の情報が参考になった。
ただ傑出したヒーローがおらず煮え切らない時代なので、同好の士は多くはないだろうな。


2020年を私的に振り返る

2020年12月30日 | 歳時

正月準備の合間を縫って、毎年恒例、”今年の振り返り”をやろう。
もちろん、広く世間のではなく、狭く極私的に。

このために今年1年のブログ記事を読み返すのだが、わが記事ながらこれが結構多量でつらい。
読み返す価値のない記事(特に仕事ネタ・時事ネタ)はいずれ削除しようと思う(この手の歳時ネタは1年のまとめ情報となっているので、残しておこうか)。

今年はもちろん地球規模での”コロナ禍”の一年で、私もその影響を被(こうむ)り続けた。

実は何を隠そう、私の2020年は、元日からインフルエンザで丸2日間寝込んで始まった。 
ようやく起き上がれた3日になって口にした”おせち”は、塩の固まりの味がして食べれず、味覚異常を体験した(翌日には解消)。 
6日になって初めて外に出たので、今年は”正月”を体験できなかった。

そして1月末には、日本もコロナ禍に見舞われるが、記事では政府の対応の遅さを嘆いている。 
これ以降、ブログも「新型コロナウイルス」のカテゴリーの記事が続く。
3月は、新型コロナウイルスの恐怖に日本中が巻きこまれていく。

大学でも卒業式は中止(3月)。 
マスク不足の中での志村けんの感染死には私もショック。 
そして入学式も中止(4月)。 
新入生は入学式前のガイダンスを受けただけで、 これ以降は自宅待機。

結局、前期授業は完全に遠隔授業(オンデマンド型)となった。 
私も在宅勤務となり、会議も遠隔。 
在宅勤務といっても決して楽ではなく、日々遠隔授業の教材づくりに追われる。
そして書類に押印するためだけの出校。
授業だけでなく、仕事の在り方も考えさせられた。

第1波の時は、GWが正念場だと思っていた。
この後、いまだ続く”我慢する系”のストレスに耐えることになろうとは…

自分を含めて周囲に感染者は出ていないが、
高血圧の持病を持つ身で、血圧の高止まりが続いた(3月〜)。 
そして、10月に狭心症の発作に見舞われた(今は投薬中で安定)。
母は、5月に軽い脳梗塞を再発し(軽症で回復)、また外出しなくなったせいで長年の膝痛が悪化し、血清療法を試しても効果が出ず、最後の手段の手術をした(12月、年末に退院)。
ということで身体にはコロナの間接的な影響を被っている。

毎月1回は行っていた温泉旅は、アカの他人との接触を避けるため行く気になれなかった。
その中でも定宿としている中津川の温泉宿には例年以上に5回も行った。
こういう時こそ応援したい宿だから。

年2回通っている茶臼山カエル館(真正パワースポット)は例年通りに通い(6月、11月)、オタマジャクシの孵化や水質のデータを得た。

あとは日帰りの小旅行ばかりで、結果的に埼玉によく足を運んだ。
草加(1月)は、ホントに煎餅の町で、手焼きせんべいがおいしかった。 
鴻巣(2月)では日本一の川幅と川幅うどんを堪能。
狭山湖(6月)ではトトロの森で”パワー”を実感した。
高坂(11月)に行って岩殿観音に参拝。

山の方はなんと高尾山(12月)だけ。
あと、しいて上げれば高坂に行った時の物見山(135m)も。
これはコロナ自粛のせいだけでなく、従来の腸脛靱帯炎に狭心症が加わったためで、ますます登山に向かない体になってしまった。

その代わり、近場の寺巡りはコロナ中でも気楽に実行(御朱印コレクションのためではない)
こんにゃく閻魔などの地元文京の寺(3月)、定宿途中の東濃の薬師巡り(4月)、
東京・西大井(6月)、神楽坂(8月)、鶴見の総持寺(10月〕、そして高尾山薬王院に、日の出町の鹿野大仏(12月)。

仏様ついでに、記事にはしなかったが、自室内の仏像が充実した。
今年加わったのは、不動三尊(作家作品)、勢至菩薩・観音菩薩・弁財天(以上は中国製の美しい木造)、軍荼利明王・風神・雷神(以上はリアルな和製フィギュア)。
外出できない間は、室内を充実させたい。
お篭り生活の中で、Amazonでの買い物が楽しみになってしまったためでもある。

来年は、冠動脈と腸脛靱帯をかばいながら、もう少し山に行きたいものだ。


賀状書き

2020年12月26日 | 歳時

12月25日は我が甥っ子の誕生日。
なので東京宅では、クリスマスパーティは事前に済ませ、25日はイエス様でない誕生パーティ。
これで我が家もホリデー週間に突入。

26日の今日は、気分一新、賀状書きにいそしむ。

はっきり言ってめんどくさい。
いっそ”賀状じまい”にしたいのだが、今年は普通に会う人とも会えなかったから、延期する。

すでに作っていた賀状の原稿を、年に一度の稼働となる実家のプリンタ(hp)でハガキ印刷すると、なぜか印刷位置がずれてしまう。
その調整(プリンタ本体での印刷位置調整と紙送りガイドの掃除)をして、やっと正常位置に印刷できるようになる(これを毎年繰り返す)。
ただ、カラーインクの出が悪いので、インクジェット対応の賀状なのに、写真の印刷は大昔のプリンタのように横に帯が入る。
裏面と表の自分の住所氏名を印刷したら、次は手書き作業。

私は、表の住所・宛名は手書きにしている。
そうすることで、相手をしっかり心に思い浮かべることができるから。
そして、思い浮かべたその相手に向って、裏の余白に、手書きで一言書き添える。
相手の住所氏名を印刷で、しかも裏も100%印刷だと、そりゃ楽だろうが単なる流れ作業になってしまう。
それこそ無意味ではないか。

ただ、書き添える一言が思い浮かばない相手には困る。
何しろ、たった一回会っただけで賀状のみの関係でしかないと、顔すらまともに浮かんでこない。
日頃顔を合わせる職場の同僚との賀状も意味ないと思うが、このような相手もほとんど意味がない。
ただ、昔の知り合いで、いまや賀状だけが唯一の接点となった相手には、それこそ年に一度だけ心に思い浮かべて、今どうしているのか思いをはせる。
といっても浮かんでくる一言は、「お元気ですか?」以外に出てこない。
会う気がないのに「久しぶりに会いたいですね」と書くのも白々しいし(男同士の定型的挨拶で「今度飲みましょう」というやつと同じ)

印刷した裏面には、毎年旅先の写真に解説をくわえている。
定型的な賀詞ばかりでなく、個別情報(近況)を加えた方がいいと思っているから。
もらう側としても、凝ったイラストなどよりも、その人ならではの情報があった方がいい。
だから家族写真も歓迎(毎年、子どもの成長がよくわかる。ただ子どもが成熟すると、家族写真そのものがなくなる)

いずれ、虚礼部分は廃止して、年に一度顔を思い浮かべたい相手だけのやりとりにしたい。