●翌朝
多くの客は、山頂で御来光を拝むため3時台に起きて、出て行った(だから就寝が早いわけ)。
標高3400mの本八合では小屋の前からご来光を拝めるし、第一睡眠不足なので、私はそれにつきあわず4時すぎまで寝て、小屋の前からご来光を拝んだ。
でも山頂にも下界にも雲がかかって、昨日よりも眺めはない。
朝食の弁当を小屋で食べて(お茶は有料なのでペットの水を流し込む)、5時に出発。
山頂をめざす。
高度の影響からか、初っぱなから登山者の足取りは重い。
少し歩いて立ち止まり、息を整える。
私はずっとカメ作戦なので、息も上がらず、どんどん人を追い抜いていく。
ゆっくりした歩速で一歩一歩登っていく。
●人生は登山
登山とは、このような小さな作業の積み重ねで山頂に辿り着く。
自分の人生のピークはあと少し先だろうが、やはりこのような毎日の小さな作業の積み重ねの結果によっている。
なるほど人生は登山だ。
などと思いながら登っていくと、コースタイム100分のところを60分で山頂に着いた。
長年の登山で培われた脚力・心肺能力いまだ衰えず。安心。
●山頂にて
しかし山頂はガスの中。山頂部は小屋が並び、平で広く、いままでの急登がうそのような開けた雰囲気。
ここは富士山頂部の一部なので、お鉢巡りをして最高地点の剣が峰をめざす。
剣が峰には閉鎖された気象庁の観測ドームがあり、峰の片側を人工物でおおっている。
3776mの最高峰には今回の登山で初めて立った(写真)。
高度計で、おそらくこれ以上の値を示す事はない数値を確認(航空機内では気圧調整で2000m以下になる)。
奥には展望台のような所があって、麓の大沢や毛無山が望めた。
でも山頂に雲が覆っていて展望はこれだけ。
御殿場方面の下山口についたのが8時。
山頂部には2時間いたことになる。
●下りのコツ
富士山の下りは、登りとは逆に、踵着地で大胆に大股でスタスタ歩く。
浮き石なんかも気にする必要なし。
初心者はこわごわカメのように慎重に降りているが、私はウサギのように跳ねながら降りていく。
地面が火山灰土なのでクッションとなり、心配の膝も痛めない。
登りと下りとでは歩き方を替えるのがコツ。
宝永山に寄り道し、そこから巨大な宝永火口を見物して、大砂走りに突入。
周囲は霧のため、360度見えるものはすべて砂の大斜面。
その中をすっ飛ぶように駆け下る。
いくら走っても風景が全然変わらないので、立ち止まる。
まるで大沙漠の中に一人いるみたい。
やっと平坦になる五合五勺が近づいてきたが、今度は傾斜が緩くなり過ぎて、歩くたびにブレーキがかかり、とても歩きにくい。
しかたなしに、走り気味に歩く。
このへんの裾野は実に広大。
でも火山の荒れ地なので自衛隊の演習場くらいしか使い道がない。
●登ってみて
富士って東京から気楽に行けて、一泊でこんなに充実できるなんて、いままで気がつかなかった。
日本一デカイ山なので一度行ったらおしまいとするにはもったいない。
いろいろなルートをまわってみよう。
裾野だけでもあちこち逍遥する価値がありそう。
それに問題だった山小屋のトイレも急速に改善され、垂れ流しはほとんどなくなった(有料なのも納得)。
あと驚いたのは、登山道にゴミがまったく落ちていなかったこと。
ボランティアによる掃除もされているためもあろうが、毎日できるはずもない。
マナーが向上しているのはうれしいことだ。
●長い下山道
やっと10時半に太郎坊のバス停に着いたのだが、次のバスまで1時間半もある。
タクシーを呼ぶ手もあるが、もともと早く着いたのにさらに早く帰る必要もない。
1時間半待つ気もしないので駅までの道を歩くことにした。
途中BOAC機遭難碑を見て、自衛隊東富士演習場の中を通る道をひたすら歩く。
自衛隊の戦車が走るのを見、銃声も聞く。
でも車道歩きが長い。バス停も全然ない。
平地の歩行で大臀筋が痛くなってきた。
やっと演習場を抜けて青年の家に達する時、前を歩いていた(はじめて見る歩行者)老人登山者と話して、青年の家でタクシーを呼ぶことにした。
1時間半歩いても御殿場まで半分の距離。
その人と御殿場線に乗って国府津まで一緒に帰り、国府津で別れて、駅弁とビールを買って、グリーン車で帰京の途につく。
疲れた体をグリーン車のシートに沈めて、冷えたビールを開ける。
●達成感
このような安楽な生活のありがたさも身にしみる。
でも山でしか味わえない体験・大展望も捨てがたい。
それに登山という行為は、必ず達成感を味わえるからいい。
やればできるんだという自信を与えてくれる。
これで、秘かな記念行事は無事完遂した。
自分の夏休み(レジャー)もこれで終わりでいい。