今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

花見には足りない

2012年04月07日 | 歳時
4月上旬の週末。
桜の花も一斉に開き、しかも晴天。
こうくれば絶好の桜の花見日和となるのだが、
残念ながら気温が足りない。
とにかく寒い。

今週末は名古屋在なので、棲み家から徒歩5分で行ける
名古屋の東端・名東区の地下鉄終点駅周辺の桜並木を見に家を出た。
そしたらこの低温で寒風に襲われ、歩くにつれ”花見”の気持ちが萎えていく。

駅周辺では予定通りに地元をあげての”桜祭り”が開催されており、
近隣住民たちも、この晴天に誘われて出てきてはいる。
でもとにかく寒く、ポケットから手を出してカメラを構える気にもなれない。

商店会の本部では、うれしいことに花見酒(紙コップに少々)を、供してくれる。
ちびりとひっかけ、少しは暖まったが、
その場で見上げて桜の花を鑑賞するには足りない
(といって、二杯目を要求するツラの皮もなし)。

せっかく来たので商店会に協力しようと出店で少々の買い物をして、
後はスーパーでいつも通りの買い物をして引き返した。
デジカメラのスイッチを一度もONにすることなしに。
残念ながら今日はお篭りの日だ。

東京だと用がなくても山手線に乗ってしまうが、
名古屋ではかように出不精になってしまう。
住んでいる場所が郊外の終点(ターミナル)なので、
その地で自己完結的な生活になってしまうためか。

安全基準を超えたら危険か

2012年04月07日 | 東日本大震災関連
この4月、食品についての放射線の安全基準が、”暫定”を外れた正規のものになり、
値として1/10に下がった。
原発の安全基準ははななだ疑問が多いが、
こちらは歓迎すべき内容だ。
一般論として、毒物の含有許容量は0に近いほどいいに決まっている。

なのに基準値が0にならないのは、自然に含まれるものを排除できないからだ。
つまり原発事故由来のセシウムは排除すべきであるが、
カリウムなど食品そのものに入っているものは排除できないし
(温泉成分からラドンガスを排除できないのと同じ)、
カリウムは我々の体内に入っていて問題ないのだから、強迫的に0にする必要性がない。

では、安全基準を超えたらそれは危険なのか。
日常論理の世界では、好きでない=嫌いを意味するように、そう解釈するのが素朴で自然。
つまり、命題Aの裏命題(Aでない)は、Aの対立概念Bを意味する。
私は、日常でのこの論理運用を「裏命題有効の原理」と言っているのだが、
これは論理学的には正しくないのだ。

論理学の世界では、原命題が真の時、真であるのは対偶命題だけであり、裏命題は偽となる
(命題は本当は「pならばqである」という形をとる。なので裏命題は「pでないならqでない」)。
なので論理が厳密な科学の世界でも、
「Aでない」という命題はAでないという状態以上のことを示さず、
その反対側の「Bである」ことまで当必然的に示すものではない。
言い換えれば、「Aでない」ことが対立概念「Bである」ことと等しくなるには、
論議世界が2値に限定されるなどの前提条件が必要であり、
日常世界ではその前提条件が暗黙化されているのだ。

安全基準について具体的に示そう。
公的機関(国際機関や国など)が定める安全基準には、共通の方法がある。
それは、まずは異常が認められうる最小値の1/10にするというものである。
これは最低の基準で、さらに厳しくなる場合がある。
つまり、安全基準の値を超えて、さらにその10倍に達した時が現実の”危険域”なのだ。
だから、こう言える。
安全基準を少々超えた事態に遭遇したとしても、”ただちに”危険というものではない。

この表現、多用されて有名になったが。
この表現も日常論理ではなく、厳密な論理で理解すべきだ。
日常論理の発想では、”ただちに”を過ぎたら危険が発生することを含意するが、
科学的論理では、”ただちに”以降は安全を”保証”するものではないという意味で、
危険であることを意味するのではない。

だから、当初はむしろ、業者から基準の値を上げてくれという要請があった。
確かに10倍まで上げなければ、実際に危険ではない(はず)。
でも安全基準というものは、上に示したように、ここから先が危険という”危険基準”ではないし、
そうあるべきではない
(安全基準を”危険基準”のことと誤解している人があちこちにいるわけだ)。

つまり、実際の危険域までのバッファ(余裕)が必要なのだ。
安全運転とは、交通事故に”ならないですむ”レベルの危なっかしい運転のことでないのと同じ。
あくまでも安全を保証する基準なのだ。

放射線でいえば、”しきい値なし直線仮説”は科学的に立証されてはなく、
データでは否定的なものが多いのだが、
安全基準としてはより厳しい立場になるので、
ホルミシス派の私も採用に納得している。
安全基準とはそうあるべきだから。

だからこそ、原発の安全基準も、安全を保証できるレベルでなくてはならない。
現状では食品と原発の安全基準はダブルスタンダードだ。