自動車とは、原発と同じく、人体に危険なほどのエネルギーをかろうじて制御しているモノである。
特に、高速道路を運転している時に痛感するので、私は死と隣り合わせている高速道路が心理的に苦手。
だからこそ、それを制御する個々人には、万全なコンディションが要求されるわけで、
意識不明になる持病は隠さず、極端な過労・睡眠不足にならないよう細心の注意が必要なのだ(無免許は論外)。
過労や睡眠不足下での運転は、危険度からいって飲酒運転と等しい行為であるにもかかわらず、
客観的な判定が難しいこともあり、現実には野放し状態。
だから、個人の管理にたよらず、社会的な仕組みによって、防ぐことも考えていきたい。
一番思うのは、”社会の24時間化”という、人間にとって生理的に不自然な状態を安易に推進しないこと。
もちろん緊急事態への対処は必要だが、
夜は消灯してみんなぐっすり寝るという状態を実現している社会(人間の集合)の方が”健全”だと思う。
これは単に睡眠時間を確保することではなく、昼間の太陽光を受けることが脳にとって必要であるためだ。
移動や物流の便利さ(しかも安価)が、無節操なほどに追求されすぎている。
便利さを求めるにしても、それ相応の対価を払うべきだ。
原発事故は緊張感の欠いた無競争の結果といえるが、昨日の夜行バスの事故は過当競争の結果だ。
人命にかかわる分野では、安全への競争こそ求められるべきだが、それは必然的に価格競争と逆行する。
すなわち、われわれは価格と安全とを天秤で計らなければならない。
これは本質的なジレンマ(葛藤)なので、言うは易く、行なうは難しい。
実際、食品の安全性に敏感に反応できるのは、単価が低いためでもある
(もちろん身体の健康に直結するためでもあるが、数ベクレル程度の差異に一喜一憂するのはそれでは説明できない)。
そして自宅の防災化に消極的なのは、単価が高いため。