夏休みで空けていた名古屋宅の掃除を(久々に)した。
混乱した室内の片づけが主だったが、
それをして気づいたことは、
室内にあるものの半分は実は不要物だということ。
室内を見渡すと、実に要らない物に囲まれている。
そして見えない所に要らない物がもっと隠れている。
それらが捨てられずにいる唯一の理由は、
「まだ使える」ため。
行動経済学的に言えば、心理的な”減価償却”が済んでいないため
(だから高価なものほど捨てづらい)。
でもそれは「使う」ではなく、
「まだ使いたい」でもない。
使うつもりはまったくないのだ。
使えるものを捨てる後ろめたさ。
最後の「捨てる」ことへの躊躇。
この”躊躇”の累積が室内を不要物の倉庫にしている。
物を新たに買うなら、その代りひとつ捨てるというルールでも作るか。
でもこのルールを励行しようとすると、新しい買物の方を躊躇するようになるだろう。
書籍に関しては、電子化(自炊作業)によってこの躊躇は解決できるようになった。
だが書籍以外の物はどうするか。
遅かれ早かれ、「捨てる」以外に選択肢はないようだ。
混乱した室内の片づけが主だったが、
それをして気づいたことは、
室内にあるものの半分は実は不要物だということ。
室内を見渡すと、実に要らない物に囲まれている。
そして見えない所に要らない物がもっと隠れている。
それらが捨てられずにいる唯一の理由は、
「まだ使える」ため。
行動経済学的に言えば、心理的な”減価償却”が済んでいないため
(だから高価なものほど捨てづらい)。
でもそれは「使う」ではなく、
「まだ使いたい」でもない。
使うつもりはまったくないのだ。
使えるものを捨てる後ろめたさ。
最後の「捨てる」ことへの躊躇。
この”躊躇”の累積が室内を不要物の倉庫にしている。
物を新たに買うなら、その代りひとつ捨てるというルールでも作るか。
でもこのルールを励行しようとすると、新しい買物の方を躊躇するようになるだろう。
書籍に関しては、電子化(自炊作業)によってこの躊躇は解決できるようになった。
だが書籍以外の物はどうするか。
遅かれ早かれ、「捨てる」以外に選択肢はないようだ。