温泉など、長期の湯治をしない現代人にとっては、主観的にありがたがっているだけのことだと結論したのは、
定宿の温泉で3泊しつつ、幾度も温泉に浸かりながら実感したことだ。
3泊が温泉旅の限度の私自身、温泉の身体的効能を実感しないからだ。
もちろん心理的には毎回リラックス・リフレッシュしているからこそ、こうして温泉旅を毎月繰りかえしている。
ただその心理的効果は、泉質によるのではない、ということも自覚している(宿の湯が温泉でなくても同等の心理的効果を得ている)。
温泉を愛していながら、自らの温泉愛に容赦なく冷徹な分析を浴びせた私は、
むしろこのような真実の分析ができた事に満足し、定宿を後にし、帰途についた。
今日は会議がないので、ゆっくり帰れる。
なので、あちこち寄り道し、ついでに東濃で2番目に濃い放射能(ラジウム)泉である「かすみ荘」に立ち寄った。
ちょっと山を歩いたので、汗を洗いたく、日帰りで入浴するためである。
狭い浴室ながら、一人で独占できた。
別に長湯するわけでもなく、入湯に放射線計測と洗髪を加えて上った。
放射能泉は、湯上がり後なかなか体温が下らないことは今まで体験している。
だが今回はちょっと違う。
いや、だいぶ違う。
この私が、脱衣場の椅子にどかっと座りたくなってしまう。
立っているのがつらいのだ。
いつもだったら使わない、脱衣場内の扇風機のスイッチを入れた。
普通の立ち寄り浴なら、上ってすぐさま車の運転にさしかかるのだが、
今は運転する気にまったくなれない、いや、このまま無理して運転したら危ない。
そう思うほどに、全身がだるく、何もしたくないのだ。
浴室から出て、宿内の廊下の椅子を探して、ドカッと腰を下ろし、
冷えた濡れタオルを顔に覆い、目をつぶってボーッとした。
このまま、何もしたくない。
入浴直後にこんな状態になったのは、そう、東濃で一番濃い放射能泉「湯の島温泉」に日帰りで入った時以来だ
(あの時は、冬の屋外のベンチでしばらくごろ寝した。体はまったく冷えなかった)。
実は中津川周辺の放射能泉を入りまくったこともある。
ただ、それらは濃度が低いため、なんともなかった。
濃い放射能泉は、別格だ。
温泉など一週間も湯治しないかぎり効果は出ないという世の説をうそぶいた私に、
ここの温泉は一回の入浴で私の身体を直撃した。
温泉の逆襲に遭ってしまった
(私が襲われた状態は客観的には「湯あたり」という)。
おそるべし、無色無味無臭の放射能泉。
だから温泉旅はやめられない。
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