今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

失せ物顛末

2015年01月26日 | 失敗・災難

実は、昨年の暮、高校時代の仲間との飲み会に参加し、注がれるままに酒を飲んだせいで、不覚にも泥酔していしまい、タクシーに放り込まれて、なんとか家までたどり着いた。

翌朝、正気になってみると、まず着ていった上着(LLビーンのフィールド・コート)がない。
そして眼鏡もない。

両方ともお気に入りだったのに。
フィールド・コートは定番なのでいつでも買えるが、眼鏡の方は木製のテンプルで今は販売されていないと思う。
眼鏡はタクシーの中、上着は店に置き忘れたと思ったので、まず店に電話して確認したが、上着の忘れ物はないという。

タクシーはどこの会社かわからない。
とりあえず、警察署に紛失届けを出しに行った。

昼になって、昨日飲んだ一人から電話がかかってきた。
上着を預かっているという。
なんでも、彼が上着を店に取りにいっている間に、私が乗ったタクシーは走りだしてしまったという。
年明けに受取ることにして、これで上着は解決。

残るは眼鏡。
眼鏡なしでは生活に困るが、幸い、予備の眼鏡を名古屋から持参してきたので、さしあたってはなんとかなる。

ただ予備だけでは心もとないので、年明け早々に眼鏡店に行っておなじ度数の 眼鏡を新調した。
ただしテンプルは半分だけが木製のものしかなかった。

新調した眼鏡が手元に届くまで2週間待ち、その間に予備の眼鏡の方が壊れかけてきたが、なんとか間に合った。

その後、なくしてから約一ヶ月たって、眼鏡を見つけた。
東京宅の自分の部屋の中で…

ドアからベッドに至る直線上の床の上に。
酔ってベッドに直行する際に、服を脱ぎながら歩いたために、顔から落ちたのだろう。
もちろん意識もうろうだったので、またく記憶がない。

そこは使わない荷物の置きっ放しエリアだったため、いつもは動線外で足を踏み入れず、また眼鏡が荷物に隠れた状態になっていた。

まさかそこにあるとは夢にも思わなかった。

でもお気に入りの眼鏡だけに、見つかってよかった。

ただしこれは予備用とし、新調した眼鏡の方をメインに使うことにする。

 


この時期の「八甲田山」

2015年01月26日 | 歳時

1月下旬は一年で最も寒い時期。
なので、この時期の冬山は最も厳しい。

冬山にはとっくに足を洗った私が、
毎年、この時期に観る映画(DVD)は、「八甲田山」。

明治35年の1月下旬に八甲田山に雪中行軍に向った青森歩兵第五連隊が、吹雪の山中で迷い(雪山にはもともと道はない)、数日間さまよって199名もの死者を出した、世界的大遭難事故を映画化したものだ。
原作は新田次郎の『八甲田山死の彷徨』だが、映画自体が力作(史実や原作より、ややヒューマンドラマ方向への改作はあるが)。
凍傷者をだしたという雪山のロケも迫真だし、俳優が豪華(高倉健、北大路欣也、三国連太郎、緒形拳、大滝秀治、加山雄三、栗原小巻、加賀まりこなどなど)。
この映画、当時珍しく家族全員で見に行った(芥川也寸志の音楽が重要なのにモノラルだったのが不満。DVD版ではステレオ化されている)。

私自身、麓の幸畑(コウハタ)からレンタカーで行軍ルートを辿ったことがある(現地で史実の資料を入手した)。

そもそもなぜこのような大遭難が起きたのか。
一番の原因は、気象にあった。
この時、太平洋上を低気圧が発達しながら北上し、大発達して、北日本に空前絶後の寒波をもたらしたのだ。
1月23日に出発し、第五連隊が八甲田山中に閉じこめられていた25日、旭川で-41℃という日本最低気温を記録した(いまだ破られていない)。
当時は、天気予報がままらなかったと思うが、このタイミングでの雪中行軍は、伊勢湾台風接近時に洋上訓練をするような暴挙で、最悪の判断だった。
好天であれば、まったく問題なかったようだから(数日後弘前31連隊は逆コースを無事通過)、天気判断を誤ったのが第一の原因だ。

もっとも、冬山に入る登山者は悪天候を想定した準備をするのは必定(それでも遭難が起きる)。
日本にアルピニズムが普及しはじめた時代だっただけに、冬山登山の常識や遭難時の行動原則が北国の軍隊に広まっていなかったようだ。

毎年この時期、かように私なりに"八甲田忌”を送る。