今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

1月は長く感じる:

2019年01月31日 | 歳時

1月はもともと31日あるわけだが、それにしても他の31日ある月よりも長く感じる。
子どもの時からずっとそう感じている。
それは”一年の計”たる正月という濃いイベントが月始めにあり、それが済むと1月は気分的に終了なので、残り25日ほどはただただ残余にすぎないためであろうか。

ところが、続く2月も、たった28日しかないのに、(その割に)長く感じる。
節分はたいしたイベントではない。
なので、1月で使った理屈は当てはまらない。
つまり、真の理由は1月と2月に共通する部分にあるはず。

冬(寒い、夜が長い)が時間を長く感じさせるのだろうか。
いやむしろ、年度末の作業が始まる、けっこう忙しい時期だからかもしれない。

だが普通は、忙しいと時間が短く感じられるはず。
といってもそれは時を忘れるために”現在”(時・分)が素通りされる感覚であり、
業務が詰っていると、これからやる事(未来)・すでにやり終えた事(過去)が月・日レベルでぎっしり蓄積されている。
生きられた時間(時分)は短くても、後ろ向きに展望された時間(月日)が長くなる。 

1月の終わりに「1月は長かった」と感じるのも、月始めの”元日”がはるか彼方にあるように、時間を展望した結果だからかもしれない。


追記:1月以外に、その月の「一日(朔日)」を思い返す(展望する)月って他にない。そのためかもしれない。2月は「この月だけ特別短い」という先入観の効果かもしれない。