雑司ヶ谷の鬼子母神は都内でも有名な寺だが、池袋にはしょっちゅう行くものの、今になるまで行きそびれていた。
そこには、樹齢700年になる大イチョウがあり、今も元気だと言うので、気の交流を求めて初めて行くことにした。
池袋から明治通りを南下し、左にハスに入ると、境内裏手の妙見堂に達する。
付近は、繁華街から指呼の先という立地とは思えない落ち着いた寺町の風情。
本堂に参拝し、大黒堂でここにちなんだ「おせんだんご」を食べる(製造は根岸の羽二重団子)。
境内には、木の密度は低いながら大樹が散見する。
東京の繁華街から少し入っただけで大樹が居並ぶ空間があるのは貴重だ。
さて、その中でもひときわ存在感を示す大イチョウと対面。
この巨樹には周囲に柵が作られ、触れることができない。
それでも、両手をかざして、気の交流を試みる。
視野に広がる樹肌(写真)を凝視していると、樹肌の模様がゲシュタルト崩壊をし始め、樹皮の模様が一様に細分化されてまったく別の模様になる。
そしてついにはこれらの模様がいっせいに上方向に動き出していく。
このような仮現運動(実際には静止している視覚対象が動いて見える錯覚現象)は、暗闇で線香の火を凝視していると発生するように、視野に空間的手がかりが見えないと発生しやすいが、
今は視野の端に、歩行者も見えるので、視野における上下の空間的枠組みは保たれている。
だから木が(歩行者が歩く)地面から上にせり上がっていく動きに見える。
このような不思議な視覚体験が起きるのは、この木固有の力かもしれない。
かように、初めて視覚で交流を楽しめた。
他の接近できる木で両手をかざして気の交流をすると、こちらの気が発射される左手は冷風を感じ、気を受け取る右手は木からの温風を感じる。
だが、木肌が近すぎるためか、あるいは肌理が異なるためか、大イチョウとのような視覚的交流はできなかった。
この後、鬼子母神堂を管理する法明寺、威光稲荷堂に立ち寄って、途中「老眼めがね博物館」という面白い店にも立ち寄って、池袋に戻った。
ちなみに、動いて見える大イチョウの樹肌を写真に撮って、家のパソコンのデスクトップ画面(27インチ)にして見たら、やはり、ゲシュタルト崩壊と仮現運動が発生した。
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