昨日は府中に行ったので、今日は調布に行く。
私の頭の中では調布と府中は(位置的にも語呂的にも)ペアになっているので、片方に行くともう一方にも行きたくなる。
そして調布といえば深大寺だ。
昨年わが家に吉祥天をお迎えして以来、”吉祥天巡り”をしているのだが、深大寺門前のそば店内に吉祥天の祠があるのをネットで知り、行きたいと思っていた。
さらに先日、深川に行った折、こだわる地元メシは「深大寺そば」と書いて以来、無性に深大寺そばが食べくなった。
というわけで、昨日に続いて曇天の外出日和の日曜、吉祥天とそばの用事で深大寺に行き、昨日と同じ目的で調布市立の博物館にも行く(そば店と博物館は月曜休みなので)。
京王線の調布で降り、北口のバスターミナル(12番)で「深大寺」行きのバスに乗る。
深大寺行きのバスは、確かに深大寺の門前まで行くが、神代植物公園を大回りするので、大回りする手前の「深大寺小学校」が深大寺の参道入り口でもあり、ここで降りた方が早く寺に到着する(バスの車内放送でもそう勧める)。
それだけでなく、「深大寺小学校」で降りるなら、深大寺行きだけでなく、三鷹駅・吉祥寺駅・杏林大学病院のいずれの路線も通るので、乗れるバスの選択肢が格段に増える(手前で降りてもバス運賃は同じ)。
深大寺の門前に降り立つ。
日曜昼前で、さすがに人出も多い。
正午前なので空いているうちに深大寺そばを食べよう。
入る店は決まっていて、その名も「門前」に入る。
この店内に吉祥天が祀ってあるから。
そばは、とろろか、きのこか、天ぷらか迷ったが、「福満※膳」だとそれらが三つの小鉢で出るのでそれにした(1420円)。
※:福満は深大寺を開いた満功上人の父で渡来人。恋仲となった地元女性との間を相手の両親に妨害されたので、水神・深沙(じんじゃ)大王に祈願して妨害を除去し、満功上人が誕生できたという。深沙大王が深大寺の名の元。
そばを待っている間に、店の奥にある吉祥天の祠を拝みにいく(写真)。
そもそもなんで吉祥天を祀っているのか疑問だったが、祠の説明札(写真左)を読むと、吉祥天は福徳円満の神なので、福満と通じるというわけだ。
祠の中は吉祥天のお札があるだけで、残念ながら像はない。
それでも、賽銭を入れ、吉祥天の手印(ムドラー)を結び、その真言(マントラ)を唱えた。
吉祥天の参拝を済ませ、そばも食べた(小鉢が3つあるので、そば湯も3杯飲めた)ので、深大寺に来た目的は果たした。
もちろん、せっかくなので目の前のお寺の境内に入り、本堂・元三大師(降魔札を購入)・開山堂・国宝白鳳仏・深沙大王堂も参拝(茅葺の山門は修復中)。
残った訪問先は調布の博物館だが、時間がたっぷりあって歩き足りないので、この周囲の寺社にも足を延ばしたい。
そのためにバス停近くの観光案内所に行くと、手前に積んである深大寺周辺の拡大地図ではなく、しまってあった調布市全体の観光地図(バスの路線図もある)を渡してくれた。
それを頼りに、まずは深大寺一帯の湧水の神様を祀る青渭(あおい)神社に行く。
神社の祭神は古代からの”水神”のままで、無理に皇祖神に交代されずに本来の信仰※が保たれている。
※:先ほどの吉祥天もこの水神も「記紀」に載っていない神だが、人々がボトムアップ的に神認定すれば神となるのが本来の神道。
深大寺そばはこの豊かな湧水のおかげで、江戸時代から評判で(ただし門前に蕎麦屋が並んだのは昭和30年代からで、今では17軒に増えている)、しかも蕎麦自体、現在でも深大寺城址の敷地で栽培されている。
青渭神社の入り口には、巨大なケヤキの神木がある。
樹齢6−700年という人間ではあり得ない生命力で、幹の一部は枯れていながら今でも豊かな葉を茂らせている。
このような超絶的な存在者こそ、本来的な神道における”神”である。
この神威に敬服しながらも、老樹をいたわる気持ちで、幹に両手をかざして気の交流をした。
ここから坂を下って、満功上人が両親・福満夫婦のために創建した祇園寺に行く。
祇園寺は、朝鮮風の2体の石像が入口で出迎えてくれる(写真)。
背後の墓地に満功上人の子孫の墓がある。
さらに満功上人の祖父母を祀る虎狛神社にも立ち寄り、佐須のバス亭で(頻繁にくる)バスに乗って調布北口に戻る。
ここから京王相模原線で1駅先の京王多摩川で降り、目指す博物館に行く。
調布市郷土博物館は、昨日の府中市立博物館とは比べようもないが、市区レベルの郷土博物館としては普通の規模(入館無料)。
入り口には、新選組局長・近藤勇の銅像の原像が展示されている。
二階の展示室にも、近藤勇の生家が敷地ごとに精巧な模型となっている(写真:手前の白い札がある所は産湯に使った井戸で、これだけは生家跡に現存する)。
かように近藤勇は調布第一の歴史的人物となっている(日野市では土方歳三が相当)。
やはりここも旧石器時代からの出土品や縄文土器が並ぶ。
お隣の市に国府が置かれた頃、こちらは租庸調の税のうち調として布を納めていたという。
その布は多摩川の流れにさらして染色した。
万葉集にある「多摩川にさらす手作りさらさらに 何ぞこの児のここだかなしき」の情景の地だ。
しかもこちらの深大寺は、古さこそ国府の「多磨寺」に一歩譲るが、今でも健在で、国宝の白鳳仏もあるように、歴史が続いているのは調布の方だ。
京王多摩川駅の反対側には角川大映スタジオがあり、入り口には2体の”大魔神”の像(埴輪顔と忿怒顔)があって思わず近寄りたくなるが、スタジオは一般公開していない(公開すれば新たな名所になる)。
電車で調布に戻り、あえて改札を出て、まずは駅と同じ建物にある成城石井に入るも、目的の物がない。
駅前の観光案内所に行って「深大寺ビールはどこで売っていますか」と尋ねると、「たぶん、パルコの地下にあると思います」との返事。
そう、調布土産に地ビール「深大寺ビール」を買って帰りたかったのだ。
パルコ地下の店に深大寺ビールがあり、2種類買った。
深大寺ビールは、深大寺の門前の店でも売っているが、土産物価格なのでそこでは買わずに、調布駅前で探したのだ。
駅前では門前の約6割の値段で買えた。